ウオノメ様/垢BAN
一歩ずつ、一歩ずつ丁寧に踏みしめる。時折吹く冬の北風に煽られ、身体が押し倒されそうになるのを何とか踏ん張りながら、僕は目指している対岸を見据えた。
僕は今湖の上にいる。といっても泳いでいるわけでは無い。冬の厳しさに耐えかね、ついに水面が凍ってしまった湖の上を歩いているのだ。
山道を降り、荒野を抜け、最短距離で目指したフユツキ村は、丁度湖を挟んだ反対側にあった。地図で確認する限り、湖は半日もあれば横断できる程度の大きさだ。もしも周りを回っていくならば、およそ三倍の時間がかかることになる。であれば、行くべき道は決まったようなものだった。
そしておよそ二時間が経過した。未だに対岸は影も形も見えず、もはや自分が前に進んでいるのかも曖昧になってきた。その度に僕は手持ちのコンパスを使い自分の目指す先を確認する。気づけば二十五度もズレていた。
前にだけ進むのなら滑っていけばいいが、氷の道は全面に開けている。ほんの僅かな斜面が致命傷となって進む先を狂わせていく。方向の修正はそれだけで一苦労だ。底の擦れた靴はスパイクの役割など果たせるはずもなく、氷面の小さな凹凸を探りながら修正していく必要がある。
氷面を蹴ると、四十五度ほど正面からズレる。あと二十度。もう一度蹴って逆向きに三十度。残り十度。時折り四足歩行になりながらも、なんとか十度の修正を終える。
そして方向に気をつけながら、一歩ずつ踏み締めてまた歩く。正直嫌になる。湖の周りを回った方がずっとラクだったに違いない。手足の冷えも、この氷の道を進むよりかは幾分かマシだった筈だ。
『急がば回れ』なんて言葉を思い出す。確かガンギスに教えてもらった極東の諺だ。意味は『危険な近道よりも安全な本道を選んだ方が結局早く目的地に辿り着く』というものだ。なるほど、広く的を得ているように思える。
しかし今回はどうだろうか。示された二本の道は、危険な近道と安全な本道ではない。危険な近道と手遅れになる道だ。時間制限を知ったのはつい四時間前のこと。荒野を抜けるよりも前。山道を降りるよりも前。獣と草履の足跡があったあの分岐点を進んだ先で僕は知った。
足跡の道は僕にとって確かに遠回りだった。しかし、だからこそ僕は時間制限を知ることができ、致命的な手遅れになる道を回避できた。
やはり『急がば回れ』は的を得ている。
手遅れになれば、フユツキ村の怪物と相見えるのチャンスは無かったのだ。実際には運が良ければ会えるだろうが、それは偶然道端に大金が落ちている可能性を完璧には否定できないからという理由で、誰でも金持ちになれると言っているようなものだ。残念ながら金持ちになれるのはごく少数。都会に住む彼らと違い、こんな辺鄙な山岳に住む僕たちには縁のない話だ。僕たちが求めるのは、食糧と安心と明日だけだ。
ところで、僕に時間制限を教えてくれた少女がいる。草臥れた草履を履いて、オオカミに襲われていた悲劇の少女。食糧も安心も、明日でさえも奪われた少女。
彼女のことを思い出すまいと務めるも、それが逆に彼女を鮮明に映し出す。波を沈めるために水に浸けた手が、さらなる波紋を作ってしまうみたいに。背負いきれないと、振り解いた筈の彼女を、しかし想わずにはいられない。
僕がオオカミの群れに追いついた時、少女は既に手遅れだった。手足にオオカミの噛み跡が酷く残り、頭部からの出血は雪の地面を鮮やかな赤に染めていた。
魔法の杖が放った雷撃はオオカミ達を一蹴し、一瞬で数匹を焼き払った。それを見た残りの群れがバタバタと慌てて森の奥へ逃げるのを放置し、僕は少女の元へ駆け寄った。
少女は肩を揺らし、唇を青くしている。けれどその目に涙は無く、また悲鳴すらもあげなかった。
「大丈夫、痛くないよ」と、震える声で少女は語る。
そんな訳がない! 段々と紫に腫れ上がる噛み跡は見ているだけでも痛々しい。けれど、やはり彼女は大丈夫と言う。恐らく冬の寒さで痛覚が麻痺していたのだ。
けれどそれはおかしな話だった。キチンとした防寒をしていれば、痛覚が麻痺するなんて事にはならない。彼女は薄着で、防寒なんて全く出来ていなかったのだ。オオカミに食い破られたのなら、それはついさっきの筈で(血の跡はこの辺りにしかないので)、しかも服の残骸はどこにも残っていない。それはつまり、彼女は初めからこの雪山をほとんど裸で駆けていた事になる。こんな小さな少女が、たった一人で。それは彼女の持つ不幸で残酷な境遇を容易に想像させた。
