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はじまり「招待」



「舞踏会?」

 シエ・ラートンが目を丸くするところなど、目にした者は多くない。ロイ・パソンは笑いをかみ殺して、愉快そうにうなずいた。

「わしが若い頃に度々あった催しをふと思い出してのう。当時はロマンスのきっかけとして、ちょうど君くらいの年の頃の若者たちが心踊らせておったものじゃ」パソンは何かを思い出すように、しみじみとして言った。「ここ半年ほど城の者たちは気が張りつめていたので、何か少し楽しいことがあっても良いと思うのだ。君も無事帰ってきたことだし、めでたいことにかこつけて舞踏会を開くことに決めたのだよ」

「ずいぶん大掛かりな気晴らしですね」ラートンはパソンとは対照的に暗い顔で言った。

「政務部をまとめる議長たる者、たまにはこういうことも画策せねばのう」パソンは会議室で見せる威厳はどこに忘れてきたのか、いたずらっぽい表情だ。ラートンは彼の含みある微笑みに尻込みした。

「ついては君はパートナーを決めておくべきということじゃ。なにせその日の主役になるだろうからのう」

「パートナーとは?」

「ダンスの相手に決まっておろう。難しい顔をするな」

 パソンはそういうことでよろしく、と言って回廊をきびきびと歩いて行ってしまった。

 オスロ師士が相手ならば、そういうことはあまり得意ではないと、はっきり言っただろう。第一オスロ師士ならばそういう提案はしなかっただろうと、ラートンは思った。

 ロイ・パソンはかつて軍部にいた人間とはいえ、引退して政務部に移ったのが十年以上前のことだ。ラートンと直接深い付き合いがあるわけではなかった。パソンの思いつきに振り回されていることに思い当たると、「余計なこと」に煩わされることは避けたい性分から軽い苛立ちを覚えた。






「舞踏会?」

 食堂で、夏季と哲が同時に声を上げた。

「そう。舞踏会。もう一度言った方がいい? ぶ・と・う・か・い」倫がこれ見よがしに一言一句を目を見開きながらはっきりと発音した。

「もういい」夏季が倫の口の前に手の平を突きつけた。

「ここでそんなことを聞くとは思わなかったぜ」俊が椅子の背にもたれてきいきい鳴らしながら言った。

「ここで聞かなかったらどこで聞くんだよ?」と哲。これまで一度もそのような「会」とは縁がなかった。

 腰に手を当てて踏ん反り返る倫の右手にはチラシが一枚。十日後に開催される舞踏会についての日時やドレスコードなどが書かれていた。

「冗談半分の『舞踏会』なら親父の付き合いで行ったことがある。みんなわざわざひらひらの衣装借りてきて、雰囲気だけは味わったけどな……」俊は何を思い出しているのか懐かしそうな表情で言う。哲は口をあんぐり開けていた。

「わたしは小さい時むりやり社交ダンス習わされたから少しは踊れるわよ」倫が鼻息荒く袖をまくっている。

「まじか。俺も少しなら……」俊が熱いまなざしで倫の顔を見上げた。

「なによ。あんたといてこんなにうれしいのはこれが最初で最後だと思うわ」

 倫が手を差し出すと、俊がその手を恭しく取りキスをする真似をした。それからふと怪訝な顔をして、殺気をこめた瞳で倫を睨みつけた。

 夏季と哲は、無表情で二人のやりとりを見ていた。

 やがて哲がおそるおそる、夏季の方を向いた。夏季は頬杖をついてうつろな目をしている。

「正直なところ、俺、一度も踊ったことがない」

 夏季も哲を見た。

「安心して。わたしだって同じよ。……それが普通だと思うけど」

 夏季はぼそっと一言付け加えた。

 俊の家庭が普通よりずっと金持ちで少し浮世離れしていることは知っていたし、倫の父親もどこかの大学の偉い人物で、茶道や華道をはじめとした数々の習い事に通ったりと大切に育てられていたことは少しずつ分かってきていた。ふつうの人から見れば恵まれた環境の二人がどうしてこうもひねくれているのかと、夏季と哲はときどき二人で顔を見合わせたり、ため息をついたりするのだった。

