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プロローグ/発売前に

 怪物の声がする。五臓六腑を揺らし、三千世界に響き渡るような、そんな声だった。

 怪物はコウモリのような姿をし、その体長は五メートルを優に超していた。

「ケリー! 早く立て」と父さんが叫ぶ。その叫びは怪物に比べると随分と矮小で、僕たちの無力を思わせる。僕たちはこれほどにちっぽけなものだったのか?

 父さんは手斧を持って怪物に立ち向かう。唸り声をあげ、思い切り振り下ろした手斧は怪物の皮膚を撫でただけだった。けれどそれは無意味では無かった。なぜなら、それでようやく怪物が父さんを敵と認識したからだ。

 怪物の全てを吸い込むような黒い瞳に、父さんの形相が写る。僕のいる場所からではどんな表情かまでは分からない。けれど、それは簡単に予想がついた。父さんは二度と手斧を振るうことは無かった。

 僕は腰砕けになったまま、目の前で父さんが惨殺されるのを見ていた。

 怪物は鋭いナイフのような爪ではらわたを切り裂き、鞭のようにしなる尻尾を頭に叩きつけ、そして悪魔のような笑顔を見せながら全身を貪った。

 行き過ぎたグロテスクは、もはや僕の笑いを誘っていた。

 辺りに血の池が産まれ、怪物が食事をやめた頃。怪物は黒曜石のように煌めく翼を広げ、どこかへと去っていった。

 僕は呆然として地べたに座り込み、怪物が去った理由を考えていた。

 人間一人で満足したから? なにか活動に制限があるから? それとも、()()()()()()()()()()

 答えを得ることは無い。五分かけて回答不能という結果を飲み込み、僕はようやく立ち上がった。数歩歩いて血の池を目指す。かつて父さんだったそれは冬であるというのに未だに暖かい。手で掬って探ってみるが、骨も肉も残っていなかった。父さんはきれいに平らげられていた。

 酸っぱい匂いが鼻を覆って、僕は目の下に涙をためる。それでも何かを求めて血の池を探ると、一つ重いモノが手に当たる。拾い上げるとそれは手斧だった。

「うっ……あっ、あぁ、ああああああ!!」

 僕は手斧を胸に抱いて叫んだ。咆哮は木々を揺らし、雪崩を起こして村を壊滅させ、空を覆う雪雲を蹴散らした。それほどに叫んだ。偶然か、差し込んだ雲間の光が僕を照らす。眩しさに目を細めながら、僕は灰から青へと変わる空を見上げた。


 ×


 十二月に雪を期待する、というのはもはやジェネレーションギャップである。ホワイトクリスマスは鳴りを潜め、新たにSNSのトレンドに上がったのはホワイトバレンタインだ。

 そのままクリスマスなんて消え去ってしまえ、と春海(はるうみ)明久(あきひさ)は思う。今年はとりわけそうだ。クリスマスに部屋で一人であるばかりか、したくもない作業を強制されている。

 頭に着けたヘッドセットから声が聞こえる。

「この前バイトテロが話題になったの知ってる? やったのうちの高校のやつらしくて笑ったわ」

「それはやばいな」

「まじでやばい。光の速度で特定されてたわ」

 声の主は大学の友人である鮎川(あゆかわ)(ひろし)だ。彼はいわゆるネットオタクである。とはいっても一日中パソコンに張り付いているというわけでもなく、それなりにフットワークが軽いのが彼の特徴だ。ダーツ、ビリヤード、ゴルフ、カラオケ、パチンコ、呑み、食事、春海がいろいろと誘った中で、彼の参加率は友人の中で断トツだった。そんな彼だからこそ、神聖なる二十五日の午前一時になっても作業通話を続けている。

「鮎川の高校どこだっけ?」

角城(かどしろ)よ、角城」

 春海は聞いたはいいが特に覚えが無かったので「あー」と適当に返事をした。「適当だなぁ」と鮎川が笑いを含みながら言う。普段ならもっとマシな返事が出来るのにと春海は思う。鮎川もそれを悟ってか「今どれくらい?」と聞いてきた。

「ん?」

「『ん?』じゃなくて、()()、どれくらいよ。もうそろそろ通話も六時間になるけど」

 六時間という時間の経過を改めて知覚し、自分の遅筆さを思い知った。明久はパソコンに書き込まれた未完の卒論に目をやる。文字数カウントを起動し、現れたのは一万四〇五三字。規定である文字数二万字にはまだ届いていない。

「まー、ぼちぼちかな」

「そっか。もう眠くなってきたから、まぁ二時には落ちるわ。こっちはひと段落したし」鮎川は軽く欠伸をしている。鮎川は卒論を既に書き終えており、現在は二月の大学院試験に向けて勉強中だ。ひと段落とは、彼が先程までしていた過去問の採点が終わったということだろう。

