ポストの向こう側
最近、チラシ配りのバイトを手伝い始めた。
友人が始めたチラシ配りのバイトなのだが、ちょいと最近、俺も金欠気味なため、そのバイトを少し手伝う代わりに、報酬を分けてもらっているのだ。
どの程度かというと、チャリを使って2時間程度で終わる範囲を任されている。
まぁそれ自体は正直どうでもいいことだ。
問題となるのは、そのバイトで配り回っている家について。
実は、特定の箇所の家にはチラシを入れてはならないようだった。
ポストに「投函はご遠慮ください」などの記載があるのではなく、予め入れてはならないと、釘を刺されているらしいのだ。
俺は、その理由が気になった。
普通に考えれば、空き家だとか投函を拒否するだとか、そういうものだろう。
だが、そうではないと、俺の第六感が訴えているのだ。
根拠は無い。
ただ興味本位で、その理由が知りたかった。
だというのに、正式にアルバイトを請け負っている友人にそのことを尋ねても、「よく分からない、とりあえずダメって言われてるから入れてない」と答えるのみだった。
役立たずな野郎だ。
所詮はバイト、普通は知っているであろうことにも口や耳は挟まない派遣の身だ。
ただ、あいつがそんなことを言うもんだから、余計に謎が深まって、気になりだした。
そこで俺はひとつ、考えた。
その絶対に入れてはならないポストに、もしも投函したら、どうなるのだろうか、と。
まぁ怒られるだろう。
恐らくバレれば友人の方にまず連絡がいき、友人が俺を叱るに違いない。
そしてもしかしたら、何の面白味もなく、それで終わるだけかもしれない。
本当に、ただ投函して欲しくないだけの家だったとかの、しょうもないオチの可能性がある。
だが、やってみたいじゃないか。
いつだって少年心は健在だ。
もしかしたら、俺の知る由もないとんでもない事が待ち受けているかもしれない、そう思えて仕方がないのだ。
そう考えてからは、行動が早かった。
いつもは素通りする、チラシを配り始めてから十二軒目の家の隣にある、割かし綺麗めな一軒家の前で止まった。
赤い屋根にベージュ色の滑らかな肌、正に今風の家と言えるような、洋式の一軒家だった。
ポストは玄関ドアの横にあり、押し込んで入れるタイプの木製のものだった。
現在、人の気配はしない。
午後十八時、普通なら夕飯の準備などで家に居てもおかしくない時間帯だが……。
車はある。
少なくとも人が住んでいない訳では無い。
そして、幽霊という訳でもなさそうだ。
外食にでも行っているのだろうか?
期待はずれと言うと失礼だが、少しばかり、心霊的なものを期待していた節がある。
ということは、やはりただの投函ご遠慮ザムライだろうか。
先程まで固く決意した意思は緩み始めた。
この禍々しいポストに入れるはずの、手に持った二つ折りのチラシは無意識のうちに、溜め息と共にチラシを入れてあるバッグの中へと戻っていく。
こうして、俺はまた、いつも通りのチラシ配りの光景を眺めていくのだ。
それでいいのだろうか。
俺の日常生活は平凡なものだ。
高校生に許された青春の数々を謳歌する訳でもなく、ただてきとうに日々を過ごしていくだけ。
部活も、楽だからという理由で写真部に所属している。
つまらない日々だ。
そんな日々をまた、繰り返すのだろうか。
俺はもう一度、そのバッグに入れ直そうとしたチラシをポストに近づけた。
一瞬、鼓動が速くなる。
人間、時たま刺激が欲しくなるものだ。
日常生活に紛れ込む、非日常的な小さな刺激。
それを俺は今、求めている。
今、その刺激を満たせる場に居る。
……。
カタンッ。
やった。
やってしまった。
一瞬の思考を挟んだ後、俺は、チラシをポストの中に突っ込んだ。
正気を取り戻してチラシを引っ張り出せないよう、しっかりと奥まで押し込んだ。
どうやらこのポスト、開閉するには鍵が必要なもののようだ。
これで俺は、このポストから先程入れたチラシを引っ張り出せないようになった訳だ。
もう何か考えたって仕方がない。
俺はその場から離れ、チャリを漕いで次のチラシ配りの場所へと向かっていった。
どうせ何か問題があっても、ただ叱られるだけ。
まぁその対象が友人だというのは気の毒だが、ただのミスだと言って許してもらうことにしよう。
─三日後。
休みが明け、憂鬱な月曜日がやってきた。
学校の日だ。
祝日でもなんでもない、ただのいつもの日常だ。
だが、今日はそんな日常の中にも、ちょっとした刺激がある。
チラシ配りの件について、友人から何か言われるとしたら今日だ。
つまり、勝負の日である。
しかもちょうど同じクラスで斜め前の席だから、何かチラシのことで問題があれば、朝のうちに言ってくるに違いない。
俺は、いつも友人が登校してくる時間に合わせて、自分の席で待つことにした。
まだかまだかと、まるで恋する乙女が男を待っている時のように、教室のドアを見つめていた。
八時二十分ジャスト、その時が来る。
僅かながらに眉が動いた。
緊張しているのだろうか。
友人が席へと向かってくる最中、いつも手を振っている俺だが、今日は振らなかった。
向こうからのアクションを待つのだ。
そして、友人は特にこちらを気にする様子もなく席へ着いた。
五秒、十秒、徐々に時計の針は動いていくが、一向に友人からの動きはない。
何も、無かったのだろうか。
「あっ、そういやアキト、チラシの件なんだけどさ」
「お、おう」
いや、来た!