「アナタ……ねぇ、アナタは、ワタシが可哀想だと思う?」
「うん、可哀想だし、救いたいんだ。だから、もう喋らないで……」
少女は時折りゴホゴホと血を吐き出しながら話を続ける。
「もうムリよ。ねぇ、お願い。ワタシの代わりに妹を救って」
「妹? いったいどういう」
「……ワタシはイケニエだったの。ウオノメ様に……ササげて、村のホウジョウをお頼みするの」
少女は目を細め、懐古に浸るように遠くを見つめる。もしかしたら、ただ眠気に襲われているだけなのかもしれない。
「ワタシ、イヤ、だったから。ウオノメ様、なんてよくわからないし、まだ死にたくなかったから。ワタシ、トカイに行きたかったの。大きな建物がいっぱいあって、たくさんのお店がある、らしい。でももう決まっちゃったって、言うから、ワタシ逃げたの。いっぱい歩いて、トカイまで逃げようと思って。でも、途中で気づいたの。ワタシにトカイのこと教えてくれたの妹だったって。『友達から聞いたんだ』って、そう言ってたわ。
イケニエは、一年に一回。それぞれの家が順番に出さなくちゃいけない、から、ワタシがいないなら、妹がイケニエになっちゃう。そう、気づいて、引き返したらオオカミが居て、ワタシ、何もできなくて」
少女は僕の腕を掴んで力を込める。それはあまりにも弱々しい。けれど間違いなく彼女は最期の力を振り絞っていた。
「湖、あの凍った湖にイケニエを滑らせるの。ウオノメ様から合図があったら、その二日後の夜までに。今日、二日目だから。お願い、今からなら間に合うの。妹を、救って」
腕に伝わっていた手のひらの感覚が消えた。少女はだらりと腕を下ろし、完全に目を閉じた。彼女はしんと静まり返ったまま、雪のようにその命を溶かした。
その時、僕の心に、ずんと重しのようなものが乗っかるのを確かに感じた。岩より重く、鉄より硬く、蜘蛛の巣よりも払い難い。
一方的な少女の願いに、僕は心底勘弁してくれと思った。
彼女の境遇は不幸だ。可哀想だと本当に思う。けれど、それだけだ。僕は部外者で、祈る以外になにもできない。僕はもう既に色々と背負っているんだ。これ以上は無理だ。
僕はせめてもの祈りだと、少女を土に埋めてその場を立ち去った。山道を進む最中、未だに跳ねる心臓を抑えるため、僕はゆっくりと歩くよう努めた。けれど、反対に身体は走り出していた。山を駆け下り、荒野を走る。僕は体力など考えず、ただただ走った。もしかしたら、それは彼女を振り払うためだったのかもしれない。実際、酸素が薄れるほど彼女の血に塗れた顔も薄れていった。
けれどやがて湖に着いた時、僕はやはり彼女を思い出した。息を切らして肩を揺らしながら、僕は湖の先を見据える。
確かに、僕は怪物を殺すことが目的だ。でも僕が殺したい怪物は、あのコウモリのような怪物だけなのだ。
彼女の話では、ウオノメ様が現れるのは一年に一度。ここを逃せば、遠回りになってしまう。だから、これは仕方がないことで、彼女の願いは関係ない。
そう言い聞かせながら、僕は氷の湖に一歩踏み出す。足元は不安定で、今にも転びそうだ。僕は、自分のために歩き出す。少女を記憶の奥に丁寧に仕舞い、僕は対岸を目指した。
ようやく対岸が見えてきた。まだまだ到着には遠いが、先が見えると心の持ちようが随分と変わる。何より逐一コンパスを確認しなくとも目指す先がわかるので、これまでよりも格段に早く進むことができた。
日は既に真上を過ぎたが、夜になるにはまだまだ随分と高い。彼女が言っていた『二日目の夜』には十分間に合う。ウオノメ様があのコウモリの怪物かどうか、ようやく確かめることができる。もしコウモリの怪物だったなら、僕は有無を言わさずウオノメ様を殺すだろう。けれど、もし違ったなら……僕はどうすべきだろうか。
その時、僕は足裏に微かな振動を感じた。地震とも違う、何か巨大なものが動いているような感覚だ。
「……なんだ?」
僕は辺りを見渡したが、一面の白銀に変わりはない。何が起きている? と思考を巡らす間に、さらに振動が大きくなる。
振動はもはや地震と遜色無いほどに膨れ上がり、足元の氷にバキバキと亀裂を走らせた。
僕はようやく気づいた。下だ。この下に巨大な何かがいる!
