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使い「別離」



 ラートンは、小さくなっていくカイハの後ろ姿を、長い間見つめていた。

「隊長!」

 倫の声に、ラートンははっとして振り向いた。

「ああ。我々も行こう」

「当たり前よ。さっさとお城に帰りましょう」

 倫は既に馬を歩かせていた。その後に俊の馬が続く。ラートンも馬の手綱を引き、二人に続いた。

「その方向ではない。もう少し西へ」

 ラートンが取り出したコンパスで方角を確かめ、倫と先頭を交代した。自分の前に座っている夏季を見下ろす。身体をマントにくるまれ、首を前にがっくりと垂れている。意識はほとんど無いようだ。馬の動きに合わせて不安定に揺れるため、ラートンは手綱を握る両腕で彼女を支えた。


 一行は順調に速度を上げた。ラートンの示す方向へと一直線に走っていく。荒野に障害物はほとんどなく、何かを避けて迂回する必要はなかった。夏季の馬であるクララは、主のいない背中を軽快に揺らしながら、夏季を乗せているラートンの愛馬の横にぴったりと付いてくる。

 まっすぐ前を向いていたラートンが急に顔を右に向けた。倫もラートンと同じ方向に目をやったが、なにも見えず首を傾げた。

「なに?」

「心配ない。味方だ」

 ラートンが言ったが、倫も俊もまだ何も黙視できていなかった。しかし耳を澄ませると、自分たちの馬の蹄の音にまぎれて他の馬の足音を聞くことができた。しばらくすると、小さな影をはるか遠くに確認できるようになった。


 やがて、倫と俊はそれが自分たちが知っている人物であることが分かった。

 馬を走らせやってきたのはイルタだった。黒髪がところどころ逆立っている。土にまみれ茶色くなった顔には、小さな切り傷を負っていた。

「ラートン隊長! ご無事で。よかった……」

 イルタは馬のスピードを落とし、ラートン一行の速度に合わせた。

「どうした?」

 ラートンが言った。

「襲来です。反乱兵の一味が」

 倫と俊は顔を見合わせた。どちらの口からも言葉は出ないが、互いの顔が強張っていた。

 ラートンが大きく舌打ちした。

「予想はされていたんですね」

 イルタが厳しい顔で言った。

「城の方は副隊長の指揮の元、城下街手前で鎮圧できるかと。哲の活躍のおかげです」

「哲が?」

 俊が思わず口を挟んだ。イルタが微笑を浮かべ頷いたが、すぐに真顔に戻った。

 イルタは馬をラートンに並べた。うずくまる夏季を見つけると、眉根を寄せた。

「彼女は大丈夫ですか?」

「わからない。少年に使った薬で様子を見なければなんとも言えないな。出来る限り早く城へ帰すつもりだ。他の戦況は?」

「荒野六区で黒装束の集団三十人ほどを全滅させました。ただ、荒野十二区で苦戦していて。十八人の小さな集団ですが、一人でかいやつがいる。どうやら相手の頭のようで、そいつに指揮官を倒され士気が落ちています。今のままではただの足止めにしかならないでしょう。苦渋の選択で、近辺にいる隊長を至急探しに来たのですが……俺が戻るまで、仲間がどれくらい持ちこたえていられるか」

