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はじまり「再会」



 よく研がれたナイフを品定めするように眺めてから、夏季は手元の野菜を見下ろした。

三角的の緑の茎は安定感はあるが、三角屋根のような形状はよく研いだ刃でなければつぶれがちになってしまう。根元のやや紫色の部分から、トントントンと軽く小気味良い音をたてて、輪切りにしていった。

「すごい切れ味だよ、クコさん」夏季は刃の感触に感動していた。

「よそ見するなよ。手元が危ないぞ」白い帽子をかぶったコックのクコは、大鍋の蓋を取り、ひしゃくでスープの味をみてから、小瓶に入った粉をひとつまみ、鍋の中にパラパラと足した。「しょっぱいかな……」

「パンに合うんじゃない?」夏季は今度はオレンジ色の根菜をまな板に置いた。色はニンジンそのものだが、形はふっくらとしていてカブに近い。

「まあな」クコは今度は背後の粉打ち台で黄色みがかったパン生地を手早く広げていた。

「出来たよ」夏季は野菜を切り終えて顔を上げた。

「ありがとさん」クコは作業を続けながら礼を言った。

「こちらこそ」と夏季。クコがパン生地から手を離して、手の粉を拭うと夏季の方へやってきた。

「どれどれ? うん。確かにすばらしい仕上がりのようだな」クコが野菜をつまみ上げ、切り口を観察して言った。「美しい断面だ」

「味に関係あるの?」夏季が尋ねる。

「当たり前だ。細部にこだわると全体が変わるんだから」クコが真剣に言った。

「へえ」夏季はわかったような、わからないような、適当な返事をした。

「これ持っていくか?」クコが厨房の隅にあるペーパーの包みを差し出した。「パンの切れ端で残飯をはさんだサンドイッチ」

「いいの?」夏季が、ぱっと顔を輝かせた。

「余っているんだ。よかったらどうぞ」クコは思わず、というように微笑んだ。色黒の額にしわが寄った。

「それなら遠慮なく。お腹すいたんだ」夏季はサンドイッチの包みを受け取った。

「元気でいいな。調子いいじゃないか」クコはパン生地をこねる作業に戻りながら言った。

「わかる?」

 クコと交流をもったきっかけは厨房の前で行き倒れたときだった。兵士の訓練の後で具合が悪くなりしゃがみこんでいると、クコが今日のような残飯のサンドイッチを差し出してくれた。その味のおいしかったこと。わずらわしい思念や暗い気持ちが吹き飛ぶほどだった。

 もともと料理は好きだった。

 セボに来る前は、働きづめの母親の手伝いのため必要に迫られていたとはいえ、進んで炊事をするほどだった。

気分の落ち込みを感じたときに、料理長のクコを訪ねて、残飯をこっそりもらったり、気分転換に料理を手伝うと、たちまち気分がよくなるのだった。

「今日はちょっと楽しみなことがあるんだ」

「それはいい。せっかくの静養日だからな。良い一日を!」

 夏季は手を振り厨房を後にして、回廊を歩きながらサンドイッチにかぶりついた。

「うーん、おいしい」

 昨夜食べた夕食をパンにはさんだだけのものがまるで別の料理のようだった。

「晴れていないのがもったいない」

 外は曇っており薄暗く、セボでは珍しい空模様だった。






 パソン議長、ハリル副隊長、ラートン隊長が並んで立っていた。

 部屋の中央では、腰から下に陽炎を漂わせて、いつものとおりぷかぷかと宙に浮かんでいるレナとセナが、杖を交差させている。先が鉤型の杖は、二本が重ね合わされてハートの形を作っている。

「奇跡の瞬間を俺が見ていていいのか?」ハリルがふと眉を上げてパソンに言った。

「オスロから直接聞いたんじゃろう。今更なにを言うか」パソンがさほど興味が無さそうにため息まじりで言った。「ところでよい舞踏会だったのう。君らのカップルは最高じゃった」それからラートンに話をふる。