危機一髪。思いっきり横に跳ぶと、先ほどまでいたその真下から、巨大な魚が大きく口を開けて飛び出してきた。
舞い散る氷が日の光を反射して煌めいて、怪物の登場を優雅に彩る。
魚。第一印象はまさしく巨大な魚だった。
そして巨大な魚は異形であった。魚は全長十メートルに至るほど大きく、全身を鱗で覆い、筋肉質な四本の足には水かきと鋭い爪を生やしている。巨大で鋭い歯を携え、口の周りにはナマズのような二本の長い髭を伸ばしている。だがなによりも恐怖を煽るのは、ニヤケ気味の口の上に毅然として構える巨大な単眼だ。
僕は恐怖で顔が引きつり、二歩三歩と後ろに下がった。
魚は氷の上にその身を乗せ、単眼をゆっくりと動かして僕を見据えた。
少女の言葉を思い出す。
『二日後の夜までに』
そうだ。『夜に』ではなく『夜までに』だ。僕は夜に間に合うようにフユツキ村を目指していた。それは夜に生贄が捧げられると思っていたからだ。けれど実際には生贄が夜である必要は無い。そしてこの凍った湖こそ、生贄を捧げる地――言わば祭壇だ。つまりこの魚にとって――ウオノメ様にとって、僕こそが生贄だ。
ウオノメ様は氷の大地を蹴り上げ、巨大な肉体を素早く前進させる。捧げられた生贄を捕食するべく、再び大口を開けて僕に迫った。
×
時は一月二十四日。『ヴァンパイアテイルズ』における最初のレイドバトルがついに始まった。春海と鮎川を含めた十数人が、怪物の登場を今か今かと待ちわびている。
「うおっ、滑るなコレ」
鮎川はそんな小言を漏らしている。腕を前に後ろに、あるいは足を右に左に、ぐらぐらと揺れながらも何とか転けるまではいかないようバランスをとっている。
鮎川が動くたびに、彼女の腰まである赤色のツインテールが揺れ動く。春海はそれを眺めながら「全然慣れないなぁ、この感覚」と呟いた。
鮎川はそれに同調するように肯いた。
「わかる。自分は横になってるはずなのに、頭の中じゃどうにか立つようにバランス取ってるって……なんて言うか、おかしな感覚」
春海はそれに「うん」とだけ返した。しかし実のところ、春海の違和感は鮎川に対してのものだった。
このゲーム風に言うならば並行世界において(あえて名付けるなら『鮎川世界』において)、主人公ケリーは女性であったらしい。凛とした鋭い目つきと、ツンとたった高い鼻が特徴的で、言わばクールビューティーな顔立ちだ。そんな顔面の印象とかけ離れたアニメチックな赤髪ツインテールがまずギャップを産み、さらに口を開けば男声の低音が響くので、なお滅茶苦茶だ。
しかし、ここに集まる十人の中では雪に白鷺、闇夜に烏。彼らのカラフルで毒々しい髪色の中では、むしろ一人しかいない黒髪の方が目立っている。春海は見事なまでに黒の短髪だ。
そしてカラフルなのは髪色だけでは無い。
「みんなこの時点で色んな武器持ってるんだなー。俺はあんまり過去武器使いたく無いから、今回は大人しくキャリーされてあげるよ」
鮎川はフフンと鼻を鳴らす。
「なにが『されてあげる』だよ。まぁ、満更でもないけど。せっかくエンドコンテンツ持ってきたんだから、キャリーできなきゃむしろダメだわ」
「この効率中め」
春海はそんな言葉は意に返さず、自身が持つ魔法の杖を手の中で遊ばせた。
魔法の杖――前作における最強武器。実際、この武器を使ったことで、ここまでなに一つ苦労することはなかった。他のプレイヤーの中にも同じ武器を持っている人がちらほらいる。
他のプレイヤーの武器を見てみるとアックス、両手剣、ショットガンにボクシンググローブと多種多様だ。
これらが世界観を壊していると言われれば、もはや肯く以外にあるまい。だからと言って、これらの武器を使うなと言われれば、かぶりを振ってそれに答えることになる。
これらのバラエティーに富んだ武器種は、何れも過去作を全て含めたテイルズシリーズの武器である。春海にはこの縦の繋がりが、まるで株式会社パラレルの歴史を物語っているかのように感じるのだ。確かにケリーの物語には似合わないが、テイルズシリーズにはワンピースと麦わら帽子のようによく似合っている。
ふと、ガヤガヤと騒ぐ他プレイヤーの声が耳に入ってきた。
