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ドクラエをめぐる冒険「宿場にて(後編)約束」

 男はシーマ・バトルスと名乗った。

 ラートンが顔を上げるよう促すと立ち上がり、二人は固い握手を交わした。そしてシーマが口を開いた。

「カマをかけるつもりがまさか本当に王族その人だとはつゆしらず、先ほどの発言については謝罪申し上げる。かつての王族はトラルを出ていったが、あなた本人にとっては関係のない話でしょうな」

「関係のないというよりは正直なところ知らないことの方が多い。トラル国の生き残りは、現在どれくらいいるのだ?」

「把握しきれないのが実情だ。大津波でトラル国が壊滅したことで民は分散し、それぞれが派閥のようなものを形成した。それらの一つが俺たちで、親父の仲間を中心とした集まりだ。他にもいくつか存在するが、どこも小さな集まりでかつての国のように団結しようという話も出ない。何よりも大災害によって民の大方が死亡してしまったという言い伝えではないか。ちょっとした野心を持っているのも俺くらいなものだ。このままだとうやむやに消滅していくだろう」

 ラートンはベッドに腰掛け、哲と夏季も元の椅子に戻っていた。通行料を徴収しにきた侵入者たちは床にあぐらをかいて座っている。

「シエ王子。どうか我らを統率してくれないか。王族の末裔が戻ってきたとなれば話がまったく変わってくる。俺のような兵士上がりの人間とあんたとでは確実に違うんだ。皆も納得すると思う」

 降って湧いた奇跡とでも言うように、シーマが羨望の眼差しでラートンに熱く語った。

 しかしラートンの表情は硬い。

「断る」

 ラートンの言葉にシーマをはじめとした男たちは落胆の言葉をぼろぼろと口からこぼした。建物の外ではがやがやと人々の話し声は聞こえるものの、祭のピークは過ぎたようで笛の音は止んでいた。

「現状では不可能だ。わたしはセボに忠誠を誓い仕えているうえに現在重要な任務遂行の真っ最中だ。それらを放り出してすでに滅びたトラルのために行動するわけにはいかない」

 強い口調で意見を述べるラートンの側で、哲と夏季も頷いていた。

「もちろん、今すぐって話ではないさ。そっちの仕事が無事完了したら、考えてみてくれないか。簡単にはいかないってことはわかっている。ところで、その任務ってやつ。魔女がどうのと言っていなかったか?」

「ああ。任務の最終目的は魔女リカ・ルカの抹殺だ」ラートンは少し苛立っているようだった。夏季にはわからないでもなかった。セボの未来を脅かす敵を倒すことは、さくっと無事に完了するほど簡単ではない。

「なあ、ほんとにまだ生きていやがるのか? 十八年前に死んだと聞いていたが。近頃このあたりでも不穏な出来事が続いていてな。失踪なんぞしょっちゅうだ。それから、あんたたちが目指しているトラル国の跡地。城山の周辺は今誰も近づけない」

「何があるんだ?」哲が口を挟んだ。

「バケモノのような老婆が出るって噂でな。近くにやって来た人間を幻影で惑わして、取って食ってしまうんだとさ」

 それを聞いて夏季は思わず口元を歪めた。魔女の実像があやふやだからだ。まだいちども魔女本人に出会っていないからこそ、恐怖を煽られる。

「厄介だな。まるでわたしたちを待ち構えているようだ」

 ラートンがそう言って口元をゆるめた。夏季は、ラートンの意地悪い微笑みが嫌いではなくなっていた。お世辞もハッタリも持ち合わせないラートンだからこそ、彼といっしょなら大丈夫だとそう思わせてくれるのだから。






