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使い「花庭」



 静養日を挟んで三日間、大粒の雨が降った。兵隊の訓練は中止となったが、城下街の大工は悪天候の中でも休まず働き、家屋を直すリズミカルな物音が、カンコン、カンコンと、休むことなく鳴り続けた。前日までの天気が嘘のように空が晴れ渡り、朝日が水滴をきらきらと光らせると、修理工の立てる音がほとんどしなくなった。街は天気と共に回復し、平穏な日々が戻りつつあった。

 四人は互いに接触を避けた。「使い」が一カ所に集まることで、再び自分たちの手に負えないようなおおごとが起きるのではないかと、俊を含め、四人ともが恐れていた。夏季が知る限り同じ時間帯に食堂で誰かと鉢合わせることはなかったし、少なくとも彼女は図書館に近寄らなかった。そこに倫がいることは、間違いないからだ。誰かと顔を合わせる機会は、兵士の訓練だけだった。


 その日は幸いにもラートン隊長の姿はなく、オスロ師士から命じられたのはグラウンドのマラソン二十週だった。言い渡されたそのときは、罰としては軽すぎるように思えたが、実際に走ってみれば体力の低下が著しいことが身にしみてわかった。騒動で消耗しただけの力はまだ回復していないことを実感した。特に夏季は先日の事件に加えて旅先での消耗が上乗せされていた。哲はまだしも俊にさえ大幅な遅れをとる憔悴ぶりは、剣の訓練に励む兵隊たちもそんな彼女を見て驚くほどである。足は重く、息は乱れ、顔が歪むほどに苦しい。軽快な走りとは程遠いのであった。

 しかし、三人がどんなに険しい顔つきで走っていても、兵士たちが声援を投げかけることはない。多くの者が「使い」の暴走を目撃し、中には実家に被害を被った者もいる。人に直接被害がおよばなかっただけ良かったと言えるだろう。イルタやアレモでさえ、訓練中はもちろん進んで話しかけることはないし、城の中や城下街で顔を合わせても、ときおり引きつった笑顔を見せるだけで素っ気ない。


 倫は再び図書館に閉じこもっている。倫がオスロに調べたいことができたから訓練には出られないと言っているのを、夏季が回廊でぐうぜん見聞きした。隊長に一度厳しい罰則を受けたのに怖いもの知らずだと呆れる一方で、夏季自身や、おそらく、哲や俊も、周囲の態度の急な変化に参っているのに、倫だけは周りに左右されずマイペースを貫いていることは尊敬に値した。わたしにもあれだけの心の強さがあればなあと、夏季が独りバルコニーで物思いに耽ることもしばしばあった。夕日を浴びながら柵に寄りかかる夏季の小さな影は、実に寂しげである。

 ほとんど誰とも言葉を交わさないうちに再び周末となった。明日はユニのところへ行って、カウンター席でひっそり、他愛もない会話を楽しもうと心に決め、床に着いた。





 心地よい深い眠りの後に、快晴の静養日がやってきた。いい散歩ができそうだと考えると、気持ちがなごむ。気分がいいおかげであちらこちらに目がいくついでに、気まぐれに部屋のドアにある投函口を覗いた。すると、たまたま一通の封書が入っているのを発見した。セボに来てから初めてのことである。いったい誰からの手紙だろうと、首を傾げながら封筒を取り出し、まじまじと見つめる。宛名も差出人の名前も、書かれていない。怪しみながら、手で雑に封を破った。中には薄い小さな便せんが三つ折りに畳まれて入っていた。慎重に広げると、紙の真ん中に一つの文が、かっちりとした楷書で書かれているのが目に入った。たどたどしく文字を追い、短文をたっぷり五分かけて読む。セボの文字にはなかなか馴染めない。


