森「声」
俊を先頭に、哲、夏季の順で、歩いた。小道に沿って行き当たりばったり、方角など分かったものではない。
「さっきの場所、倫さんのところに戻れるかな?」
哲がぽつりと言った。
「あいつの心配してるのか? 一人でも平気って言ってただろ」
俊は全く気にしていない様子だ。
「平気なわけないだろ」
哲が呆れて言った。
「本人がああ言ってるんだから大丈夫だって」
無意味に楽観的な俊の心根を感じ取ってか、哲は眉を上げた。
夏季はキョロキョロと辺りを見ていた。
目が届く限りでは特別何もないのだが、どうにも落ち着かない。その原因が知りたくて、なにかないかと目を凝らしていた。
「なあ、ここに来る前に、女の子を見なかったか?」
哲が俊に、夏季にしたのと同じ質問を投げかけた。
「女? そこら中にいたよ。俺の誕生パーティーがあったからな」
「おめでとう……。って、そうじゃなくて。ステッキを持ってる女の子なんだ」
「どんな女だよ。足でも悪いのか?」
「いや、そうは見えなかったな」
「夢見てたんだろ。俺、ここで目を覚ます前に変な夢を見たんだ。火であぶられるんだぜ。ありゃ熱かった」
「俺の話は夢じゃあない。夢を見る前のことだった。夢はそれと別で見たから。俺は風にまかれて空を飛ぶ夢だった」
「そっちの方がいいな。楽しそうじゃん。おい、えーと、もう忘れたよ名前。嬢ちゃん!」
「夏季だろ。あんたが自己紹介させたのに! おい、夏季、夏季?」
二人が背後を振り返っても、夏季の姿は無かった。
誰かの声が聞こえたんだ。
夏季は確信を持って確かな足取りで、ずんずんと進んでいた。しかしそこに道はない。茂みをかき分け、奥へ、奥へと森を進んで行く。夢の中で、母が言った言葉が気になっていた。
『父さんに会えるわよ』
予感がする。ここに来たのは、父さんになにか関係あるんじゃないかって。
夏季は夢中だった。自分でも驚くほどに、父と関わることができる期待感に、胸が高鳴るのを感じた。
ゆらりと、身体が傾いた。どきりとするほどの足裏の頼りなさに、夏季はハッとして下の方に目をやった。それで初めて、目の前には道がないどころか、土地がなくなっていることに気付いた。
崖だった。
夏季ははっとして、足を踏み外す寸前で立ち止まった
「あ、危なかった……!」
「おーい、お嬢!」
「夏季だってば。おい、夏季ーー、なにやっているんだよ!」
哲と俊が、手を振って近づいてくる。
「勝手に消えるな!」俊がしかめ面をして見せた。
「ご、ごめんなさい……」
夏季は二人のことをすっかり忘れていた。
ホーッと顔をやわらげてから数秒もたたないうちに、
ガラッ
という音とともに、足元が、がくん!と崩れるのを夏季は感じた。
「え?」
夏季は足を滑らせ、俊と哲の目の前から姿を消した。
「おい!!!」
俊と哲が駆け寄った。
崖を覗き込むと、少し下の方で、夏季の手はかろうじて斜面の出っ張りをつかんでいた。左手の爪が2枚はがれている。
手の痛みと、この状況、どちらのことを考えればいいのか。夏季の頭はうまく働かない。
「手を!」
俊がはいつくばり、思い切り手を延ばした。
「た、助けて」
「片手を延ばすんだ!」
哲が叫んだ。
夏季は手を延ばすが、あとちょっとのところで俊が差し伸べる手に届かない。
「がんばれ! あと少し……」
崖をつかんでいる夏季の手が、土の塊もろとも宙に浮いた。
夏季の悲鳴は下へ、下へ、落ちて行き、闇の奥に消えた。