ビンゴだ、チラシのことで何かあるのも確定した。
問題は、その内容だ。
やはり、ただ叱られるだけか?
心の中でグッと、固唾を呑んだ。
「実は来週から新しい地域も配らなきゃいけなくなってさ、報酬増すからそっちも少し手伝ってくんね?」
「え?」
「あ、どうした? やっぱ今のままの方がいいか? まぁその方が楽だよな〜」
「ああいや、そうじゃなくてさ」
もしや、バレていないのだろうか。
それが好都合か不都合かはよく分からない。
大切なのは、真相が何なのか、ということだけだから。
「ん? どうしたんだよ」
「いや、そりゃありがたいんだけど、その、何かなかったか? 先週の金曜、俺が配った箇所について何か」
「いやー? 別に。何お前、何かやらかしたの?」
少し、口元が歪んだ気がした。
「いやいやまさか。もう何回も回っている場所だぜ、そりゃないって。ただ、チラシのことって言うもんだから、つい何かしたんじゃないかって、身構えちゃってさ」
「ああそういうことね。大丈夫大丈夫、特に問題ないよ。それより、その反応なら、新しい地域の方も手伝ってくれるってことでいいよな? なら、今週チラシ配る時にその説明するから俺の家来てくれよ」
「おっけい、わかった」
一連の会話を終えると、友人は前を向いた。
どうやら、バレていないようだった。
特に、今のところ他に変わったこともない。
叱られることもなかったし、良くも悪くも、いつもと変わらない一日だったな。
学校が終わると、念の為俺は、投函禁止の例の家へと向かった。
開閉はできないからきちんとした確認は出来ないが、配ったチラシは回収されているようだ。
だかやはり、人の気配がない。
午後四時半、今日もこの家には誰も居ないようだった。
そして、一台の白い車だけが置かれている。
結局なんだったのだろうか。
俺はホッと安堵したような、ガックリしたような、奇妙な感情に襲われながら、腑抜けたチャリ漕ぎをして自宅へと帰って行った。
勇気を出して投函したというのに、骨折り損のくたびれもうけとはこのことだ。
……。
……。
……。
────────────────
寝ていた。
いつの間にか夜中の三時を回っていたようだった。
明日は学校だ、早く寝なければ。
とはいえ、喉が渇いた。
水でも飲んでから寝ることにしよう。
俺は一階へと降り、蛇口を捻った。
微量の泡を立てながら注がれる水は、先週の濁った思考が浄化されそうな程に透明だった。
ただその時、異変が起こった。
コップに水が注がれる音と同時に、何か別の音が聞こえてくる。
何かを叩く音だ。
ガラスを叩く、鈍めの音。
玄関の方からだ。
水を注ぎ終わると、その音をよく聞くため、耳を澄ませた。
間違いない、玄関を誰かが叩いている音だ。
敢えて叩くと言ったのは、ノックのように手の甲や指の関節部分でドアを弾いているのではく、手の平か或いは別な何かで鈍く、衝撃を与えるように叩いている音がしたからである。
俺はその音に、妙な違和感を覚えた。
コップを持ったまま俺は、玄関へと向かった。
見ると、予想通り、玄関のガラスドアが鈍い音を立てながら揺れ動いていた。
だが、こんな時間に一体誰が、何の用で来るというんだ?
何に対してかは分からないが、俺は身構えた。
家族は既に家の中にいるはずだ。
わざわざ出かける用もないはずだし、仮にそうだとしてもスマホか何かで知らせるか、今この場で俺の名を呼べばいい話だ。
酔っ払いか?