「おっけ。ところでそっちはどれくらい?」という春海のイマイチ的を得ない疑問を、鮎川は的確に理解した。

「八割五分。合格が六割だから、このままいけばイケるかなぁ」

「おぉ、すごいじゃん」と言いながら、先ほどの鮎川の欠伸がうつったのか、春海は大きく口を開けて目尻に涙を浮かべた。

「めちゃくちゃ眠たそうだな。明日卒論見返した時に文章酷すぎて死にたくなってそう」

「やめてくれ……まじでそうなりそうだから」実際、彼の指摘は適切で、少し見返しただけでも誤字脱字が散見した。けれど今直す気は無かった。締め切りは一月二十日なのだ。まだまだ推敲の時間はある。それでもこうして急ぐにはきちんと理由があるのだ。

「まあ、でもアウトラインは出来上がってるし。あと文章書いて、誤字修正するだけだから、十日には間に合いそう」

「十日か……俺はバイトあるから初日は無理そうかな」

「まぁ、レイドに間に合えばいいよ」

 一月十日はVRゲーム『ヴァンパイア・テイルズ』の発売日である。『株式会社パラレル』の手掛けるテイルズシリーズの四作品目であり、春海はその大ファンであった。

「いやー、本当……楽しみだわ」春海は伸びをしながら語る。先程まであった集中力はどこかへと消え去ってしまった。

「にしても春海は健気だよね。わざわざ自分が()()()()()()()()()()をするなんて」

 鮎川の言葉の意図を春海は計りかねた。春海は確かにパラレルへの就職が決定していた。そう言う意味では就活で見せたパラレルへの態度は健気そのものであったのかもしれない。けれどパラレルのゲームをすることが健気であるということには繋がらないはずだ。テイルズシリーズが好きだったからこそ、春海はパラレルを選んだのだから。順序が全くの逆だ。

「どういうこと?」と春海は結局直接聞いた。

 鮎川が答える。

「どういうことって……そんなに自分の会社に情熱持ってる人なんてイマドキそんなにいないよ。雇われなら特にね。それに春海はデザイナーでも、プログラマーでもないんでしょ?」

 その言葉は春海の目を覚ました。春海は思う。鮎川は時折り、悪意なく人を傷つけることがある。友人であるからと言って全てが好きではいられない。

 春海の大きな二つの後悔のうちの一つが、まさしく鮎川の言葉の中にある。

「まぁ、営業か総合職かな。今のところ」

 情熱を持って仕事に挑む。自分の好きなことを仕事に選ぶ。会社に終身までその身を捧げる。そんないまや古くなった価値観を、春海が持っているとは鮎川は微塵も思っていなかった。若者は皆、転職を繰り返し、給料と休日と人柄で仕事を選ぶ。やりがいは後回し。鮎川がそう思い込むのはネットオタクゆえだと、春海は考える。大学院を目指すにしたって、より良いキャリアを狙ってのことだと聞いている。

「今更専門学校行ってゲームクリエイター目指すのも、まぁ違うかなって」

 新卒採用でもゲームエンジニアになれる人間はいる。一年目から第一線で活躍するスーパープレイヤーは必ず現れる。そういった天才への嫉妬が自分の選択を急がせた。春海は就活を終えて半年が経ったいま、改めてそう思う。けれどそれは後悔ではない。春海の後悔は「もっと早くに目指していれば」だった。例えば高校生くらいから目指していれば、自分もそんなスーパープレイヤーになれたんじゃないか? なんてそう思うのだ。

「でも、やっぱり好きなモノに関われるのは誇りだよ。自分で作れなくてもね」

「ふーん。そっか」

 この問答で互いのなにが変わるわけでもない。そう分かっているからこそ、鮎川はそっけない返事で話題を終わらせた。結局、仕事への考え方なんてものは人それぞれだ。自分で選んだ道なのだから、その道で精いっぱい頑張るしかない。春海は思う。しかし、後悔するかしないかは別の話だろう。

「とにかく、楽しみだよ。最初のレイドはこれまで通り発売二週間後だと思うから、それまでに始めないとな」

「おう」

 今度の鮎川の返事は、雲も吹き飛ぶくらいに朗らかだった。何だかんだ言ったが、結局楽しみにしていたのは春海だけではないのだ。



 その後、春海が卒論を終わらせたのは一月六日のことだった。初日の出や初参りをパソコンと向き合い、ついに終わらせた卒論は、修正箇所はほとんどなかった。ゼミの教授から労いの言葉を貰い、ようやく心を休めると、目前には雄大な地平が見えるようだった。春海の所属するゼミでは卒論の提出のみで発表は無いため、これで完璧にやるべきことは消え去った。春海は地平を駆け出した。四日後はすぐそこに迫っている。

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