 本日夜八時、四人揃って「始まりの部屋」に来られたし。

 軍部大臣 オスロ・ムスタ


 文面は簡潔だが、公式の文書であることが伺える。今夜の集まりが、ただの話し合いではないことを予感させた。


 食堂に入るとすぐに、哲と倫が向かい合わせで朝食をとっているのが目に入った。夏季が自分の食事を盆に載せて近づくと、二人が小さくおはようと言った。

 夏季も「おはよう」と返しながら、ごくふつうのあいさつが、何日ぶりかと考えた。

「今朝、ポストにこんなものが」夏季は周りからは見えないよう、控えめに封筒を出し、二人に見せた。

「わたしたちも。それについて今話していたところよ」

 倫が微笑した。

「そうじゃなかったら、俺たち二人がこうして同じテーブルに座ることはないだろうな」

 哲がおそるおそる、倫を見て言った。

「言うじゃない、ボク」すかさず倫が切り返し、目を細めてにたりと笑った。

 哲が目を伏せてしまったのを見て、夏季は思わず声に出して笑った。わたしたち、変わらないな。先日の騒ぎが嘘みたい。夏季は哲の横に腰を下ろした。

「俊は?」

「まだ寝てる」哲が首を振った。

「のんきなもんね」苛立もあらわに、舌打ちする倫。

「声かけたから今に来るんじゃないかな」

「優しいのね、君。あんなろくでなしにも声をかけるなんて。好きになっちゃいそう」

「からかわないでください!」

「どうして敬語なの?」倫は満面の笑みだ。

「哲、落ち着いて」口を大きく開いた哲を、夏季が制した。「『始まりの部屋』ってなんのことだろう?」

「そうねえ。わたしが思うに、このお城で最初にオスロから話を聞かされた部屋じゃないかと」

「ああ、あの窓がない部屋?」

 夏季は、セボにやってきた日、病室で意識が戻った後、オスロ師士、セナ、レナと共に入った部屋の様子を思い出した。明るく風通しの良い病室とは対照的で、窓が無く、松明の他は光がない、息苦しい部屋だった。

「他に四人全員が知っている部屋は、まああるけど、この食堂とか。でも『始まり』というからにはそこが有力じゃない? もしもあの部屋に行って誰もいなかったら、場所が分からなかったってことにしてさ、自分の部屋に帰って寝ちゃえばいいよ。次の週にお仕置きされるかもしれないけど」

 倫はくすくすと笑った。

「笑い事じゃないよ、倫さん。もう先周走らされてるんだよ。来周朝一に罰があったら本当に泣くかもしれない」生まれて初めてマラソンの苦しさを知った夏季は、本音を言った。

「ていうか倫さんずるいよ。俺たちくそ真面目に走ってるのに、まだ休んでる。罰も受けてない」

「調べものができたって言ったらオスロ師士が大喜びで免除してくれたわよ。『君は草だけでなく、文章に対しても優秀な能力を持っている』ですって。『いっそのこと文官になればいい』って冗談言ってたわ」


 夏季と哲は言葉に詰まった。

 確かに、倫は訓練をさぼり倒しても、本を読んでいる。そう、読んでいるのだ。二人は未だにセボの文字に疎い。街に出れば値札に付いている商品名やメニューに載っている食べ物について、いちいち店員に口頭で説明してもらわなければさっぱり分からない。口を開けばすいすい出てくる言葉なのに、文字になった途端もどかしいくらい理解できなくなる。本を開いて長文を何千ページも読むなどもってのほか。

 一方の倫は、すでに図書館で何百冊という本を完読しているのだ。彼女は訓練に出なくても文官の仕事で役に立てるが、夏季や哲は体を動かすこと以外にできることが思い当たらない。夏季は、自分は料理が得意であることを、閃きを得るかのように思い出したが、オスロのところへ行って「自分は料理ができます」と申告したところで彼が喜んでくれるだろうか。私は料理をするためにはるばるセボへやってきたの? そう考えると、むなしいだけだった。


「あ、来た」

 倫が扉の方を見て言った。

 夏季と哲が倫と同じ方向を見ると、俊が食堂に入ってきたところだった。俊は真っ直ぐ、三人のいるテーブルにやってきた。俊が食堂に入った途端、兵隊たちの目線が集中したが、彼はまったく構わず上着のポケットから封筒を取り出した。

「なんだこれ」

 俊はぶっきらぼうに言って、封筒を三人の目の前に突き出した。

「へえ~、あんたのところにも来たんだ、よかっ……」

「今話していたところなんだ。『始まりの部屋』っていうのがどこだろうって」

 哲が慌てて、倫の言葉にかぶせるようにして声を張り上げた。夏季がテーブルの下で倫と哲の足を蹴る。できれば仲間内だけで話したい内容だと考えたのだが、その意図は伝わらなかったようで、哲は夏季を責めるように睨んだ。