「非番なんだ」

 明くる朝、宿屋のロビーでシーマ・バトルスが言った。昨夜のようなごつごつとした鎧兜は身につけていなくても、身体の大きさは際立っていた。肩の幅が広く分厚い。胸板から背中まで筋肉がぎっしりと詰まっているように思われた。昨夜は兜をかぶっていたのと部屋の暗がりではっきりとわからなかった人相も露わとなっている。肩幅の割に小さく見える頭は、太く硬い長めの髪をひっつめて、太い眉に大きな黒い瞳。よく日焼けした色黒の肌は艶が良く、頭のてっぺんからつま先まで全体的にたくましい。年齢は、ラートンよりも十ばかり上なのではと思わせる落ち着きがあった。

「昨夜はよく休めたか?」シーマが爽やかな笑顔で朗らかに言った。

「久々に屋根のある寝床だったから快適だった」

 ラートンがそう言ったそばで哲が大きな欠伸をしたのでシーマが声を出して笑った。夏季もまぶたが重かった。ラートンが語ったセボ王政の凄惨な過去と、シーマたちの襲撃のおかげで、頭が休まらず眠りが浅かったのだ。

「休めるわけないじゃん」夏季がボソッとつぶやいた。

 シーマは、本心なのだろう、屈強な体格に釣り合わない申し訳なさそうな顔で、「悪かった」と詫びた。

「なんの非番なんですか?」夏季が訊ねた。

「自称領主、兼、自警団の団長をやっている」シーマが答えた。「小さな町だから大抵のやつは顔見知りだ。しかし宿場である以上常にいろいろな人間が集まってくる。怪しいやつがいれば目を光らせるって感じだ」

「人の部屋に勝手に踏み込むなんてどうかしてるだろ……。だいたい『通行料』ってなんだよ」今度は哲がぶつぶつと文句を言った。

「それはただの言いがかりできっかけ作りにすぎない。目的は怪しいよそ者の素性を調べること。ああやっておどしをかければ大体わかるんだよ。大抵のやつらはビビって許しを請うんだがな。あるいは気が触れたように暴れ出すか。主に後者をあぶり出すことが重要なんだ。しかしあなた方はどちらにも当てはまらず非常に冷静だった。さすがはセボ王国に仕える兵士だな」

「宿場町という土地柄飲み屋だらけ。そのわりに雰囲気は悪くない。セボの城下街のほうがよっぽど見習った方がいいかも」

 ラートンが考えながら言った。多数の反乱者が潜り込んでいたセボのことを思えば、街の広さは違えども常日頃から土地の者が目を光らせておくことの意義を、シーマが体現している。ラートンの感心ともとれる言葉にシーマは顔をほころばせた。

「王子からそのようなお言葉をいただけるとは。団長冥利に尽きます」

 シーマが瞳をきらきらさせてラートンに熱いまなざしを送っている。ラートンはあからさまに顔をしかめた。重すぎるシーマの気持ちを持て余しているのは明らかで、夏季は思わずにやけてしまった。『王子』と呼ばれるラートンも新鮮であったし、それを嫌がるのもたまにしか見られない素のままのラートンだった。シーマがラートンに対して表すこぼれんばかりの敬意は真実だが、自分より若いラートンをからかって楽しんでいる風にも見えるのだった。

「いずれにせよ馬は置いていった方がいいと思いますぜ」気を取り直したように、シーマが言った。「トラル国遺跡にたどり着くためには、ここから先は峠をひとつと、河をひとつ、越えていかなければならない」

「峠道は生きているか」ラートンが言った。

「それは心配ない。俺たちも頻繁ではないが行き来している。よほど条件が悪くなければ半日で越えられるはずだ」

「河の橋渡しは?」ラートンは矢継ぎ早に尋ねた。

「我らの下請けに伝達しておくので心配ご無用」シーマが胸を張って答えた。

「船頭との交渉が省けて助かる」ラートンが礼を言った。

「……どうか気をつけて。人食い婆さんの噂が立ち始めてから河の向こうへ渡る者はほとんどいなくなっている」シーマが急に顔を曇らせた。

「噂だけならそうはなるまいな」ラートンが言った。

「まさに。本当に人を食らうかどうかは別にしても、間違いなく何か良くないものが棲み着いているようだから。退治するなど考えずに、目的を果たしてさっさと帰ってくるほうがいい」頭一つ分くらい背の高いシーマが、ラートンを見下ろして言った。

