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安息の荒野「荒野の家宝(前編)」



 傷の直りは予想以上に遅かった。

 休息を取るには十分すぎる環境だ。しかし、運動量が減って体力が落ち、傷の治癒は緩やかになった。病気にもかかりやすくなり、これまでにイルタは二度風邪をひいた。

 一度は荒野の墓地を視察した直後のことだった。高熱を出し、脈拍に合わせて治りかけの腹の傷がどくどくと疼いた。運よく生き残ってしまった自分への、死んだ兵士の呪いを恐れ、眠れない夜を二晩過ごした。しかし絶望に耐え疲れきった後は、パパスいわく「死体のように」眠り、毒気が抜けたようにあっさりと回復した。

 それ以後は、考えても答えが出ない死者の想いについて気に病むことは少なくなったが、それでも他に思うところが多く体調に影響を及ぼすことが度々起きた。


 ユエグ親子との共同生活が始まってから、百日が過ぎようとしていた。過ごしてきた当人たちにとってみれば傷を癒すために必要な期間であって、時間をかけたという気持ちはなく振り返ってみれば長い時間が経っていたというだけのこと。しかし、完全に復活して、セボに帰るまでにはあとどれくらいかかるのかと、イルタはふと思うのだった。時折雲一つない青空を見上げてセボの仲間たちの顔を思い浮かべ、どうしようもなく焦り、苛立ってしまう。

 大人しくいていなさいと声高に引き止めるカウジの言うことも聞かずに遠出をし、風邪を引き、それ見ろと言わんばかりの少女のいばり顔を見て、衝動はやっと収まる。しかし二、三日もすればまた同じ気持ちがぶり返すのだった。


 ラートンは病気もしないで焦りもせず、順調に回復しているように見えたが、引き締まった腹にある無数の小さな黒い痣があっさりと消えていくことが、かえって腑に落ちないとこぼしていた。イルタは詳しくないが、それがただの痣ではないということはなんとなく知っていた。

 ただしその特異な痣というのがセボでは伝承の類いとして扱われることもしばしばあり、「家族の治療」に載せることは愚行だと言い切る大臣もいると言う。イルタが初めて「印」についての知識を得たのも、学校でほとんど眠りながら読んだ教科書などではなく、幼い頃に夢中になって読んだ「壷伝」というファンタジー小説である。


 まじょの のろいが ぼくの からだを うめつくす


 物語の中で、その痣を完全に消すためにはなにか特別な魔法の薬が必要になることをイルタははっきりと覚えている。「壷伝」に限らずセボに伝わる空想の物語は、同じようなストーリーかそこから派生したと思われる似通った展開が多い。そして図書館の書物で史実として記されている「呪い」についての記述は、その物語と驚くほど似ているのだった。伝承と史実がないまぜになっているのか、「呪い」がれっきとした事実であるのか、イルタをはじめとして若い兵士たちは誰も知らないし、真剣に話し合ったこともない。少し馬鹿げた伝説だと考えるのがふつうだった。

 ラートンは彼の身体に現れた痣を「呪い」の印であると認めている。彼があやふやな伝承を事実として捉えていることが意外だった。ラートンにはそのようなことを信じないイメージがあるからだ。

 しかし、驚くことではないのかもしれない。なにしろラートンにはいくつもの意外な一面を見せられているのだから。驚くべき素顔は、一瞬ちらりと現れて、すぐにまた暗幕の向こうに隠れてしまうが……。