いや、アパートやマンションならまだしも、一軒家を間違うことなんぞあるのだろうか。
まだ高校生の身だから分からないが、流石にそこまで酔っ払いも馬鹿じゃないだろう。
この十七年間、そんな輩は見たことがない。
それに、酔っ払いなら恐らくふにゃけた声を出すはずだ。
無言で、というのはあまりに怖すぎる。
ドアを叩く音のリズムは一定だ。
ノックのように三連続で弾く訳でもなく、ただ一発、ドンッという音が一定のリズムで流れてくる。
これも、何か変だ。
ぐっと、コップを握る手に力が入った。
「あのー、何か御用でしょうか?」
自分でも、よくこんな声が出せたと思う。
中々に不気味な状況だ。
普通なら取り乱して逃げているところだろう。
すると、音は途端に止んだ。
……?
一体なんだと言うのだろう。
やはり酔っ払いだったのだろうか。
酔っ払いが俺の声に気づいて、この家が自分の家ではないと気づき、恥ずかしがりながらそそくさと帰っていったのだろうか。
よく分からないが、とりあえず異変はおさまったようだ。
俺は消化不良を起こしつつも、階段を上っていった。
……そのとき。
「っ!?」
再び玄関のドアが叩かれ始めた。
それも、先程とは打って変わって激しくだ。
一定のリズムであることに変わりはないが、その間隔は明らかに短くなっていた。
俺は脊髄反射の如く後ろを振り返り、距離を保ったまま玄関を眺める。
誰かが威圧感と恐怖感を与えながら、走ってこちらへ向かって来るような気がしてならない。
緊迫感のある、迫真なリズムだ。
そして、それが十数秒程続くと、今度はそれに加えて郵便受けの口までもが、玄関同様に激しく唸りをあげ始めた。
尋常じゃないスピードで開閉が行われていた。
普段雷なんぞでビビりもしない俺だが、正直チビりそうになった。
郵便受けが開かれる音と閉められる音がほぼ同時に鳴り響く。
かじかんで歯がガタガタと音を立てるよりも微妙に速い。
この音を立てるのが別のものなら納得できたかもしれないが、郵便受けという開閉の機会がそこまで無い物故に、恐怖心が増す。
ドアが表、郵便受けが裏拍を取るようにして、鈍い音とやや高めの音が交差していく。
そんな時、嫌な予想が脳裏を過った。
「郵便受け……」
そう、郵便受けだ。
今異常が起きているのは、つまりポストなのだ。
これはもしかしたら、そういうことなんじゃないだろうか。
先週のチラシ配りが、今になって異変を見てきたんじゃないだろうか。
だとしたら一体何が起こっている?
幽霊か?
幽霊なのか?
流石に一般人がチラシを投函された恨みでこんな事をするはずはない。
幽霊でないにせよ、間違いなく怪奇現象の一種だ。
瞬間、さらに鈍く大きな音が一撃、玄関に食らわされた。
それでも音は鳴り止まないし、その大きな音も1回だけだったが、とにかく俺にはそれが何か、嫌なものにしか思えなかった。
何か、玄関のガラス戸に付いているのが分かる。
なんだろうか。
俺は気になって、右ポケットに入れていたスマホを取りだし、ライトを点けた。
そのまま、ゆっくりとスライドしていき、玄関を照らしていく。
鼓動、というか脈が嫌にバクバク鳴る。
こう、ただ早くなるだけじゃなく、大きくドクンドクンと、体に異変でも起きた時のように、今にも死にそうな時のように脈を打っているのだ。
一体、何が。
「っ!!」
玄関を照らす最後の瞬間、大きく縁を描く感じで素早く照らしにいった。
その先でライトに照らされたのは、ガラス戸の向こうにべっとりと付き垂れている血だった。
しかも、その向こうに人影らしき姿は見えない。
「お、おわ゛ぁあああ゛あ゛あ゛あああ」
手に持っていたコップはいつの間にか手から落ち、破片となって階段を下っていった。
ひんやりとした水が俺の足を濡らす。
いつにも増した雄叫びをあげると、俺は慌てながらスマホのカメラ機能をオンにした。
自分でもこの時、この異常事態に恐怖していたのか、むしろ興奮していたのか、よくわかっていない。
ただ本能的に俺は、これを写真に収めなくてはと思った。
「お、おおおおいそこの何かよく分からんがドア叩きまくってるやつ! いいか? 少なくともお前が普通の人間じゃねぇことは分かった。幽霊か何かの類なんだろ!? 俺が配達禁止の所にチラシ配ったことが何かの禁忌に触れたってことなんだろ!? なぁ! いいぜ、来いよ、やってやるよ、今からこの俺が、写真部としての意地を見せて、お前を写真で撮ってやる。幽霊だなんだつっても、所詮は古典的な脅かし、人間の目は騙せても現代の最新技術であるカメラの目は誤魔化せねぇからなぁ! 殺せるもんならやってみろ、お前の行動は全部写真が記録してくれる!」
長ったらしくそんなことを一人で言い放つと俺は、スマホのシャッターを押した。
手ぶらの俺は、カメラを武器に化け物に反撃したのだ。
音は鳴らないが、フラッシュの点滅でこの異常を撮れたことは確認した。
まだ中身は確認していない。
だがとりあえず、この場からは逃げないとヤバそうだ。
俺はスマホの電源を落とし、焦りながら階段を登る。
だが、先程零した水に足を掬われてコケた。
「っくそ!」
それから立とうともせず、何とか這うようにして階段をよじ登っていった。
破片やら水やらで登りにくさはあるが、そんなことはどうでもいい、今は逃げなければ。
「……は、はぁっ!」
冗談じゃない、B級のホラー映画じゃないんだぞ。
玄関のドアには血がびっしり?