「わかった。すぐに向かおう」


「方角はこのまま真っすぐ。来た道の足跡が多少残っているはずだ。不安になったらそれを辿れ。とにかく全速で城に帰るんだ。いいな」

「オッケー」

「わかった」

 倫と俊は異議を唱えず頷いた。

 イルタが俊の横に馬をつけた。

「無事でな。がんばれよ」

 俊の頭と夏季の頭を軽く叩き、倫には親指を立てて見せた。それから彼は馬の腹を蹴り、荒野を走っていった。

「ラートン隊長、傷は大丈夫ですか」

 倫が言った。ラートンがときおり腹を押さえているのを目ざとく見つけていた。ラートンが睨む。

「心配には及ばない」





 一行は一旦速度を落とし、俊がラートンの横につけた。ラートンはマントにくるまれた夏季を腕に抱え、俊の馬に移した。俊は手綱を離し、両腕で夏季を受け止めた。

「振り落とさないように気をつけろ。手綱を握りながら両腕で支えるんだ」

 俊が頷いた。

 ラートンが俊の馬から離れようとしたとき、腕が何かに強く引かれた。

 夏季の手が、ラートンの衣服の袖をぎゅっと掴んでいた。皮膚は既に紫色の斑点に覆われている。

「……行かないで……」

 夏季がかすれた小さな声で言った。

 ラートンは驚いて夏季を見つめた。目を固く閉じ、眉根を寄せ、苦しげな呼吸を繰り返している。

 ラートンは夏季の頭に手を触れた。茶色の柔かい髪の毛は汗で湿っている。

「大丈夫だ」

 そしてラートンは手綱を引き、馬の腹を蹴り、一行から離れていった。

 夏季はおぼろげな意識の中で、ラートンがあっという間に遠くへ行ってしまうのを見ていた。

 しかしすぐに意識は薄れ、夏季の目の前は暗闇に包まれた。

 深く濃い暗闇だった。





 ラートンはときおり腹部に重い痛みを感じていた。発作的に起こりすぐに消えるが、痛みと痛みの間隔がだんだんと短くなっているのが気がかりだった。

 痛みを沈めようと、深く息を吐いた。

「大丈夫ですか。敵にやられたんですね」

 イルタが声を掛けた。

「ああ。あの化け物、体内に黒いものを飼っていやがった」

 いつも落ち着いて丁寧に話すラートンが言葉を荒げたので、イルタは少し驚いた。

「生きていながら死んでいるようなものだ。そんなことを自ら進んでやるように仕向ける魔女。恐ろしい女だ。オスロをやり込めるだけある……」

「オスロ師士がどうかしたんですか? そういえば彼の姿を見ていない。大丈夫でしょうか」

 ラートンは答えなかった。イルタは不安に思ったが、オスロ師士についてそれ以上聞くことがためらわれた。二人の会話は途切れた。


 平坦な荒野の一部で、人が蠢いているのが見え始めた。黒い集団と、荒野の渇いた地面と同じような色をした集団がもみ合っている。近づくにつれて大体の人数が分かった。敵が15人、味方の軍勢はその半分程度しかいないようだった。


 長剣は折られて使えないな。

 あの狐め。


 ラートンは馬の腹を蹴りながらかがみ込み、左右の脛にくくりつけてある刃物の柄を掴んだ。身体を起こすと両手には一本ずつ短剣が握られていた。長さがないとはいえ、白く光る刃は鎌のようにカーブし、人を傷つけるに十分な機能を備えている。

 一気に馬の足が速まる。その勢いのまま、黒い集団に突っ込んだ。集団を突き抜ける間に、剣を素早く一振り、二振り、最後に上から下へ振り下ろした。

 彼が過ぎ去った後で、5人の黒装束は叫ぶ暇もなく胸や首から赤黒い血を吹き、その場に崩れた。

 ラートンの馬は手綱をひかれ制止されると、後ろ足で立ち、嘶いた。日光に輝くラートンの顔には、返り血が鮮やかな赤で点々と付いている。二本の短剣を素振りして、血のしずくを地面に落とした。

 残った敵も、味方も、突然の襲来に唖然とし、立ち尽くした。

「ラートン隊長だ……」

「ラートン……」

 そのつぶやきは、セボの兵士だけでなく、黒の集団の口からも漏れた。彼らはフードをかぶり、顔を隠している。

 ラートンは馬から飛び降りた。

 右手の短剣で、足元に倒れた黒装束のフードをなぎ払うと、そこには彼が訓練で直接剣の指導をした覚えのある顔があった。自らの血を浴びた顔は薄汚れ、目は虚ろになり、口から血を流していた。

「愚かだな」

 ラートンは嘲笑まじりに言った。


 ぎゃあ、とカラスのような悲鳴が上がった。

 黒装束の中でも一番身体の大きな男が、セボの兵士の胸を串刺しにしていた。黒い布をまとった大男の姿は熊のようだ。

 豪快に剣を刺した反動で彼のフードが後ろにはずれた。浅黒く日焼けした男のごつごつした顔が露になる。笑う口元からは黄色い歯がのぞいていた。頬に一本、それからもう一本、大きな切り傷が顔全体を斜めに横切っている。今の闘いで受けたにしてはふさがりかけているが、それでもまだ新しい傷らしく血がじんわりと滲んでいた。