「そろそろ剣を取りたい。病状はどうだろうか、小さな看護士くん」

 ラートンは真顔でカウジに問いかけた。

「やってみれば? 無理そうだったら止めてあげるよ」

 カウジは右頬にえくぼを作りながら、答えた。

「それくらいの判断は自分たちで出来るさ」

 イルタが茶化した。

「じゃあゲルは止めてあげないから。勝手にすれば」

 カウジがあかんべをする。

「怪我人は平等に扱ってくれや、エセ看護士さんよ」

 パパスが小さな頭にげんこつをお見舞いした。カウジが父親の太い腕にぶら下がり、きゃっきゃとはしゃいでいる。

「誰がこの小猿を嫁にもらってくれんのかねえ。やいゲル、あんたどうだ。十年後の婚約を、今ここで誓うか?」

「勘弁してくださいよ……」イルタが苦笑いを浮かべて言った。

「ゲルよりエンの方がいい!」

 カウジがパパスの腕の下でじたばたと駄々をこねた。ラートンはふっと微かな笑みを漏らし、カウジを素通りして家の外に出ていった。

「ねえねえお父さん。エンはあたしが何したって相手にしてくれないんだよね。次は逆立ちしながら『ホーエーヨウ』を歌ってみようかなあ」

「そんなはしたない真似はせんでくれ。頼む」

 イルタは笑いながら、『ホーエーヨウ』の内容に興味を持ったが、それ以上に心引かれたのはラートンの表情だった。この頃ラートンはよく微笑む。特にカウジとの交流を通して柔かい笑い方をするようになった。

 エンはふだん、ほくそ笑むことはあっても微笑むことはなかったぞ。今度カウジにそう教えてやろう。

 セボの城下では、一度も同年代の自分やアレモに愛想よく話しかけることはなかった。まるで彼らは別の人種であり、簡単には乗り越えられない、突き破ることもできない、厚く頑丈な高い壁が立ちはだかっているかのように。

 あのように笑うことができるのになぜ、彼は孤独を選ぶのだろうか。

 荒野の墓地でラートンが思わぬ告白をして以来、彼は再び硬い殻をまとってしまったように思えた。少し打ち解けたかと思えば、彼自ら身を引いていってしまった。湖岸に寄せては引く波のような彼の態度にイルタは落胆していた。話が出来てうれしいと思っていたのは俺だけだったのだろうか、と。


 しかし、「二等兵隊長」という固い甲冑に隠れていて知られることがなかった表情は、抑えきれないとでもいうようにこぼれ出てくる。ふと笑ったときに作り出される目尻の皺、自然に上がる口角、カウジの頭を撫でる優しい仕草、なにげなくて小さなことだらけだったが、それらを見つける度に、隊長という人間がわからなくなった。

 今まで俺たちが信じてきた大人びた若い隊長という外観は、作り物だったというのか……。


「そういやあ、お前さんたち丸腰じゃねえか。剣の鍛錬しようにも武器がねえとな。あんたら、ちょいとついて来い」

 パパスはラートンとイルタにそう言って、いそいそと家の外に出て行った。

 イルタは嫌な予感がしてその場に踏みとどまっていた。パパスがどうやら、行き倒れた旅人や兵士から奪った武器のコレクションを見せるつもりらしいことを察した。すると、イルタの強張った顔を見たカウジが、膨れっ面で言った。

「なにも持たないで荒野を行くのは危ないんだよ」

「だろうな。……悪かったよ、カウジ。理由があってしていることなんだよな」

 しかしカウジはぷいっと顔を背け、父親の背中を追って外に駆け出していった。イルタはため息をついてその後を追った。

 荒野の墓地で思わずカウジを叱ってしまい、二人は気まずい空気になったが、それから2、3日もすると彼女は再びイルタに絡んでくるようになった。そんな前向きな態度をカウジの子どもらしさと考えていたイルタだったが、足を踏み鳴らし前を歩く小さな背中を見た途端、彼女の心の傷を垣間みた気がして切なくなり、後悔の気持ちが膨らんだ。


 家の裏、厩の横の地面から、パパスは足で地面を探り、三、四本の太いロープを探り当てた。それらをまとめて肩に担ぎ、ふん、と鼻息を鳴らして引っ張る。すると重いものが地面を引きずる音がして、地面と同化していた鉄板が動き、土ぼこりのなかから地下へと続く階段が現れた。

「すごいな……」

 イルタはあっけにとられている。

「中は狭いし大したもんじゃねえよ」

 そう言いながらも、パパスの顔は得意げに笑っていた。

 ラートンは黙って腕組みをしている。その隣でカウジも膨れっ面で腕組みをし、今や口をあんぐり開けて秘密の入り口に見とれているイルタの顔を、睨みつけていた。

 細かい粉塵に咳き込みながら降り立ったそこは、一人がやっと歩ける程度の狭さで、土ぼこりや埃でとにかく視界が悪い。パパスの言った「大したもんじゃない」という言葉が謙遜ではないことがわかる。

