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はじまり「壁の花」



 ふだんから人は多いはずだが、城中の人間がホールに集まっているのだから、それはにぎやかで、きらびやかで、明るさに満ちていた。皆、日常は大地に同化しそうな色の衣服ばかりだからこそ、ここぞとばかりに色とりどりのドレスに身を包むのだろうか、シックなタキシードでスマートにエスコートをする。ばかばかしくも楽しげで、きらきらと輝いている。

 バルコニーから見下ろすようにホールを眺めていると、ひと際目立つカップルがいた。大抵のカップルは音楽に合わせてゆったりと優雅に踊っているのに、その二人だけは慌てたように忙しなく動き回り、しまいには壁の方に走って逃げていくようだった。皆に笑われているが、本人たちがいちばん笑っている。楽しそうに、底抜けに明るく。

「水使い」の夏季と「風使い」の哲だと、ラートンにはすぐにわかった。

 そして思わず笑みがこぼれる。

 これほど無邪気で楽しそうなカップルは見たことがない。

 もしも俺が彼女を誘っていたら? さぞ楽しい主役になったことだろう……。

「シエ、何を笑っていらっしゃるの?」

「ああ。ちょうど今、おもしろい見世物が終わってしまった」

「あら残念だわ。わたくしも見たかったのに」

 ベラ王女は淡いサーモンピンクのパーティドレスに身を包み、艶やかなブロンドをまとめあげて細い首を露にしている。

 どこかまだあどけなさの残る甘さの中で、大人の女性にさしかかった辛味が隠し味。誰が見ても文句のつけようがない妖しげとさえ思える美しさに、やはりこの方をパートナーに選んだのは過ちだったと、ラートンは悔いている。

 幼い頃からの付き合いとはいえ、超えてはならない壁はあるのだ。彼女は王族で、自分は仕えている立場。

「そろそろ行きましょう」

 ベラが促した。ラートンが手を差し出す。ラートンの、指は細いが大きな手に、ベラの華奢な手が乗せられる。ふわりとした砂糖菓子のような甘い感触に、ラートンが優しくその手を握ると、ベラ王女が幸せそうに微笑んだ。そしてラートンは躊躇いを残しつつ一歩を踏み出した。






 一度もまともな練習をしないままで、夏季と哲は舞踏会に臨むこととなった。二人のステップはひどいものだった。恥ずかしいくらいに音楽からはずれたリズムを刻む自分たちのステップにクスクス笑いながら、手を握ったままスポットライトを抜け出し、壁に寄った。

「……似合ってるよ」哲は夏季の方を見ずにぽつりと言った。

「……ありがとう。倫に選んでもらったの」夏季はその場でくるりと一周回って見せた。水色の膝丈のドレスは小ぶりの袖付きで、ウエストの下はパニエでふわっと広がっている。

「哲もかっこいいね。髪型も」

 夏季が褒めると、哲はわかりやすく頭を掻いていた。黒のタキシードはオーダーメード。おそらくもう二度と着ないが、給金が溜まっている割に使い道も思いつかず、ニヤニヤ顔の俊、アレモ、イルタにそそのかされたのもあって購入したのだった。ツーブロックに撫で付けた髪型が俊と同じなのが気に入らなかったが、パーティー会場の華やかさでぼやく暇などないように思えた。

「やあ。見違えたよ、二人とも」そばを通りかかったイルタが、哲の肩をポンと叩いた。「服装もさることながら、見事なダンスだったね」

「あはは、恥ずかしい」夏季はケラケラと笑ってから、ぽつりと言った。「でも、楽しかったな……」

 夏季の横顔を見ていた哲は顔が熱くなるのを感じて、慌てて顔を背けた。

「いちばん目立っていましたぞ、ご両人」

 アレモも哲の額をペチッと叩き、夏季の手をうやうやしく握った。夏季が困惑の表情を浮かべると、哲がアレモの手を振り払った。アレモとイルタは少し驚いてから、声を上げて笑った。

「心配しなくても、彼女を取って食ったりはしないよ。夏季にはこわああああいガードマンがついているからな!」

 アレモが哲の頭をくしゃくしゃにした。

「やめろ……」哲は嫌がる犬のように頭を振ってアレモの手を逃れる。

「かわいい」イルタにエスコートされているウォローが夏季にウインクした。

「ウォローさん、素敵……」夏季はため息をもらした。

 ふだん軍服に身を包んでいる、がっしりとしたイメージのウォローは、カナリアイエローのマーメイドドレスが日焼けした肌によく合っていた。引き締まったウエストが際立っており、背の高いイルタと並ぶことで大人の色香か漂っていた。

「ありがとう。うれしいわ」心なしか笑顔もいつもより柔らかい。

「アレモさんお邪魔なんじゃない?」夏季が、イルタとウォローのそばで突っ立っているアレモに言った。

「だから今日は給仕係なんだよ」

 アレモが眉を上げて言った。彼の手には小さなグラスが載ったプレートがあった。ちょうど、仲間の兵士たちが群れをなしてアレモの周りに集まり、グラスを取っていった。相手の女性を連れている者もそうでない者も、「がんばれよ」とか、「ひとりもんは寂しいな」など、親切な言葉をかけている。

「ほらな。大忙しさ。色恋にかまけている暇もない……」アレモは鼻息荒くバルコニーの方向へ空のプレートを持って行ってしまった。

 確かに、カップルで会場に来ている者もいれば、相手が見つからなかったのか、男同士や女同士でおしゃべりに興じているグループもいくつかあるようだった。そうなると、きちんと男女のペアでいる夏季たちは少し照れ臭さがあった。しばらく会場の様子を観察していると、男性グループが、女性グループに声を掛けている様子なども確認できた。

