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ルゴシク山「山頂の攻防」




 さわやかな青空の中にそびえる崖の周囲には、細切れの雲が漂っている。ラートンが腕にぐっと力を入れて上体を崖の上に引き上げた。それに俊が続いた。ついに、ゴールに到達したのだと実感が湧き、ホッとして腕の力が抜けそうになる。しかしすべてを台無しにして落ちる訳にはいかない。夏季は腕と脚に今一度力を込めた。次に手に掴む場所や、足を引っ掛ける場所を、一つ一つ着実に確認して、夏季もやがて地に足をつけた……。


 そこは野原だった。青々とした丈の短い草が風にそよぎ、可憐な小さな花が点々と咲いている。黒い蝶々が何匹も舞っている。

 天国だろうか?

 そう思うほどに、のどかな光景だった。

「ここはいったい……?」カイハがキョロキョロと、見回して言った。

「意外なほどメルヘンな場所ね。うさぎとかリスでも飛び跳ねていそうな」倫が茶化す。

「俺の趣味じゃねえな」俊がオエッと吐く真似をした。

「お母さん、どう思う?」夏季が母親の方を振り向いた。

「昔はこんな雰囲気ではなかったわね。魔女の好みが変わったのかしら」六季が半分あきれたような調子で、のほほんと答えた。


「ようこそルゴシク山へ」

 みな一斉に声の方を振り向いた。

 老婆、と呼ぶには顔にほとんどシワがなく、頬にツヤがある。腰も曲がっていない。姿勢良く、淡い紫色の瞳によく似合う濃い紺色の上等なマントを着こなしている。

 これが魔女?

 夏季は違和感を抱いた。

 トラル国の遺跡付近で魔女リカ・ルカと遭遇したときは、身なりはぼろぼろで、もっと小さく小汚い風貌、それこそ妖怪のような恐ろしさを感じたものだったが。

「てっきり表参道を登ってくるものと思って様々なもてなしを用意しておったのじゃが、まさか岩壁を伝ってくるとは思いもよらなかったわい」

 リカ・ルカはにっこりと笑った。大きな唇は横に裂けて、品悪くはみ出した口紅がテラテラと光った。目尻にはたくさんのシワが寄り、目は細められてほとんど線のようになっていた。

「六季は余分として、一人少ないような気がするが」

 はてと、魔女は首を傾げた。

「しらばっくれていやがる」俊がぼそっと毒づいた。哲を落下させる原因となったカニのような生き物は、明らかに山の頂上から降ってきたはずだった。魔女は突然にこやかな顔からスッと真顔になった。俊の方に一歩踏み出し、口を開いた。

「そちらは哀れな俊ボウヤ。わしがセボの裏門の鍵を手にいれるのに、お前は欠かせない存在だった。高いプライド。自尊心のかたまり。そして空っぽの脳みそ」

 蔑むような目で、俊を見つめた。

「なんとでも言え。感謝しているんだ。あの出来事があったから、俺はバカだと気づかせてもらった」

 俊は少したじろいでから、なんとかその場に踏みとどまり、言い返した。

「バカゆえの威勢のよさ。見てみろ。他の者たちはまだ少しは利口であるから、黙っておるぞ……」

 魔女は辺りをゆっくりと見回し、一人一人の顔をじっくりと見ていった。そして、端の方にいる六季を見ると、歩み寄った。

「六季。そちらを殺すことはわしの目標じゃ。覚悟はできていような?」

「ごめんだわ。わたしはそんなつもりで来ていない」

 六季は微動だにしなかった。魔女に負けないくらい、冷静な様子だった。

 だったらどういうつもりで来たわけだと、夏季は心の中で控えめにツッコミを入れた。

「それで? 用意ドンの合図が必要というわけかな? ただ話をしにきたわけではあるまい」

 魔女は腰から流木のようにぼこぼことした長い杖を引き抜いた。

「まさしく。セボのために死んでもらう」ラートンが長剣を抜いた。

「頭が下がるよ。君の先祖が下僕同然の扱いを受けていた相手にそこまでの忠誠を誓えるとは」

「それとこれとは話は別。今はセボを守らなければならない」

「本当に、気に食わない男だ。『闇使い』という存在は間違いなく敵だ。今回もできればクロ・アルドと同じように屈辱的な死を与えられたらと切に願っている」

 皆、睨み合うリカ・ルカとラートンを注視していた。六季が洞窟の陰に隠れるのに、気付いた者はいなかった。

 ラートンが剣撃を繰り出すのと、魔女が杖で受けるのと同時だった。

「相変わらず読みにくい攻撃じゃのう。しかし、少しばかりキレイすぎやしないかい?」

「フン」ラートンが小馬鹿にするように鼻を鳴らした。

 ラートンの空いた手が魔女の首に伸びた。その手は白い光りをまとっている。魔女は飛び退いた。

「そう簡単には捕まらんよ」魔女はふふと笑った。

「せいぜい気をつけるんだな。その『黒い』能力を消しとばしてくれよう」

 ラートンの手からは真っ白な炎が揺れ、周囲にはキラキラとした結晶が舞っている。

「嫌な光」

 魔女は地面に唾を吐いた。

 すると魔女の唾が落ちた野原は途端に枯れ始めた。青々としていた草花はみるみるうちに枯れていき、あっと言う間に不毛の赤茶色の地肌に変身していった。それは絶望的な眺めだった。