 俊と倫が揃った途端、緊迫した空気が流れるのだった。

 朝食の間は四人とも、ほとんど喋らなかった。倫はふだん通りとばかりの落ち着きぶりだが、他の三人は周囲の目線がうるさくて、苛立っていた。

「……やっぱり俺たちが揃うと目立つらしい」俊が小声で言った。

「当然だよな。民家を数十軒破壊したんだ」哲もひそひそと、口に手を添えて言った。

「わたしは破壊してないけど」夏季は眉を吊り上げていた。

「散歩でもしない? ここはだめね」

 倫の提案に、全員が賛成した。





 建物と建物をつなぐ、タイルが敷かれた道に出た。

「わあ、きれい!」

 夏季が感嘆の声を上げた。

「来たことない? ここは城の中庭の一つで、通称『花庭』」

 倫が明るく言った。

 萌える緑、咲き誇る様々な花。鮮やかな色彩に目がくらみそうになった。

「来たことある気がするけど、そのときはほとんど花が咲いてなかったんだと思う」

 新鮮な草の香りを吸い込むと、懐かしい気持ちになった。

「よいしょ」哲は芝生の上に腰を下ろした。

「じーさんみたい」倫も花壇を囲った大きな煉瓦の上に腰掛けた。

「じいちゃんゆずりかな」

 哲は微笑み、空を仰いだ。

 俊は花庭に背を向け、明るい陽射しに手をかざし、城を見上げている。

 街へ出る兵隊や家来が増えるためだろう、静養日の城は、平日より静かである。特に中庭に出ると、城の白い壁に絡まった濃い緑の蔦や小鳥のさえずりが、うるさくて野暮ったい兵隊宿舎とはまったく別の世界を作り出していた。


 どこからか、男女の笑い声が聞こえてきた。鈴のような女性の声音と、若い男のくすぐったくなるような低音が重なって、絶妙なハーモニーである。

「見てよあれ」

 倫がはっとしたように花園の方向を指差した。

 花に囲まれて笑い合う、二人の人物がいた。


 俊の目は王女から離れない。哀しげな瞳で、陽光に白く光る王女の横顔を、黙って見つめるばかりだった。倫は小さく「無駄よ」とつぶやいたが、俊に面と向かってぶつけることはなかった。つい最近の大事件を反省してのことだろうと、夏季は思った。

「あれ、隊長の人?」哲が息も絶え絶えに言った。

「『隊長の人』って何。隊長でしょ。二等兵隊長の一等兵、シエ・ラートン」倫が斬り捨てるように言った。

「あ、あんな笑い方するなんて」夏季が恐れをなしたように震え声を出した。

「あれでも彼は人間なんだし、若いんだし」倫は当然という口調だ。

「王女も笑ってる」

 俊が、無表情にぽつりと言った。

 四人は、シエ・ラートンとベラ王女の二人に目が釘付けとなった。二人は見物者に構わず笑い続けている。ベラ王女がそのように無邪気にけらけらと笑う姿も、ましてラートン隊長がそのように声をあげて笑う姿も、ふだん厳粛な殻をまとった彼らからは、想像できないものだった。

「しかしまあ、堂々としてるよな。ラートンは兵隊で、相手が王女だろう? こういう場合、身分とかは問題にならないのかな」哲が言った。

「幼なじみですって。恋仲という確証はなし。でも噂はごまんと流れてる。君もその辺の家臣に聞込みしてみなさい。刺激的な話も聞けるかもよ……うーん、君にはまだ早いかな」

「聞込みまでしたのかよ。あんた噂好きなおばさんみたいだな!」

 哲が顔を赤くして言った。

「ゴシップもバカに出来ないからね。まあ、なによりおもしろいんだけど」

「幼なじみっていうのも、階級は問題ないのかな」夏季が言った。

「先代の王様……つまり王女のお父さんと、ラートンの父親……は軍部大臣。二人の間には主従を超えた信頼関係があったんですって。互いに友人と認めていた。そんなつながりで、お互いの子どももお友達になれたとか」