「その目的のために必要であれば倒すしかないがな」ラートンは素っ気ない。

「もう絶望したり落胆したりするのは嫌なんだ。我々のために、どうかその尊い身を案じてほしい」シーマはなおも続けた。

「あなたに心配されなくとも、簡単に命を落とすつもりはない」ラートンが冷ややかに言った。

「それと……」シーマが視線を落とし、少し言いよどんでから、口を開いた。「昨夜の話は忘れないでくれ」

「すでに伝えたとおり即答はできないが、それで良いのであれば」ラートンは眉間に皺を寄せていた。

「待っているさ。あんたは長年探し求めてやっと見つけた希望なんだ」






 もしもここに戻って来られなかったとき、自分の愛馬はどうなるのだろうか?

 クララの鼻先を撫でながらそう考えると目頭が熱くなり、夏季は歯を食いしばった。魔女の実体が不明である以上霧の中を進んでいるような恐ろしさがある一方で、いざ魔女本人と対面する時が来たら、相手の強大な力で瞬時に殺されるのではないかとも考えてしまう。不安はつのるばかりで、気を抜くとパニックになりそうだった。それをなんとかこらえていられるのはラートンや哲がすぐそばにいるから。彼らもそれぞれに何かしらの想いはあるはずなのだ。

 宿を出ると、昨夜の祭の喧騒が幻だったかと思われるほど静かだった。しかし、食べ物やゴミが至るところに落ちており、悪態をつきながらそれらを拾う町の住人や、シーマの語った自警団と思われる男たちが清掃する姿がちらほらと見られた。馬は丁重に預かると約束したシーマたちに別れを告げて、団員たちの恭しい見送りにも、ラートンはあっさりと最低限の礼節を示すだけにとどめ、なかば逃げるようにして足早に宿場を立ち去った。

「海」を思わせる木々の並木の間にある、人々の往来でわずかに窪んだ道を進む。

「大人気だな。ラートン隊長」嫌味のつもりはないが、茶化すように哲がにやけ顔で言った。

「自分があずかり知らない事柄で期待を寄せられても。あまり気分が良いものではない」ラートンが不機嫌丸出しの硬い表情で言った。

「でも、うれしそうだった。シーマさん」わたしたちにはわからない苦労もしてきたんだろうなと、夏季は思った。

「悪い人間ではないようだが」ラートンが言った。

「いつか隊長の気が変わって自分の方を向いたら、泣いて喜ぶんだろうな」哲は遠慮もなくにやけたままだ。

「重い。彼の気持ちが」

 愛馬の漆黒の毛を撫でながら、ラートンがため息混じりに言った。夏季と哲は顔を見合わせてから、声に出して笑った。

 彼の口から聞く冗談らしい冗談は、それがはじめてのように夏季は思った。幸せ、というのは大げさかもしれないが、セボの城ではもっと堅苦しく……。なぜかといえば、政務部が幅を利かせているから。セボの王族筆頭である、ベラ王女がいるから。そして、国民の期待が重くのしかかるから。兵隊長であるラートンや夏季たち『使い』の背中はつねに誰かに見つめられている。セボの外に出てはじめてわかることだった。自由がこれほど気持ちのいいものだと、夏季や哲だけでなく、ラートンもそれを感じているのかもしれないと、想像するだけで楽しい気分になるのだった。

 哲がわたしを好いていて、わたしがラートンに恋煩いをしていると哲は思い込んでいるが、そんなことはどうでもよい。今この瞬間がひどく愛おしい。

 夏季と哲はケラケラと笑いあっていた。ラートンでさえも、微笑を浮かべていた。ふと思い出されたのは遠征に出かける直前に対面した、ベラ王女の怒りと悲しみに歪んだ顔だったが。

 重たい気持ち、か。

 一瞬顔を強張らせたラートンは、再び笑みを浮かべた。

 彼らの向かう先には峠道が立ちはだかっていた。

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