「カルー、お前か!」

 馬から下りたイルタが吐き捨てるように言った。

 カルーが痙攣する兵士の胸から剣を乱暴に引き抜く。兵士は地面に崩れ落ち、ぐったりと横たわり動かなくなった。

 カルーはラートンに歩み寄った。

「ここへ来たということは」

 カルーは長剣をまっすぐ前に突き出していた。

「オミリア様の仇」

 ラートンが短剣を握り直した。胸の前で二本の剣を交差する。

 筋違いもいいところだ。あの化け物を倒したのは俺じゃない。

 ラートンは心の中でつぶやいた。

「『風使い』をやったのは俺だ」

 カルーが黄色い八重歯を牙のようにむき出して、にたりと笑った。

 ラートンは唐突な言葉に頭を巡らせ、そして言った。

「そうか。しかし昨晩『風使い』と話したときは、彼の口から君の名を聞いていない」

 カルーは太く濃い眉毛をぴくりと動かした。

 あのチビ。いたぶって殺したはずだぞ。

「驚いたようだな。彼は生きている。俺に、『風使いの仇』と言わせるつもりだったか?」

 ラートンが笑った。

「彼が生きていようがいまいが関係ない。あいにく俺は、そのような芝居がかったことはしない人間でな」

 訓練中はほとんど冷淡な無表情を変えず、必要なこと以外は喋らない。ときおり見せる微かな笑顔も、軽蔑な眼差しで暗くほくそ笑む姿ばかりだった。しかし今の彼の顔は明るく、希望に溢れていた。カルーはラートンの意外な一面を見て、少し怖じ気づいた。

「彼の生は、オミリアの死よりも恐ろしいか」

 ラートン自身でさえ、驚いていた。しかし笑うのを止められなかった。口から言葉が滑らかに出た。「使い」たちの強大な力を立て続けに目撃し、自分も力を分かち合っている気がした。子供じみていると思いながらも、それでいい気分になれた。

「お前ごときにやられるような者が『使い』に選ばれるわけがない」

 カルーはひどく痛めつけられたような顔になった。彼の日焼けした顔を一筋の汗が流れ落ちた。塩辛い汗が頬の傷にしみる。それは、「風使い」の哲につけられた傷だった。その痛みには哲の怒りが籠っているような気がして、背筋に冷たいものが走った。

「その傷をつけたのは誰だ?」

 カルーの思考を読み取ったかのように、ラートンが言った。


 傷……。


 カルーは頬の傷については考えないことに決めた。もう一つの傷のことだけ考えていれば、幸せになれる。顔面を斜めに走る大きな切り傷は、カルーが勝手な行動で哲にとどめを刺したことへのオミリアの体罰だった。痛かった。目をつむれと言われ素直に目を閉じた途端、顔に水の剣を突き立てられて、叫び声をあげた。しかしオミリア亡き今、その痛みもカルーにとっては形見と同じである。

 キムにはない。他の誰も持っていない。俺だけに与えられた印。

「これは……オミリア様の愛の印だ」

 カルーはへへっと笑った。


 気色悪い。

 ラートンもまた、相手の微笑みを不快に思った。


 イルタは黒装束の一人と剣を交えながら、対峙する二人を盗み見ていた。

 はたから見ていると、カルーは縦にも横にもラートンより一回り大きく、筋肉隆々の腕が、ラートンの首をへし折ってしまいそうに見えた。

 しかしラートンが負けるはずがないと、イルタは確信していた。


 カルーが、飛びかかった。

 ラートンは相手の懐に飛び込んだ。思い切りのよい、大胆で素早い動きに、イルタは鳥肌が立った。二人の交錯する剣は鈴のように美しい音で鳴いた。


「俺に勝つつもりなら、少なくとも訓練を真面目に受けるべきだったな」

 ラートンが冷ややかに言った。

「技を磨けと言っただろう。しかしお前は聞かなかった」

 カルーはどすんとひざをついた。広い胸には二本の深い傷が交錯している。大きな赤いバツ印は、カルーの全てを否定しているようだった。

「俺に勝っても……リカ・ルカ様の力には……勝てない」

 大きく重い上半身が倒れ、周囲に土ぼこりが舞い上がる。開いたままの目が虚ろだった。身体の下から血の海がじわりと広がっていった。


 一瞬の対決に息を呑み、イルタは相手の剣を受けるのが遅れた。肩に鋭い痛みを感じ、後ずさった。肩をおさえた手にはべっとりと血が付いた。

「気を抜くな! 敵はまだ残っているんだ!」

 ラートンの掛け声に、セボの兵士は雄叫びを上げた。敵と味方の数はほぼ互角になり、一気に士気が高まった。

 だだっ広い荒野にぽつんと広がる小さな戦場から、逃げ出すこともできたはずだ。しかし、そこにいる者すべてが、何かのために、誰かのために戦っていた。

 家族のため。指導者のため。愛する者のため。信じる者のため。


 俺は何のために戦っている。

 ベラのため。

 何のために戦っている。

 死んだ父のため。

 何のために戦っている。

 強くなるため。


 ラートンは剣を振りながら、自分に問いかけ、答えを探していた。






 ラートンはカルーを倒した後に二、三の敵をなぎ倒し、新たな相手を前に立っていた。残党を手早く片付けるだけだと、勝利を確信しかけた。

 不意に、腹部を鋭い痛みが襲った。体験したことがないような激しく凶暴なものだった。あまりの痛さに吐き気に襲われ、全身の力が抜けた。右手の短剣がするりと地面に落ちる。