 しかし左右の棚にはびっしりと剣や槍、弓などの武器類が立てかけられている。数があるということは確かだった。

「カウジが喋っちまったらしいな。遅かれ早かれこれについて聞かれるんじゃないかと思ってた」

「違いない。わたしたちは武器を必要としているから」

 ラートンが静かに言いながら、手元にある錆びた剣を手に取った。

「あまりいいものはないけどな。売れそうなものは売っぱらっちまうからよ」

 ラートンの手中にある骨董のような剣を見て、パパスが苦笑いした。

「防具はほとんど置いてねえ。ああいった塊は金になるからな」

「死人の持ち物を金に換えるのは、あまり良い行いとは思えないが」

 ラートンが静かな口調でぽつりと言った。

「そんなことするくらいなら集落で暮らせと、説教垂れるつもりか?」

 パパスの声が低くなった。

「正論だろう」

 ラートンがすっぱりと言う。

「嫌なら持っていかなけりゃいい! こっちにも事情があるんでえ……」

 パパスは顔を真っ赤にして、最後はしりすぼみに小さくなり、つぶやくような言い方だった。

「いや、探せば必ず使えるものが見つかるだろう。これだけの数だ。ゲル、自分に合いそうなものを見繕うんだ」

 ラートンは何事もなかったかのように、イルタに話し掛けた。

「え。でも、俺、あまり武器に詳しくないんだよな……」

 イルタは二人の会話に困惑していたが、ふつうを装って返事をした。

「手に馴染むものを探せ」

「と言われても」

「持てばわかる」

 今度はパパスが言った。真っ赤な顔で、ムスっとしている。カウジは哀しそうな顔をしている。


 ラートンとイルタがそれぞれ武器を手にした後、四人は荒野を歩いていた。

「わざわざ言うことでしたか?」

 パパスのがっちりとした背中を見ながら、イルタがひそひそとラートンに囁いた。

 先日、カウジを責めたイルタを叱ったのはラートン自身だった。確かに彼は「子どもを」責めてはいけないと言ったが、先刻パパスを責めたとき、目の前には今にも泣き出しそうなカウジがいた。イルタがしたこととそう変わりない。

 ラートンは何も言わなかったが、手に握った古い剣の柄をじっと見つめていた。そこになにがあるのか、イルタの位置からは見えなかった。


 ラートンが急にパパスを責めたことがもやもやと腑に落ちないイルタだったが、ラートンの剣技を前にして思い悩む余裕はなくなってしまった。長らく休息を取っていた身体が兵士としての動きや技をだんだんと取り戻していく感覚は、故郷に置き去りにしてきた本来の自分を取り戻すような気がして心地よかった。

「やっぱりあなたには敵わない……」

 イルタは自分の実力に多少の自信を持っていたし、ラートンが負傷している今がチャンスだと思った。もちろんイルタの身体も完全に復活しているわけではない。しかし、ここまで力の差を見せつけられるとは思っていなかった分ショックを受け、カウジのはしゃぐ声は耳障りでさえあった。

「はは。たいそう力の差があるみてえだな」

 観戦を決め込んだパパスが地面にあぐらをかいたまま、のんびりと言った。彼もまた二人の戦いぶりに夢中になっているようで、先ほどの不機嫌はどこかに飛んでいってしまったようだ。

「剣が折れるまでやるとは、二人ともやんちゃなこった」

「エンの剣は折れてない」

 イルタはふてくされて言った。

「そこが、力の差だ。な、そうだろ、エン?」

 ラートンは答えない。手に持った剣を鍔から切っ先まで品定めしている。

「武器がお気に召したらしい。お前はもう一度探さねえといけねえな」

 パパスはイルタの周囲に砕け散っている破片を指差した。

「すみません。ちょっと見てきます」

 イルタは少し痛みだした腹をさすりながら、こてんぱんに伸されたことの恥じらいついでに、武器庫へと走り去った。


「どれどれ、俺もたまにはやってみるか。エン、相手になってくれるか?」

 パパスは穏やかな口調で話しながら、静かに立ち上がった。

「いいとも。手合わせ願おう」

 ラートンは笑ったが、今度は微笑みというよりはほくそ笑みだった。まるで、パパスが言い出すことを待っていたかのように、喜んでいた。

 それまではしゃいでいたカウジはそんなラートンの様子から何かを感じ取ったのか急に静かになり、父親と憧れの男を交互に見やった。

 イルタが武器庫から戻ると、一度家の裏に引っ込んだパパスが武器を手に現れるところだった。彼の手には、農具の鋤が握られていた。鋤は土をいじる道具で、人を攻撃するものではない。しかしパパスの手に渡れば、それが武器となりえることをイルタは知った。

