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ルゴシク山「導火線」



 城の兵士の半分は出払っている。

 牢屋の錠を開けたキムとベルナは地下室を後にした。首尾よくまばらとなった兵士たちの視界をうまくかいくぐりながら、慎重に城の中を進んだ。キムの手には地下牢にいた兵士から奪った棍棒が握られている。棍棒と一緒に頂戴したナイフは囚人服であるつなぎの上から突き刺して布地に穴を開け、鞘に戻してから下着のズボンに差した。

 キムの背後にベルナが隠れていた。

「おい、あまり押すなよ」あまりにも頻繁に背中に当たるベルナのこぶしが煩わしいので、キムが不満を漏らした。

「押すなって言われると押したくなる……」ベルナがクスクスと笑って、コンコンとキムの背中を叩いた。

「本当にお前はバカだな」キムがため息をつき、曲がり角から足を踏み出した……

 どすんと、出会いがしらに誰かとぶつかった。

 キムはとっさに棍棒を振り上げて、ナイフを差したあたりの腰を探った。

「待て。わたしだ」

 背の高い老人が深い声で言った。

 ピルツが両手を上げて立っていた。

「お前か……」キムがフッと息を吐いた。

「文官は城の中を任された。かえって好都合だよ。狙いどおり君と出会えたではないか」

「俺に会いに?」キムが嘲笑った。

「いやあ、渡した鍵をどう活用するのかと少し気になってね。首尾よくやっているようで。これからどうするつもりだ?」ピルツが尋ねた。多くの兵士が出かけていった城の外にはおおよそ無関心なようで、とても落ち着いている。

「リカ・ルカ様をお迎えに行く!」キムが力を込めて言った。

「ほう。そうまでして上司を敬うか。異端の者とはいえ、その心がけには感心だ。いや、それよりも、魔女じきじきにセボにお出ましする予定があるのか?」

「計画ではそうなっている」

「……であれば、わたしも動かねばならない。あとは君の気が済むようにするがいい。いろいろ教えてもらって助かったよ。お互いに目的を果たそうではないか」

 ピルツは愛想よくにっこりと笑った。

「なあ。誰かいるぞ」キムが曲がり角の方をギロリと睨んだ。

 ベルナとピルツも、キムが見る方向をじっと見つめた。姿は見えないが、かすかに揺れる人影が、廊下までぼんやりと伸びている。

 何かに気付いた様子のピルツがつかつかと早足で曲がり角に向かった。そして、何者かの腕を強く掴んで引きずり出した。

「ネレー・ドゥーラくん。ここで何をしている?」ピルツが微笑んだままで言った。こころなしか、目つきは冷たい。

「他の文官たちと明らかに向かう方向が違うので、何かお手伝いすることはないかと後を追ってきたのです」

 ネレーが乱暴に掴まれた腕をさすりながら、苦笑いを浮かべて言った。

「皆で同じ場所に固まっていても仕方がないだろうにと考えただけだ。用があればわたしから言うといつも言っているではないか」ピルツがやれやれと、首を横に振ってため息をついた。「そういうおせっかいなところが、君のよいところであり、同時に厄介なところでもあるな」