「ちょっとトイレ行ってくるわ、あと何分?」
「えー、あと五分くらいじゃない? 早くしろよー」
「ういー」
あと五分。春海はその事実を飲み込むのに時間がかかった。体感では、もっともっと先のことのように思えていたのだ。前回のレイドが二年半前のこと。それだけの時間のうちに、最早続きは出ないのではと、一度諦めてしまった心が未だに春海の中で燻っていた。
春海はブルブルと体を震わす。この氷の大地では自然なことのように思えるが、その実、寒いから震えているのではない。それは期待と不安の現れだ。春海はパラレルが好きだが、全てを肯定している訳では無いのだ。光あるところには影も生まれる。これまでのレイドにおいて、あまり褒められたものでは無かったものも少なからずあった。
今回はどうだろうか。少なくともここに集まった十人の中に、ネガティブな期待を向ける者は一人としていないはずだ。
「シュンカイさん」
すると突然に、後ろから話しかけられた。春海が振り向くと、そこにはおかっぱ頭を金に染めたスレンダーな少女がいた。
一体誰だ? と訝しんでいると、少女の頭の上に黒地に白文字のポップアップが現れた。そこには[この]と書かれている。
「……あぁ、このさん。お久しぶりです」
「お久しぶりです。二年半ぶりですね」
話しかけてきたのはこのさん。直接尋ねたことはないが、可愛らしいソプラノ声から察するに恐らく女性だ。
彼女とは前前作でのレイドで出会った。春海からしても、彼女はかなりのやり込みプレイヤーだ。春海が最高ランクの到達した時には、既に彼女は上位プレイヤーとして界隈で名が通っていた。それは数少ない女性の上位プレイヤーであったことも少なからず関係しているのかもしれないが。
ところでシュンカイとは春海のハンドルネームだ。春海を春海と読み替えただけだが、それなりに長く使ったので今や愛着も湧いている。
このは垂れた髪の毛を耳にかけながら話を続ける。
「今まで何度かご一緒しましたが、早速同部屋になるとは思いもしませんでした。やってないって事は無いだろうと思ってたんですけど」
「ははっ。そりゃ、もちろんしますよ。こんなに好きなゲームは他にないんですから。それによくよく見れば知った名前も多いですよ」
春海の言葉を聞いて、このはキョロキョロと辺りを見渡す。そして可愛らしく「あら、ほんと」と呟いた。
「確かに、言われてみれば。そこにいるAYUさんとかも覚えてます。あんな事があったので、みんなやめちゃったんだと思ってました」
「あんな事……って、あぁ、最終レイドの話ですか? 確かに、あれは今までより幾分理不尽な難易度でしたが……どちらかと言うと二年半も期間が空いてしまったことの方が、人が離れる要因になっていそうじゃないですか?」
「まぁ、それも耳が痛い話ではありますけど……」
と言って、このは微妙な表情を見せる。困っように眉を下げ、上目遣いで除く様はとても可愛らしい。
「そうじゃなくて、ほら、垢BAN騒動ですよ。『ある特定のプレイヤーと出会うと、アカウントがBANされてしまう』なんて噂が流れてたの、覚えてませんか?」
垢BANとは、システムの運営者が利用者に対して利用を制限、もしくは完全に禁止する行為を指す俗語だ。チートなどと言われるゲームの改造行為や、迷惑行為を繰り返すプレイヤーなどがBANの対象になる。ただし、改造や迷惑行為が即座にBANされると言うわけでは無い。運営も全てのプレイヤーを完全に監視できるわけじゃないので、結局のところプレイヤー同士の通報が垢BANを引き起こす最大手だろう。また、オンライン上で無ければ、基本的にBANされることも無い。それこそ『ヴァンパイア・テイルズ』も、ストーリーをなぞるだけであればオンラインになる必要は無いため、俗にMODと言われる改造データを入れてプレイする人間も少なからずいる。
と言っても、健全に遊んでいれば無縁の言葉だ。テイルズシリーズでの垢BANと言えば「MODを入れたままオンラインに入ってしまって、すぐにオンラインから弾かれた」がほとんどだ。春海はそれらを自業自得としか思っていなかった。そんなものが『騒動』なんて呼ばれるほどになるのか?