 相手の黒装束は突然のことに驚いたが、次第に顔中に笑みを広げ、腹を折るラートンの懐に飛び込んだ。

「やめろおーー!」

 イルタはラートンの異変に気付き叫んだ。絞るような声で喉を震わせ叫ぶことしかできなかった。身動きが取れない。敵が覆いかぶさり、顔に突きつけられた剣を受け止めていた。死に物狂いで剣を振り払おうとした。傷つくのを構わず、素手で相手の剣を掴んだ。


 腹に深く突き刺さるものを感じた。

 腹部の激痛が倍増した。ラートンは喉から何かが込み上げてくるのを感じ、血を吐いた。

 馬鹿な。

 こんなところで俺は?

 奥歯を噛み締めた。考えるより先に手が動いた。左手に残った短剣を相手の背中に突き立てる。敵といっしょくたになって倒れ、地面を転がった。ラートンが仰向けに、相手が馬乗りになった。

 男は息を荒げ、興奮した様子で横たわるラートンを見下ろした。彼の背中からはラートンの短剣の柄が突き出しているが、まったく気にならないようだった。目を見開き、ぎょろぎょろさせている。

 男は勢いよく剣を振り上げた。しかし直後、男の身体が、どすんと揺れた。腹から白い刃の先端が突き出し、ぎらりと光った。剣が抜かれると、男は横に倒れた。

 そこにはイルタが立っていた。剣を持たない手から血を滴らせている。

「隊長!」

 イルタが血に染まった手を差し伸べた。

 ラートンはイルタの背後に影を見た。後ろだ、と叫ぼうとしたが、声はまったく出てこなかった。

 イルタは背中を斬りつけられた。

 ラートンに重なるようにしてうつ伏せに倒れ込む。その衝撃でラートンの腹が再び痛み、うっと声を漏らした。

「……俺に構うからだ」

 かすれた声でラートンが言った。

 イルタは、自分の下でラートンが動こうとするのを感じ、彼の身体を押さえつけた。

「静かに……。このまま……やり過ごしてください……。うまく行けば……」

「味方を見殺しにできない!」

 食いしばった歯から、血の混じった唾液が飛んだ。

「あなたは……セボに……必要です……」

 イルタは目を閉じた。意識を失ったようだ。

 血がどんどん身体から抜けていくのを感じた。薄れそうになる意識の中で、ラートンは考えた。

 彼の背中の傷も浅くはない。うまく敵がここを去ったとしても、生き残る見込みは……。


 目の前で、残ったセボの兵隊たちが次々と切り捨てられていく。

 ラートンは怒りでいっぱいになったが、身体が動かなかった。上にかぶさるイルタの重みをどかせるほどの力が残っていなかった。

 こいつめ。

 安らかに眠るイルタの顔を睨みつける。しかし見える像は二重に三重にぶれて頭がくらくらした。酔うような感覚に耐えられず目をつむると、気分は少しマシになった。


 まぶたの裏に、ベラの顔が浮かんだ。

 笑っている。公務以外で見せる本当の笑顔。

 俺がいなくなったら、彼女はどうなるのだろう。

 召使いが手を焼くに違いない。

 すまない、ニッキ。


 それから、夏季の声が蘇った。

「行かないで」


 ベラ王女以外にそのようなことを言われたのは初めてだった。


 なぜ君が言う?


 夏季の幻影に問いかけたが、彼女は反抗的な目で睨み返すだけで、答えは得られない。

 諦めたくはなかった。しかし身体はもう動かない。自分の身体も彼女の手のようにやがて呪いの印に覆われるのだと思った。

 腹に空いた穴から、体中の血が抜けていった。一度閉じたまぶたはもう開くことができなかった。






「やっと『水使い』の力を手に入れた矢先に、これはないって思う。でもあんた、こんなことでくたばるような女じゃないでしょ? ラートンに楯つくくらいの度胸があるんだから。そのどこから出てくるのか分からないパワーを、生き残るために使いなさいよ!」

 三頭の馬は夕陽の中を突き進んでいた。倫は馬を俊のすぐ隣につけて昏睡状態の夏季にまくし立てていた。

「おい、近すぎだぞ。もう少し離れろ!」

 俊が叱っても、倫は聞かなかった。

「信じてるから、がんばりなさいよ、夏季! 出来る限り早くお城に帰るから」

 倫の目からこぼれた涙は、風に乗って頬を横に流れていった。

「倫、城が見えた! 夏季を助けるぞ」

 倫は前方を見た。夕焼け空の中、浮かび上がる白い城が、希望の光に見えた。

 一気に熱くなる目頭。溢れ出てくる涙は夏季を病棟に運び込むまで止まらなかった。



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