「それで……その者たちは一体?」ネレーが、蔑むような目で、囚人服を着たキムとベルナを顎でさした。

 それきりネレーが声を発する間も無く、キムが力任せに棍棒でネレーの側頭部を打った。文官のみがかぶることを許された四角い帽子が宙を飛んだ。

 どちゃっという鈍い音の後で、ネレーがうめき声をあげて床に倒れた。頭から血を流し、ピクリとも動かずに倒れている。

「何をやっているんだね」ピルツが汚いものを見るように顔を歪めて、キムに向かって言った。

「気の済むようにしろって言ったのはあんただろ。こいつ、俺をネチネチ尋問してくれたからな。エラソーでむかついてたんだよ」

 血のついた棍棒を肩にかついで、キムが満足げに言った。

「あーあ。この子やばいんじゃない?」ベルナがあわあわと、手を口元にやり、目を見開いている。

「おっさん、助けてやれば? 部下だろ」キムが気だるそうに言った。

「いや、いい。わしもすぐに出かけなければならん」ピルツは少しも動揺することなく即答した。

「えー。ひっどーい!」ベルナがキャハハと歓声をあげた。

「しぃっ! 静かにしろよ!」キムが慌ててベルナの口元を手で覆った。ベルナがもごもごともがいた。

 卒倒したネレーを残して、キムとベルナは互いにブツブツと文句を言い合いながら、廊下から廊下へと、忍び足で進んでいった。

 ピルツは厩のある方向へ向かっていった。

 床に倒れたままのネレーはうっすらと目を開けて、囚人二人と、ピルツの後ろ姿を見つめて、すぐにまた目を閉じた。







「効くわけないだろう。それっぽっちの力で」

 魔女が平然と姿を現した。

 魔女リカ・ルカが倒れたと思われた場所には、灰色の砂の山があり、さらさらと風に流されていた。

「無傷だ……」俊は一歩、二歩と、後ずさった。

「傷を与えた手応えがあったとしたら、それはわしが見せたまぼろしにすぎない」

 リカ・ルカはしっかりとした足取りでラートンの方に歩いていった。ラートンは驚きのあまり、その場を動けないようだった。

 逃げてと、夏季は言いたかったのだが、恐怖と驚きで、口は開くけれど声は出てこなかった。

 リカ・ルカがラートンの首元を捉えて軽々と締め上げた。ラートンのつま先がぶらぶらと宙に浮いている。

「修行が足らないのだよ、ラートン。王女にばかり気を遣っている場合ではなかったのう」

 リカ・ルカの口から「王女」という言葉が出た途端、ラートンの瞳は怒りに燃えて、相手を睨みつけた。

「なんだいその目は。どういうつもりだね。わしは今そちらの首をへし折ろうとしているのじゃよ?」リカ・ルカが首を傾げた。手に力が入り、ラートンの顔が苦しげに歪んだ。

 夏季は手元の剣を握り直して足に力を入れた。しっかりと足を踏み込んで、駆け出した。

 カイハも攻撃に加わり、夏季が突き出した水の剣は堅牢に凍りつき、魔女に突き刺さるように見えた。それと同時に無数の氷のつぶてが魔女めがけてぶつけられた。

 魔女は片手でラートンを締め上げたまま、もう一方の手に握られた杖だけで、弾丸のような氷の粒をすべて薙ぎ払った。そして夏季の剣を強打して、へし折った。無数の破片となって散った無残なかけらはすぐに水となって地面に吸い込まれていった。


「まだまだ!」

 夏季の隣で、ひざまづいた倫が地面に手を置いて顔を伏せた。倫は全身が震えるほど強く念じていた。低い地響きのような音が地面の下から湧き上がってきた。彼女の足元の地面がばこっと開き、太い木の根が突き出した。根と根の間にまたがるようにして倫は念じ続けている。彼女の腰の周りにはツタ植物がまとわりつき、根っこの攻撃に巻き込まれないよう彼女の身体を動かしている。

 夏季とカイハはその場を飛び退いた。

 木の根は猛スピードでリカ・ルカに襲い掛かった。首元を捉えた手が緩んだ瞬間、ラートンは咄嗟に魔女のそばを離れた。一人になったリカ・ルカは高笑いして杖を振り回している。

「さすがだな! ただの『雑草使い』という先入観からは想像もつかんよ!」

 木の根は次々に地面をこなごなに割り砕いて出現するためもはや地形は原型をとどめない。

 リカ・ルカは宙に舞う岩のかけらを足場にして飛び回った。

「あいつなんなんだよ!」俊が怯えるように言った。

「確かにあんなに動けるなんておかしいわよね」倫が肩で息をしながら憎々しげに言った。

「いいや、トラル跡地でもかなり身軽に動いていたから」夏季は飛び回る老婆の動きを思い出していた。

「俊! 力を貸して!」

 倫が突然叫んだ。俊は一瞬驚きながら、頷き、倫の元に走っていった。

「俺に出来ることは一つしかねえからな。火をつければいいんだな?」

「めずらしく察しがいいじゃない。頼んだわよ!」倫が激しく息をしながら、力強く言った。「あいつもろとも焼き尽くしてやれ!」

 倫の手元からはツタ植物が伸びて暴れまわる木の根に絡みついている。

「導火線の準備は万端なんだろうな」俊がにやりと笑う。

「あたりまえよ。油分たっぷりのやつを選んでやったわ……」倫は不気味なほど穏やかな笑みを浮かべていた。

「ファイヤァァァァァァァ!!」

 俊が渾身の言霊と共に放った炎は誰もが驚くようなスピードで、瞬く間にリカ・ルカを包囲する木の根を包み込んだ。

「ひぃぃぃあっつい!」魔女が悲鳴をあげた。

 黄色い大きな炎の中でバタバタともがいている姿が見えた。天には黒い煙がもくもくと上がった。なによりも辺りに漂う異臭は、燃えている現実を嫌というほど突きつけてくる。それはとても残酷な光景で、倫と、俊、夏季はそこから目が離せず、ごく自然に身体に力が入った。しかし、信じられないことに、どうにも魔女の悲鳴はまるで笑い声のようで、三人の表情は、次第に強張っていった。

 夏季が辺りを見回すと、カイハも、ラートンも、魔女がいる辺りから少しも目を逸らしていない。二人とも、やはり警戒していた。

 魔女はそう簡単に死なないことは、とうにわかっていることだろうが。

 そう言いたげな横顔だった。

「あっつい。あつすぎるんだけど、ちょうど火が欲しかったからさ! ありがとうよ!」

 突然、魔女がはつらつと叫んだ。

 フッと炎が弱まったその場所で、黒く煤けた魔女はニタリと笑って立っていた。顔の半分はひどく爛れている。同じく火傷を負い赤くなった魔女の手のひらには黒いボールのようなものがあった。そのボールには、細い紐がしっぽのようにつけられている。

 導火線。

 夏季は目を見開いた。

 魔女は自身の燃える髪の毛で細い紐に火を付けると、黒い玉を放り投げた。

 まずい。

 そう思った次の瞬間、六人がいる地面に黒い玉がてんてんてんっと弾んだ。

 轟音、炎、爆風。

 夏季は岩壁に身体を叩きつけられながら、微かな意識の中で巨大な水の龍を周囲にめぐらせた。




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