 ラートンはムスッと押し黙ったまま、何も答えない。

「舞踏会が終わってからメチャクチャ機嫌が悪いっすよ」ハリルがぽそっとパソンに耳打ちする。

「知っとる。王女に求婚されたそうじゃ」パソンもひそひそ声でハリルに耳打ちした。

「おいおいおいおいおい」ハリルの顔はにやけるのを止められない。声が少し大きくなった。「王女は何を焦っているやら」

「なんとしてもラートンの遠征を阻止してそばに置いておきたいのじゃろう」パソンが言いながら、我慢ができない様子で肩を震わせた。

 ラートンがぎろりと睨むと、パソンとハリルは途端に口を閉じ、よそを向いて口笛を吹いた。

「さあ始まるぞ」パソンが言った。

 レナとセナが目をつむり、何かを念じるように眉間にしわを寄せる。すると、部屋は真っ白な光で満ち、二人の姿は消えた。

「すげーなおい。どこに消えたんだ?」ハリルが目を擦りながら言った。

「異なる世界へ。現在彼女と彼が生活している世界じゃ」パソンが言った。

 ラートンは腕組みをして、無表情で押し黙っている。

 しばらく、ハリルが手持ち無沙汰にタバコに火を付け、パソンは部屋の隅の椅子に腰掛けた。ラートンは微動だにせず立っている。

 数分が経過して、突然部屋がふたたび白い光に包まれて、次の瞬間そこにはレナとセナ、さらにもう一人女性が立っていた。


「こんにちは。お久しぶりです。ハリル、それからパソンさん」女性が少し枯れたような声で言った。

「おお。よく来てくれたのう……六季」パソンが目を細めた。

「久しぶりだな、六季」ハリルがニヤリと笑う。

「レナとセナ。あなたたちはやっぱり変わらないのね」

 六季がにっこりと、笑った。

「まあね。いつでもピチピチ」とレナ。

「六季はちょっと……ふけたよね?」とセナ。

「さすがにそのまま言うことはないだろ。少しは頭を使ってうまい言い方考えろよ」

 ハリルがやれやれと顎の無精髭をこすった。六季は笑顔だが、眉毛が少しつり上がった。

「『彼』は断られちゃった」セナがそう言って舌ベロを出した。

「仕方あるまい。今回ばかりは、無理やり連れてきたところで役目は果たせないからのう」

「そうそう。こんなの完全にボランティアだもの」六季が言った。「あ、でも彼が来たくない一番の理由はたぶんわたし。わたしに会いたくないからだと思う」

「あぁ? なんかあったのか?」ハリルが眉を上げた。

「プロポーズされたのを断っているのよ。だいぶ前の話だけど」六季がさらりと言った。

 ハリルが片手で顔を覆った。「あちゃー」

「いろいろ助けてくれたんだけどね。感謝もしてるけど、わたしにその気がなかったからしょうがない」

「あいかわらず周りを振り回す……」ハリルがぼそっと言った。

「なにか?」六季の声が低くなった。

「いや、なんでもない」ハリルは早口で答えた。

「あれ、オスロはどちらに? そしてあなたはどなた? 見覚えがあるような気もするんだけど……」

 六季はシエ・ラートンを見て首を傾げた。

「やあ六季。久しぶりだのう。わしを覚えていてくれて光栄じゃ」

 パソンと六季は握手を交わした。

「こちらはシエ・ラートン隊長。エン・ラートンの息子じゃよ。ちなみにハリルは副隊長」

 六季が吹き出した。ハリルが口を尖らせた。ラートンは微かに頭を下げた。

「笑うな。冗談ではない。彼なりにちゃんと努力したんだから。オスロは死んだ。事情は後ほど」

「あのオスロが亡くなった?」六季はとたんに真顔になった。「まさか。でも、そうね……。嫌な感じがしたのよ。夢に彼が現れるなんてふつうではないもの」

「ああ。厄介なことになってな」ハリルも真剣な表情で六季を見た。

「リカ・ルカの仕業ね」六季が睨みつけるように鋭い眼差しでハリルと目を合わせた。

「話が早くて助かる」ハリルが頷いて言った。

「だって、夏季が『呼び寄せ』されるなんてありえないでしょ。早すぎる。最初は悪い冗談だと思った。いったいどうなってるのよ。もう色々考えちゃって……」六季が口元に手を当てて言った。

「まあそもそもそこなんだがね。異例づくしで困っておる。確かなことは魔女リカ・ルカが復活して喧嘩を売ってきているということ」パソンが言った。

「その因縁については私も関係あるわけだしね。だからまたここに『呼び寄せ』られたんでしょう」六季が言った。

「そうだな。そうだったな。まあ、表向きは新しい『使い』へのアドバイザーということになっていることも忘れてもらっちゃ困るが。さあ、積もる話もあることだし、場所を移動しよう」パソンの一声で一行は部屋を出た。