「得物は鋤か」

 ラートンは真顔で言った。鋤を抱えたパパスの外観を、ばかばかしいとは思っていない様子なのでイルタは安心した。

 彼が元軍人ではないかとふんだラートンの考えは間違っていなかったようだ。ただの鋤が武器に変わるなど、ふつうの農民ならあり得ない。一揆を起こす農民が持つ鋤はあくまで農具であり、武器に変貌することはないのだ。しかし決闘を控えたパパスが構えたものは、剣でもなく、槍でもない、初めて目にする形の武器だった。

「まあな」パパスはにやりと得意げに笑った。

 普段のパパスの穏やかな顔つきは、少しばかり強張っている。

 ラートンが剣を抜き、自然に構えた。いつでも、どこからでも来ればいい、というように。その構えに力みがまるで見られないことに、誰もが感心する。自信の現れだろうと、イルタは思った。

 パパスがバネのように俊敏な動きで数歩踏み出し、鋤を振り下ろした。巨体に見合わない素早い動きだった。ラートンの剣が攻撃を受けたと同時にパパスの二の腕の筋肉が盛り上がる。

 両者の力は拮抗しているように見えたが、やがてラートンが剣をはじいて飛び退いた。再び二人はぶつかり合い、離れ、またぶつかり、離れを繰り返した。

 イルタは見入ってしまい、自分の腹の痛みのことなどすっかり忘れてしまった。

 剣で鋤を受け止めるなど、ふつうに考えてあり得ないのではないか? ハリル副隊長の槍でさえ重く感じるのに、それより倍はありそうな重量感。武器の重みだけではない。パパス自身の力も並外れているはずだ。怪力剣が持ち味だったカルーでさえ敵わないのではないだろうか。それに加えてこの動きの良さだ。

 ラートンはパパスの鋤を骨董の剣で受け止めてはいるものの余裕はないようで、イルタを相手にするときの涼しい顔ではなくパパスの一撃一撃に集中しているように映った。

 自分がパパスの剣ならぬ鋤を受け止めることを想像して、イルタはぞっとした。

 あんなもの受け止めたら、腕が変な方向に曲がってしまう。

「エン、かっこいーーー!!」

 カウジの黄色い声援が響いた。

「おい、父ちゃんの応援は!」

 パパスが思わずカウジの方を見た。その瞬間、

 ガツン

 轟音が響き、パパスの鋤が飛んだ。

 鋤はざくっと地面に突き刺さり、ゆっくりと土の上に倒れて土埃を巻き上げた。

 ラートンとパパスは肩で息をして、互いの顔を見つめ合った。

 勝敗は明らかだった。

「怪我人に本気出しちまった。すまねえ。……やっちまった後でこんなこと聞くのもなんだが、身体はなんともないか?」

「あなたはいったい……何者なんだ?」

 ラートンは眉をひそめていた。自分の額を拭い、手の甲にべったりとついた汗を見つめる。

「そりゃあこっちのセリフだぜ! 言わせてもらえば、あんたはここで出会った剣の使い手の中で、一番の手練だ」

 二人の横でかすかだが、うめき声があがる。振りむくと、腹を抱えてうずくまったイルタの側にカウジが駆け寄っていた。






「そりゃあな、こいつの相手すれば身体に負担がかからないわけがない」

 パパスがやれやれと首を振った。

「俺もつい、夢中になっちゃって」

 イルタがベッドの上で弱々しく笑った。二人の怪物のような男に、少しばかり畏怖の念を込めて。

「お前さんは平気か?」

「ああ」ラートンは涼しい顔で椅子に座っている。

「腕っ節がよけりゃあ身体も丈夫なんだな」

「そういうものだろう」

 ラートンが不敵にほくそ笑んだ。ラートンの見下すような表情を久々に見て、イルタは苦笑すると同時に、隊長の気概に変化がないことに胸の内では安堵していた。

 優しい人柄が見え隠れするラートンはやわらかい光をまとって見える。一方で、荒々しくも美しい剣技を披露するときの頼もしい彼は暗くて鋭い。コントラストが強烈で、ラートンの謎に果てない奥行きを見た気がした。

 なにがあなたに偽りの仮面を作らせたのでしょう?