「周囲の反応はどうなんだろうね」

「身分の差に関して? 王権は無いに等しいというから、そう口うるさく言う人は少数派でしょ。それにまあ、城の人たちは仲のいい二人には慣れっこなんじゃないかな」

「なるほど」夏季と哲が同時に言った。

「二人の親、今でも仲がいいのかな?」哲が言った。

「あれ、知らない? 王様は何年も前に亡くなられた。だから今は王女が領主なのね。隊長の父親も、王権を巡る政治混乱の最中に命を落としたそうよ」

「へえ……気の毒だね」


 倫が立ち上がった。

「お邪魔かしらね」

 三人も倫にならい、タイル敷の通路に戻った。

「『ヒムラ』にでも行こうか?」

 哲が思いついたように言った。

「わたしは今日、そのつもりだったよ。カウンター席なら人があまりいないし」夏季が言った。

「どこそれ」倫が言った。

「倫さんは行ったことないんだ。オスロ師士の奥さんがやってる酒場だよ」と夏季。

「へえ。昼間から飲むの?」

「まさか。ごはん食べるだけ。……未成年だし」夏季が言った。

「セボなら関係ないでしょ」倫がはきはきと言った。「お小遣いのお礼も言いたいし、行くわ」

 何周も前のことになるが、ユニにもらった小遣いのうち、倫の分は俊に託した。ちゃんと渡してくれたんだと、夏季は俊を見た。彼は三人の前を、一人黙々と歩いている。

「俊も行くよね?」

 夏季は俊の背中に声を掛けた。

 俊が振り返り、少し驚いたように夏季の顔を見た。哲はそっぽを見ている。倫は上を向いて口笛を吹いていた。二人はわざとらしく、夏季と俊の会話が聞こえないようなふりをした。

「ユニさんのカウンターを、四人で占領しようと思うんだけど」笑いをこらえて、夏季が言った。

「……ああ。行く。ヒマだし」俊は、むすっとした顔のままで、ぼそりと答えた。

 こうして四人はユニと共に、昼の時間をおおいに楽しむこととなった。





「シエ。フロウの花がきれいよ」

 ベラ王女はふわりと開いた花弁に、優しく手を触れた。白いドレスの裾が地面につかないよう、左手でたくし上げている。

「ああ」

 赤い花を見て、シエ・ラートンも微笑んだ。

 花庭は、二人の世界を優しく包んでいた。周りに漂う花の香りは、濃く、長時間吸い込んでいたら酔ってしまいそうなほどである。

「ニッキに頼んで、お部屋に飾ってもらいましょう。あなたの書斎にもどうかしら?」

「そうしましょう」

「あら、他人行儀はやめてと言ってるのに」

「申し訳ございません」シエが重々しく言った。

「もう」ベラが怒ったように顔を背けた。肌もブロンドの髪の毛も、太陽の下では白く輝いて見える。

「お気分を害されましたか」シエはわざとらしく、ベラの顔を覗き込んだ。

「……ふざけているのね」ベラはシエに向き直った。青い瞳が笑っている。

「お気付きになられましたね」

 シエはにこりと笑った。

「シエったら」

 ベラ王女が目を細め、奇麗に揃う白い歯を見せ、声に出して笑うのを、シエ・ラートンは静かな黒い瞳で見守った。

 束の間の休息を、こうして王女のために使うことは、本望だった。彼の心の癒しである。

「あれは、『使い』たちね」

 王女はふと、タイル敷の渡り通路に目をやった。夏季たちの背中が建物の中に消えようとしている。

「ああ」

 シエも王女と同じ方を見た。

「彼らはなんのためにここに来たの?」

「この国のため」

「……ただの子どもよ」

 王女は眉根を寄せた。

「ああ。子どもだな……」

 シエは無表情に言った。

 竜巻騒ぎが起きたとき、彼は辺境地域の偵察に出向いていたので、大雨の中を城に帰り、事後処理に参加しただけである。彼らの力を実際に見たわけではなかった。民家が壊れるほどの激しい竜巻を起こしたのも、その怪物を沈める雨を降らせたのも「使い」の力であるというが、体力作りのマラソンにさえついていけない青年や、シエの剣の前に一打の打撃も繰り出すことができなかった少女が、超人的な力をなぜ使うことができるのだろうと信じられなかった。

「ひとり小さな女の子がいるでしょう。ニッキには『見かけで人を判断してはいけない』と言われたから黙っていたけれど、朝礼のとき、吹き出しそうになるのを必死にこらえたのよ。顔を見ればわかる、彼女自身、なぜ自分がここにいるのか分かっていないのよ」

 先ほどのかわいらしい笑顔とは打って変わって、ベラは意地悪く鼻で笑った。

「ニッキの言うことが正しい。先日の騒ぎを沈めたのも彼女という話」

「本当かしら」

「ハリルが言ったことだから、本当だろう」

「ああ。副隊長のあの人のこと? アゴの髭が汚いから信用ならないわ」

 王女がハリルと言葉を交わしたことは何回あるだろうか。五回に満たないという自信があった。ハリルは身だしなみが良くないし、姿勢も悪い。しかし中身は誠実そのものだということを、シエ・ラートンはよく知っていたので、ベラ王女がイメージを勝手につくりあげていることが心苦しかった。ところが、ベラの言ったことを否定すれば、機嫌を損ねることは目に見えているので、シエは黙っていた。