「すみません。やっぱり分かんないですね。SNSやってないので詳しく無いんですが、トレンド? に上がった? とか、その程度では無くて『騒動』なんですか?」
「間違い無く『騒動』でしたよ。なにせ、その件で運営への問い合わせが一日で五千件もありましたから。普段は多くても百件です。五十倍ですよ、五十倍。まぁ、全員が被害者では無くて、ほとんどが事実確認見たいなものだったんですけど」
「五十倍……!」
その異常さは、春海でもよく分かった。確かに、それだけの人が動けば『騒動』と呼ぶに相応しい。そう思った春海の中に、一つ疑問が生まれた。
「それで、どんな問い合わせだったんですか?」
「あれ、シュンカイさん聞いてませんでした? 『ある特定のプレイヤーと出会うと、アカウントがBANされてしまう』ですよ」
「でも、それはおかしくないですか? パラレルの垢BANは確か、AIを利用して『間違いが無く、しかし迅速に不法利用者を排除する』みたいな触れ込みだったと思うんですが」
「だからこそ、誤BANが大量に発生したことが騒動になったんですよ。AIへの信頼からか、当時はプレイヤーの通報機能を付けて居ませんでした。プレイヤーネームを挙げて問い合わせされる人もいましたが、同じネームの人も多いばかりか、各プレイヤーで挙げる名前が違ったりと、対応が難しい状況でした。結果として、その『特定のプレイヤー』を運営は補足できずじまい。運営は次回作から、つまり今作から、AIだけで無くプレイヤーの通報機能を加え、更に同一のプレイヤーネームを禁止にしました。これが騒動の顛末です」
「……なるほど」
聞けば聞くほどに、春海には衝撃を与えた。同じ界隈に居ながら、そんな事を少しも知らなかった自分に対する不甲斐なさがじわじわと湧いてくる。
「それって、いつ頃あったんですか?」
「えーと、前作の最終レイドの初日辺りだったと思います」
前作の最終レイド初日。春海は、なるほど、と腑に落ちる。その時期なら、確かに、知らなくてもおかしくはない。
と、その時だ。春海はまだ一つ疑問が湧いた。
「……このさんは、さっき『各プレイヤーで挙げる名前が違ったり』って言いましたよね? そして『特定のプレイヤー』とも言いました。これって矛盾していませんか? だって名前が違うなら、特定の、では無く集団でやってる可能性の方が……」
「あぁ、それは見た目ですよ」
「見た目?」
「はい。そのプレイヤーは名前をコロコロと変えながらも見た目だけは変えませんでした。実際には、見た目での通報が一番多かったんですよ? 『おかしな見た目の奴がいる。これは改造じゃないのか?』って」
「それは――どんな見た目なんですか?」
このは迷うように、あるいは頭の中を探るように顎の下に人差し指を置いている。それほどに複雑な見た目なのか。春海がそう思っていると、耳に届いたのは対照的な響きだった。
「顔の半分がドクロで、半分がゴリラの侍です」
「?」
疑問に思いながらも、春海の頭の中に映し出されたビジョンは、驚くほどに精巧だった。