 どちらが本当のあなたなんですか?


 しかし今やますます謎の人物となっているのは、目の前で格子柄の前掛けをしてイルタの腹に新しいガーゼを当てている大男の方だ。イルタだけでなくラートンも、訝しげな目でパパスを見つめている。

「俺の名前は本名だ。セボの国でも同じ名前のもんはいねえ。唯一無二の、パパス・ユエグ」

 二人の視線を感じてか、パパスが話し始めた。

 父親の横でカウジは腰掛けにちょこんと乗っている。固く腕を組みイルタを睨んでいるが、武器庫のときとは違う表情だった。

 いつも言ってるでしょ、大人しくしていなさいって

 そう言わんばかりの、心配そうな顔つきだ。

「あんた、俺の名前に覚えがあるんじゃないのかい」

 パパスは薬箱から包帯を取り出しながらラートンに言った。

「確かに。しかし、思い出せない」

 ラートンは静かに言った。黒い瞳はイルタの向こうの、窓を見つめている。

「……あまり自分の口からは言いたくないんだ。古傷が痛むから。ここの」

 パパスは広くて厚い胸に、大きな手の平を当てた。

 イルタは、二人のやりとりの真意を掴めないまま、いつの間にか眠っていた。ラートンとの決闘の疲労は想像以上だった。


 久々の決闘のせいで熱を出したのか、うなされた。半眠の脳内に浮かぶのは、心配性のカウジの膨れっ面。パパスの哀しげな横顔。ラートンの微笑は一瞬にして厳しい目つきに取って変わった。

 俺は重いものを背負いたくない。今までどおり、気のいい仲間に囲まれて、平和に生きていければいいのに……。

 アレモの赤い前髪からのぞく、いたずらっぽいウインク。ウォローのはじけるような笑顔。テーブルを挟んで口論する倫と俊。昼食の席ではにかみ合う夏季と哲。

 哲はこちらを睨んでいる。顔が憎しみに歪んでいる。俺のせいでオミリアに酷い目に遭わされたことを恨んでいるのだろうか。ウォローの肩を抱くアレモの姿が目に入った。アレモの腕の中で泣く、ウォロー……。俺がもうすぐセボに帰るというのに。二人は俺の帰還を望んでいないのかもしれない。


 目を覚ましたイルタは、涙を拭った。

 仲間が裏切ることなど考えたことがなかった。しかし、心の奥底で俺は、こういうことを恐れているのだろうか?

「ずいぶんうなされとったなあ、お前さん」

 部屋は薄暗いが、暖かい。その空気に見合った陽気な声が響いた。オレンジ色のロウソクの明かりの中、向こうのテーブルに向かい合って座る、ラートンとパパスの姿があった。パパスはイルタに向かって手を振り、ラートンは昼間使った剣を磨いていた。奥の方でソファが丸く盛り上がっており、カウジが休んでいるようだ。

「うるさかったでしょう……」

 イルタは慌てて起き上がり、顔が火照るのを感じた。

「いんにゃ。こっちの方がひどかったぜ。百日前の話を蒸し返すようで悪いが」

 パパスがラートンを顎でしゃくると、ラートンが持っていた剣をテーブルの上に取り落とし、ガチャンと派手な音を立てた。パパスは思わず寝息を立てるカウジを見やり、ラートンに注意を促した。ラートンは小さな声で「すまない」とつぶやいた。

「いやあ、人間いくつになってもうなされるもんだ。俺だってたまに寝言でカウジを起こしちまうからよ」

 パパスがラートンを気遣って言ったようだが、彼は黙って剣を拭く作業に戻っている。その様子がおかしくて、イルタは目の前にラートンがいるのも構わず肩を震わせて笑った。それを見たラートンは、顔を伏せたままだが、ふっと笑みを漏らした。


 夢よりも現実の方が平穏であること、それは今いる場所が安全である証拠だ。セボに戻っても同じとは限らず、今の環境に甘んじていたい気持ちがないわけではない。しかし帰還を遅らせるほどに故郷から置いてきぼりを喰らってしまう危機感が頭をもたげた。

 夢はいたずらで、そろそろ本当に還らなければならない時なのだと気付いたイルタに訪れたのは、夢のない深い眠りだった。




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