 横で哲がぼそぼそと何かつぶやいていた。聞き取ることが出来ないので夏季が聞き返した。哲は顔を上げると少し赤い顔をしていた。

「夏季さえよければ……」

 語尾は尻すぼみになっていたが、彼の言いたいことは大体わかった。

「……こちらこそ、哲さえよければ……」

 相手の赤い顔を見て、自分もつられて恥ずかしくなってしまう。夏季は顔が火照るのを感じながら哲の誘いに返事をした。夏季の返事を聞いてますます顔が赤くなるのをごまかそうとして、哲が口を開いた。

「なんとかなるよな。一応練習しとく?」

「そうだね。このままだと多分踊れないし、ね」






「舞踏会?」

 苛立ちもあらわに、男は言った。おおよそ現状とはかけ離れた楽しげで明るい言葉であったからだろう。地下室は数本の松明で薄暗く照らされている。炎のゆらめきで相手の顔が小刻みに揺れているようにも見えて、ずっと見ていると酔ってしまいそうだった。向かいの牢屋の暗がりには見知った顔。肩の下まで伸びたシルバーブロンドがキラキラと光る。

「看守たちが話していたわ。ラートンが帰ってきたとかで、ハデな花火をぶちあげるらしい」

「めでたいやつらだな。まあ今のうちに楽しんでおくがいいさ。国を挙げてのお祝い事なんてもう二度と出来なくなるかもしれないのだし。それにしても、ラートンごときに税金を使うとは幹部もアホだな」

「まあ、リカ・ルカ様が一目置いているくらいの野郎なんだし?」女は目を細めて、壁にもたれかかった。

「そのリカ・ルカ様が、今に俺たちを解放してくれるさ。城のやつらに俺たちを死刑にする度胸はない。これじゃまるでホテル住まいじゃないか。快適に暮らしてゆっくり待てばいいさ」

「ずいぶん呑気におしゃべりがはずんでいますね」

 とつぜん、穏やかな声が聞こえてキムは身構えた。地上に通じる階段の松明の明かりが逆光となり、背の高いシルエットが見えた。キムはその姿に見覚えがあった。朝礼でいつも前列に並んでいる者たちの1人であったからだ。「お前は確か文官の」

「わたしにかまわず本音で話していただいて結構ですよ。ラートンを『ごとき』と呼ばわる点についてはわたしも同意できますから」

「何なんだ、お前は?」キムはゆっくりと近づいてくる相手を、睨め上げた。

「まあ、共感できる点についてはお互い協力しても良いのではないかと、うっすら考えているだけですよ。それからこれはただの世間話です。あくまでも」

「ふん。腐ってやがるな、この国は」キムは冷たい床に座りなおし、にやりと笑った。

「また来ますね。世間話をしに」

 男が出口の階段の方を向くと、ちょうど誰かが階段を下りてくるところだった。

「あれ。大臣、こんなところでどうされたのですか?」

「お前こそ何をしている、ネレー」

「何って……、調書を取る決まりですから」

「真面目だな」きのこのような髪型の男は愉快そうに笑った。

「それが取り柄なもので」ネレーは少し照れくさそうに、笑顔を返した。

「わたしも少し様子を見に来たのだよ。真面目な部下である君の上司として。なにせ人手の少ない軍部の補助として立候補したのだからな。頭が下がる想いだ……」

「なにをおっしゃいますか。わたしはあなたの背中を見てここまでやってきているのですよ」

「熱心なのは良いがほどほどにな」ネレーの上司は明るい光の差す階段を上っていった。

キムと、向かいの牢屋の女がクスクスと笑った。

「なにがおかしいんだ?」ネレーが眉間にしわを寄せた。

「いやいや……。こっちの話だ……。気にしないでくれ。ところで君は舞踏会に行くのかい?」

「わたしは聴取に来たのだ」ネレーは冷たい目で、キムを見た。

「別にいいじゃないか、ただの世間話なんだから」キムが笑いながら言った。

「わたしを誘っていただけないかしら?」

 キムの向かいの牢屋の女が、鉄格子をがしゃんとつかみ、丸く碧い瞳を上目遣いにしてネレーを見つめた。形の良い唇はだらしなく半開きで、少し首を傾げるのも忘れない。下卑た態度でネレーを小馬鹿にしているのは明らかだが、美貌の持ち主であることは確かで、ネレーはごくりと唾を飲み込んだ。

「そいつはやめておいた方がいいぜ。クーデターの首謀者を手の平の上で転がしたうえに、自分だけ生き残るような女だからな!」キムがそう言い放ってゲタゲタと笑った。女も肩を震わせている。