「キレイすぎると言っておろう。美しさとは荒廃の中で光るものなのじゃ」魔女は目を細めて笑った。

 草花が腐り落ちた悪臭の中、黒い蝶だけが変わらずヒラヒラと舞い続けた。


 轟音と共に巨大な水の龍が突っ込んだ。魔女が自分の身をかばうようにして肘を突き出した。龍の背中につかまった夏季が剣を振り上げた。

 水の龍が瞬時に凍った。龍が飛ぶ勢いのままで、氷のかたまりが魔女めがけて飛んだ。魔女は瞬時にそれをかわしたが、肩をかすめた。地面にパタパタと赤い血が落ちた。夏季は凍った龍の上を駆け上がり龍の頭の上で踏み切った。魔女の真上に飛び上がると、剣を振り下ろした。魔女が避ける。夏季の剣は地面を叩き、水滴を飛び散らせながら形を崩すが、構え直した夏季の手元には新しい剣が握られていた。

「ふん。哲が死んで悲しいだろう」

「許さない!!」夏季は剣を魔女の懐に突き刺した。

 魔女がウッとうめき声をあげてから、ニタリと笑った。

「怒り……悲しみ。お前はふつうの素直な女の子だ……。あの母親とは少し違う。あいつはもっと溜め込むタイプ。溜めて、溜めて、キレた結果、わしを殺したのじゃ」

「それだけ他人の気持ちがわかっていながら、どうしてひどいことが出来るの?」夏季が責めるように言った。

「それがわしの商売だからさ」魔女の顔が醜悪に歪んだ。

 夏季はひるんだ。魔女はそれを見逃さず、剣を握る夏季の手首をがしっと掴んだ。

 剣先が黒く染まりぐずぐずと地面に落ちた。

「他人の心を読んでその相手の行く先を占うこと。それがわしらルカ族の仕事じゃった」

 どうして剣が刺さらない?

 夏季は攻撃が思い通りに効かない苛立ちで奥歯を噛み締めた。

「ラートンの力を使うべきよ」少し離れた場所から、倫が静かに、しかし力強く言った。

 倫の手から綿毛が撒き散らされた。

 まるで小さなシャボン玉のように大量に吹き出している。

「今ここに哲がいれば……もっとまき散らせたのにね……」倫は少し暗い表情でつぶやいた。

 倫の背中にラートンが手を当てている。

 綿毛は白い光りを放っていた。

 それらは魔女の身体にまとわりついていった。

「こんなこざかしいものでわしが倒れるわけがないだろう」

 魔女はマントについた綿毛をひとつつまむと、鼻で笑った。

「チリだって積もれば……ってやつだから!」倫が目を見開いて言った。

「身体が重いな……」魔女が自分の手のひらを見つめて言った。

 カイハが氷の剣で魔女を切りつけた。

 魔女は避けきれないようで腕に切り傷を負った。

 痛みに顔をしかめた。

 カイハの剣にも倫の綿毛がついていた。

「やっぱり、『純白』の力が効くんだわ」倫がにこりと笑った。

 俊が魔女の懐に飛び込んだ。炎をまとわせたこぶしで魔女の頬をぶん殴った。

「おぐっ」

 顔をゆがませた魔女が地面に倒れこんだ。  ラートンが魔女の腹を蹴り上げた。

「ぎゃあっ」

 夏季の水の龍が魔女の頭に巻きついた。

「ごぼごぼごぼっ」

 夏季の目には涙が浮かんだ。

 目の前で人間を溺れさせる残酷な自分の行動に嫌気が差すのと、人間ではないのだから仕方がないと諦めようとする気持ちが同時にあった。本当だったらそんな迷いなど魔女の前で見せるべきではないのだろうが、幸か不幸か、倫とラートンの合わせ技によって魔女の動きはにぶい。

 哲に手を下したことは許せない。

 まるで拷問のように、魔女を苦しめていられるのは、その想いがあまりにも強いというだけで、決していい気分ではなかった。

 魔女が白目をむいて暴れるのをやめたのを見て、夏季は、力尽きるようにして膝をついた。

 魔女は地面に倒れて激しく咳き込んでいる。

 その姿はトラルの遺跡で目にしたボロ切れのような姿を彷彿とさせる。

 取り繕っていたのか。

 夏季は軽蔑の眼差しで魔女を見下ろした。

 薄い紫色の瞳を半開きにして、魔女はうつろな目つきで夏季を見上げて、口を開いた。

「母親はどこだ?」

 魔女の質問の意味は計りかねたがうすうすと気付いてはいた。

 戦闘が始まると同時に六季が消えたことに。しかし構ってはいられなかった。

 それに、魔女を倒せるのであれば、どうでもいいことではないか?

 すると魔女が笑い始めた。

 何がおかしいのかわからないし知りたくもなかった。さっさと消えてほしい。もう目の前にいないでほしい。

「もたもたするな」

 ラートンがつかつかと歩いてきた。夏季がハッとして顔を上げた。

「隙を見せるな。決して」

 ラートンの光り輝く剣が、魔女の背中を突き刺した。

「がはっ」

 魔女は血を吐いて動かなくなった。




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