今にも死にそうな展開じゃねぇか!
なんで興味本位でやったチラシ配りでこんな事に……!
……とにかく、今は一刻も早く俺の部屋に!
───────────────────
そこで記憶が途絶えた。
目が覚めると、俺はいつも通り、自分の部屋のベッドで寝ていた。
起きて早々、一番目に記憶の引き出しから取り出されたのは例の出来事だ。
思い返すだけで背筋がゾクゾクする。
ベッド横のカーテンを開けると、輝く朝日が部屋に差し込んできた。
いつも通りの、気持ちの良い朝だ。
ただそんな朝を迎えるも俺は、頭を抱えて考え込んだ。
「……」
昨日のは一体……?
もしかしたら夢だったんじゃないかと思ったが、そんな考えは次に発せられた言葉で吹き飛んだ。
「ちょっとアキト! なんで階段に破片と水が散らかってるの! 掃除しときなさい!」
下から響いてくる、母の声だった。
……どうやら、夢じゃないらしい。
という事は、写真も撮ってあるということだ。
俺の尻に敷かれたスマホを手に取り、恐る恐る写真フォルダを開いた。
朝日を迎えて眠い瞼を擦る時の細めた目のように、目から最大限に情報を抑制し、一度大きく顔を逸らた。
ホラー映画の時のように、いきなり化け物のドアップが映り込んできたら怖いものだ。
昨晩、スマホのライトで照らした時のように、じわりじわりと目とスマホの画面を向き合わせていく。
そして、見えた。
「あれ?」
だが、そこには意外なものが写っていた。
いや、正確には、何も写っていないことが写っていた。
まぁつまり何も変なものは撮れていなかったのだ。
ピントはボケているし、焦って撮ったものだからブレているが、写真のどこを切り取っても化け物のようなものが写り込んでいる様子はない。
しかも一番おかしなことに、玄関にべっとりとくっついていたはずの血が、写っていないのだ。
ポストはたまたま閉じている時の状態が撮れたのかもしれないが、こんなにも変哲のない写真が撮れるのはおかしい。
これではただ、階段に水をぶち撒きながら慌てて家の玄関を撮る変なやつだ。
だが、不思議なことに本当に何も無い。
間違いなく、昨日のことは夢じゃないのに。
俺の目がおかしいのかと思い、少々見せるのは気が引けるが、チラシ配りの友人や家族にこの写真を見せたが、皆俺と同じものが見えているようだった。
まぁ、何も起きていないのなら、それでいいのだ。
金曜日になり、なんやかんやあって俺は、元々やっていた地域ではなく、新しい地域を丸々担当することになった。
代わりに友人が、元々俺と友人で分担していたエリアを一人でやることになった。
だからあの、例の投函禁止の家にはもう立ち寄ることは無いし、長らく立ち寄っていないのだが、正直それでよかった。
あれから変なことは起こっていない。
何日かはビクビクとした生活を送っていたが、二ヶ月も経った今はピンピンしている。
だからといって、またあのチャレンジをするつもりはない。
もうあんな出来事に会うのはゴメンだ。
そう、いつも通りの何ら変哲のない日常が幸せなんだと、あの時、俺は身に染みて感じたのである。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
今回のお話はお楽しみいただけましたかね?
読者の方々が「ひゃっほーい!!!!!!!」と声を大にして叫べるような作品を志してどんどん投稿していくので、楽しんでいただけたのであれば幸いです。
まだまだ字書きとして未熟な者ですが、レビューやコメント、ブックマークをしてくださると、活動をしていく際に大変励みになります。
是非よろしくお願い致します!