 レナとセナと、それからハリルの三人は、一行と別れて地下へ続く道を進んだ。


「お母さん!」

 回廊の向こう側から、夏季が走り寄ってきた。

 親子はひしと抱き合った。

「夏季。お疲れ様」ようやく身体を離すと、六季が言った。「痩せたんじゃない?」

「大丈夫。元々こうだし、背が伸びたからそう見えるんじゃないかな。元気だよ」夏季は目尻の涙を指でぬぐった。

 六季が、夏季の首元の印に気づいてうなじにかかる襟足を掻き上げた。

「ねえ。これって」

「あ、それも大丈夫。ドクラエの実は手に入れたから」

「それにしてはまだ残っているじゃないのコレ」六季が厳しい顔をする。

「乾燥ドクラエで少しずつ良くはなっているし前よりぜんぜんマシなんだけど」夏季が目をそらし、言い訳をするように言った。

「生の実の方がいいに決まってる。『成長の手』に頼むべきよ。私たちも仲間にしょっちゅう出してもらったわ」

「それがまだ……手に入っていないの。これから入手しなきゃって話にはなってる」

「なるほど。順調に冒険が進んでいるわけだ」六季は目尻を下げて微笑んだ。

「これから話し合いなんでしょ? また後でゆっくり話したいな」

「わかったわよ」六季は娘の頬に手を添えた。「元気でよかった」

「お母さんらしくないよ。もっと雑にしてよ」夏季が照れ臭そうに言った。

 六季は両手で思い切り夏季の髪の毛をぐしゃぐしゃにした。


「楽しそうでよかったわ。ちょっとキツそうだけど」

 手を振りながら去っていく娘を見送りながら、六季が言った。

「わかるかね? リーダーもよく務めておるよ」パソンが言った。

「あーあ、よりによってリーダーなんて損な役回り。まあ真面目だし根性あるから務まるかな」六季がため息混じりに言った。

「さすがは君の娘だ」パソンが頷いた。

「嫌味にしか聞こえないんだから」六季が少し笑う。

「ねえシエくん。たぶん私あなたに会ったことあるのよね。お父さんは元気?」六季は突然ラートンに話しかけた。ラートンは影のように静かに一歩後ろを歩いていたが、六季に名を呼ばれたことで、彼女の隣に歩み出た。

「十年ほど前に亡くなりました」ラートンが目線を六季に向けた。

「それはお気の毒に。ごめんね」六季は悲しげな瞳で言った。

「いえ」ラートンは短く答えた。

「私がお世話になった人たち、大勢いなくなってしまったのね。やっぱりこっちの世界は厳しいわ」

 六季は回廊の窓から城下街の方をぼんやりと眺めた。

「そうは言っても、こちらにいる者からしてみれば、君こそ夏季がお腹の中にいるのによくあちらの世界に戻ったとみんな思っておったぞ」パソンが言った。

「しょうがない。ここを離れたくて仕方がなかったんだから」六季はそう言って、どこかうつろな表情で、はるか遠くのかすみの向こう側を見ているようだった。

「そうじゃな」パソンは小さなため息をついた。

 ハリルが一行を追いかけて走ってきた。指先に鍵のリングをはめてぶんぶん回している。

「おい。それをしまえ」ラートンが険しい顔でハリルに言い放った。

「ほんとに彼が副隊長なの? 大丈夫?」六季が言った。

「だからこそ、ラートン隊長がいるのじゃ。バランスだよ」パソンが言った。

「わざとやってんだよ。隊長がクソ生意気だからさ」

 そういってハリルがラートンの肩に手をかけた。ラートンが心底嫌そうな顔でハリルの手を振り払った。

「ねえハリル、ラートン隊長が唸り声を上げそうだよ」レナが滑るように飛んできて、ハリルの背後で囁いた。「切り捨てられないようにね」

 六季が声をあげて笑った。

「大丈夫よ。シエ君の剣はちゃんと鞘に収まってるじゃない。ね?」

 六季があっけらかんと、ラートンの肩を軽く叩いた。

 ラートンは六季の手は振り払わず、微笑みともつかないゆがんだ口元で、ため息だったのかもしれないが、小さな息を吐き出した。



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