「ふん。からかっているつもりか。もういい、聴取は明日にする。今夜の食事は無しだ。……明日も余計な口数が減らないようなら聴取はふたたび延期する。その度に晩飯はナシ!」ネレーが顎を突き出して言い捨てた。

「ハハ。覚えていろよ」キムは落胆するでもなくネレーを睨みつけた。「ここを出たら最初に殺してやる」

「覚えておこう」ネレーも怯まずに冷たい目線でキムに応えた。

「ここを出たら遊んであげるね」

 女はねっとりとした喋りで、鉄格子に脚を絡ませ、鉄の棒を舌で舐めあげた。

 ネレーは鼻で笑うと、外套を翻し地下牢を去った。

「ひ弱な文官なんざ怖くもなんともねえ」キムは鉄格子にガシャッと拳を叩きつけた。

「お腹すいたあ……。リカ・ルカ様、早く助けて……」

 ブロンドの髪の女は床にぺたりと座り込み、地面を見つめてうなだれた。






 自分が選べる舞踏の相手として、一体誰がいるというのだろう。人付き合いを避けてきたことのツケと思われる場面が近頃多くて頭痛のタネだった。自分には必要がないことだと思ってそうしてきたのだが、まさか上司の命令によってこのような状況に陥るとは思ってもみなかった。ラートンは兵士の訓練の最中、相手をしている兵士の顔も見ないで剣をやすやすと捌きながら、考えこんでいた。

 パートナーとして最初に思いついたのはベラ王女だった。パソンの軽い思いつきの舞踏会で重要な式典ではないものの、公の場で堂々と王女の手を取り踊ることは許されるのかと、ラートンは迷っていた。自分が誘えば王女が大喜びするのが想像できて余計に困っていた。王権制度がなくなり名目上とはいえデフルリの名を持つ者が王族という意識は、城の中ではなおさら高い。彼女に憧憬の眼差しを向ける者は未だに多く、ベラ王女自身がそのことを強く意識している。

 地面を見つめ、左手を顎に添えて考えこみ心ここに在らずな状態のままで、相手の兵士の剣を吹っ飛ばした。


 二日間悩んでさんざん迷った挙句、パソンに直接相談することにした。

「王女と踊りたいと? それが国的に問題になるだろうかと? 真面目すぎやしないか君は。もう少し肩の力を抜きたまえ」パソンが鬼の形相なので、ラートンは怯んだ。

「もはや君と王女は公認の仲だ。これを機会に婚約の発表でもしてしまったらどうかね」パソンが迫る。

「流石にそれは」ラートンは唾を飲み込んだ。

「そうなのか? 君たちはいずれ夫婦となるのでは無いのか?」

 パソンの瞳は鋭くラートンの目を覗いていた。

 ベラ王女と夫婦に?

 幼い頃からずっと一緒にいた王女と共に家庭を築くシーンを全く想像できない自分に気づき、ラートンは余計に混乱することになった。


 首を傾げたままふらふらと立ち去るラートンの背中が、回廊の先の曲がり角の向こうに消えた頃、柱の陰で、ハリル副隊長が腹を抱えて悶えていた。

「ハリルや。笑いすぎじゃ」パソンが白い目でハリルを見る。涙が出るほど、笑いをこらえていた様子だ。

「パソン議長こそ楽しんでいるくせに」ハリルは目元をぬぐった。

「やめよ、人聞きの悪い。わしは彼のためを思ってアドバイスをしていただけ」パソンは毅然として言った。小さくウインクしたが。

「アドバイス、か。しかし彼も少し変わりましたね?」

「そうだのう。いくら鍛錬は積んでいたとはいえ所詮は国の中であったからな。しかも両親のことがあってさらに殻に閉じこもっておったから。荒野の経験で少しほぐされたようだの。これからどうなっていくかが見もの」

「ああ。めちゃくちゃ楽しい!」ハリルが嬉しさに地団駄を踏み鳴らした。パソンは呆れ顔だった。

「君も変わったのう」パソンがちらりとハリルを見た。

「俺が?」突然変わった矛先にハリルは驚いた。

「遅刻しなくなった」パソンがボソッと呟いた。

「すごいでしょう」ハリルが踏ん反り返った。

「それから、逃げなくなった。しっかりオスロの意思を引き継ごうとしているでは無いか」ハリルが目を細める。

「やめろやじじい!」年甲斐なく赤くした顔を見られまいとハリルはその場を全力で走り去った。




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