 ふと、老齢のグループが目に留まった。ロイ・パソン議長、数人の文官たちと、それからハリル副隊長も。少しだけきちんと、こぎれいな服装で、会場を眺めて和やかに話が弾んでいるようだ。パソン議長は、自ら企画したこの催しにご満悦な様子だ。


 ひときわ大きな歓声が上がった。

 演奏隊がそれまでの曲を中断し、一斉に中央の螺旋階段の方へ向きを変えて改めて演奏を始めた。

 階段からはラートン隊長に手を引かれたベラ王女が降りてきた。

 美しかった。

 王女の名にふさわしくゴージャスに着飾ったベラ王女だけでなく、正装をしたラートンは別人のようだった。一軍人とは思えない気高さに、夏季は息を呑んだ。


 螺旋階段を、時間をかけてゆったりとすべて降りてしまうと、ラートンが深々と一礼した。ベラ王女は少し腰を落とす。

 ベラ王女の手を取ったまま、ラートンが王女の腰に手を回し、それを合図に始まるワルツに合わせて2人はとても優雅に大広間で円を描いた。やがて周りの人々も次々とダンスホールに加わっていく。

 壁際で寄りかかり休む夏季と哲は口を開けて、あまりにも優雅な舞踏に見とれていた。


 周りを蹴散らしそうな勢いでステップを踏む倫と俊が近くを通りかかった。

「踊らないのかい君達。実に楽しいぞ」俊がはりつけたような笑顔で活き活きと話す。

「優雅さのかけらもないな」哲がボソッと言った。

 夏季の目はラートンと王女の二人に釘付けだった。

「ちょっと、何してるの二人とも。そういうのなんて言うんだっけ……。あ、そうそう、『壁の花』!」

 倫も俊と同じくらい、楽しそうだった。まるで闘牛士が持つ布のような真紅のドレスとあいまって、ハツラツとしている。

「踊る?」哲が夏季に声をかけた。

「いい」夏季が気の抜けた声で答えた。

「疲れた? 飲み物取ってくるよ。待ってて」哲は気を利かせてケータリングゾーンのバルコニーに向かったつもりだったが、夏季はまったく別のことを考えていた。

 もしもラートン隊長の相手が私だったら。

 手を握って。

 ラートンの手が私の腰に添えられて。

 見つめ合う。

 微笑み合う。

 夏季は顔が熱くなり、顔を手で覆った。居たたまれなくなりバルコニーの手前のカーテンの裏に逃げ込んだ。






 私は一体何を考えているのだろう。

 ない。

 ない。

 絶対にないから。

 第一私は踊れない。

 ラートンのダンスのパートナーになるなんてありえないんだから!


 夏季はカーテンの裏に隠れてしゃがみこみ、顔を手で覆い、ブンブン首を横に振っていた。

 カーテンからはみ出した水色のドレスを見つけた哲が声を掛ける。

「どうかしたのか。体調が悪いのか?」

 哲の呼びかけにハッとした夏季の顔は、見事に真っ赤だった。

「熱でもあるんじゃないか」哲がびっくりしている。

「そ、そんなことない。悪いのは私の体調じゃなくて頭だから」

「本当に変だよ夏季」

「確かに変。今日はもう帰る」

 夏季は哲の左手にあるグラスを奪うと一気に飲み干した。空のグラスを哲に差し出すと哲は反射的に受け取った。途端に、夏季は走り出した。その加速は一瞬でトップスピードで、本気の走りはドレスの裾から下着が見えそうなくらいだった。途中でヒールの靴がわずらわしくなり脱いで両手につかんだ。

 走って追いかけてきた哲に腕を掴まれてようやく立ち止まった。

「待って」哲が息も絶え絶えに言った。夏季も息切らしている。

「なんでもない」

「心配なんだよ」哲が腕を引っ張る。

「なんでもないったら!」夏季の声が大きくなり、何人かが振り返った。

「ラートンが好きなんだろう!」

 哲の声が響き、それから静かになった。

「ラートンが好き?」

 頭にこだまのように響いている哲の言葉を、夏季はぽつりと呟いたきり、足元に目線を落として黙ってしまった。しばらくその言葉の意味を考え込んでから、顔を上げると、哲の顔が近くにあった。哲の顔にはいく筋もの汗が流れている。アレモに乱された髪の毛はいろいろな方向を向いている。とつぜん、哲が夏季の両肩を掴んで引き寄せると、彼女の唇に自分の唇を押し付けた。夏季は目を見開いて、それから哲の胸を両手で押し戻した。哲は少し後ろによろめいた。

「好きだ」

 哲が振り絞るようにして言った。

「夏季が好きだ」

 哲がとても苦しそうな顔で、突っ立っている。夏季はふと自分の手元を見ると、両手には華奢なハイヒールのサンダルが力強く握られていた。

 わたしは一体ここでなにをしているんだろう? 今日は楽しい舞踏会じゃなかったの?

「わからないよ……」

 夏季はそう言い残し、しゃくり上げた。哲に背を向け、肩を震わせながら裸足でふらふらと歩き去った。涙がとめどなく溢れ出た。汗なのか、涙なのか、床にぽたぽたと水滴が落ちていく。

 哲はそんな夏季の離れていく背中をただ見つめることしかできず、やがて頭をかきむしり、顔を歪めた。




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