「『使い』の待遇の見直しを提案しましょう。二人ずつの相部屋で十分だと思うわ。給料も臨時召集兵と同じ程度にして……」

 ベラが意気込んで言った。王女の提案は次の幹部会議のときに文書で伝えられるだろうが、即時に却下されることは目に見えた。王権がうわべだけであるのに加えて、幹部は皆、王女の無知を知っているからだ。

 シエはベラの意見を肯定もせず、否定もしないで、黙ったまま花庭を出て行こうとした。

「待って」

 ベラはシエが隣りにいないことに気付き、凛と歩く彼の背中を追いかけた。

「午後からまた外に出ないと」

 ベラが追いつくと、シエが事務的に言った。

「もう? ずっとそんな調子ね」ベラは眉をひそめた。

「慣れたよ」シエはさらりと言った。

「次はいつ会える?」

「わからない」

 以前はこの問いかけに正確な日にちで答えることができたが、近頃は予定が不透明だった。それも、セボの周りで不審な動きをする輩が増えていることが原因なのだ。

「さあ、この辺りで別れよう。文官に陰口を叩かれないように」

 シエは足を止め、王女に向き直り、優しく諭すように言った。

「そんなもの怖くないわ」

 ベラは揺れる瞳でシエを見上げた。

「あなたのためだ」

 ベラは不安げな表情を残しながらも、微笑んだ。それを見てシエも微笑み返すと、王女を後に残して回廊を足早に進んだ。一歩を踏み出す毎に、顔には厳しさが戻っていく。






「じゃあね、ユニさん」

「また来てね。最近はにぎやかで楽しいわ」

 ユニは店の前まで見送りに出てきた。

「カウンター席のことだよな」哲が夏季に耳打ちした。

 夏季は咎めるように哲を横目で睨んだ。

「ほんとうに太っ腹な人ね。半額で済んじゃった」

 倫があきれたように言った。

「赤字じゃないか?」

 俊が腕を組んで言った。


 四人は夕焼けの中を横に並んで歩いた。ときおり人々が口元を手で隠して通り過ぎるが、今はとくに気にならない。竜巻騒ぎについてユニと談笑してきたところである。

 四人であの日のことを振り返ってみたら、笑い話にしかならなかった。そもそも俊が腹を立てた理由、俊が話している途中でユニがばかばかしいと笑い飛ばした。あまり派手に笑ったので、店中の客が何事かと振り返るほどだった。俊自身もそのうちにおもしろくなってきて、笑い出す始末だった。

 ハリルが間抜けな発言で俊の神経を逆なでしたことを初めて聞いた夏季は、副隊長のひげ面を思い浮かべたとたんに笑いが止まらなくなった。哲が必死で火を消そうとしたことさえ、その場面を想像すると滑稽に思えた。

「でも、笑い事にするには、あなたたちの力が大きすぎたのよね」

 しかし、話しの締めくくりにユニが発した一言は、四人それぞれが、心の内でその意味を噛みしめることになった。


「わたしたち、自分の手に余るものを持っているんだ。大変なことだよね」

 夏季が、道の向こうに沈んでいく、赤い夕日を見つめながら言った。

「それを上手に扱えるよう、オスロ師士が面倒を見てくれるんでしょう?」

 倫が言った。

「そうだな。今夜もきっとそれに関係した話があるんだろう」

 哲は買い物の荷を肩に掛け直した。

「ちょっとは反省した?」

 右端にいる倫が、左端にいる俊に話しかけた。

「……なにを?」

 俊は倫を睨んだが、以前の本気の憎しみはやわらいでいた。

「まあ、分かってるみたいだから許してやろう」

 倫がわざとらしく、ため息混じりに言った。

「何様だ、お前は」

 俊は少し苛立ったが、怒りはしなかった。

 城に帰るまで、終始なごやかだった。異世界に来てからどこかわだかまっていた寂しさが、初めて消えたように、夏季は思った。そしてそれが他の3人も同じように感じていることが、手に取るようにわかる。

 やっと、通じ合えた。そのうれしさは計り知れない。






 夏季は今、扉の前に立っている。一瞬、倫が食堂で冗談半分に言ったように、扉を開けたら誰もいなかったということになればいいのに、と思った。部屋の中で、何を話されるのか、怖かった。

 しかし、右隣りには哲、左隣りには倫、その隣りには俊がいる。夢占いのときのように、一人ではない。あの頃にはいなかった友人がいる。何が来ようと、立ち向かえるような気がした。

 少しの不安を抱きながら、倫がドアノブに手をかけるのを見守った。


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