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使い「水の龍・後編」



 密集した民家の中でぽつりぽつりと明かりが灯る、小さな集落のはずれ。厚い樹木が包み込む暗闇の中に、たった一つの炎が、パチパチと音を立てながら揺らめいていた。

 テラが、自宅から残り物の入った鍋を野営地まで運び、夏季はそれを火で温めて食べた。

「君のおかげで食生活に文句はないなあ。ほんとに」

 鮮やかな色をした野菜のスープで口の周りを赤くした夏季は、テラの小さな頭をわしわしとなでた。

「僕にできるのは、これくらいだもの」

 暗がりで、テラが肩をすくめるシルエットが浮かび上がる。

 昼間の出来事は、若い二人に暗黙の了解をもたらした。すなわち、もう、水使いであるかないかを議論するべきではない。この先何が起こるのか、予測不能となったからだ。

 木の椀の中の水が生命を持った後、テラの顔に表れた喜びや驚き、そして恐れの表情を、夏季はしっかりと見た。そう、少年が感じているのは、決して喜びばかりではない。見た事の無いものを目の当たりにすれば、期待よりも不安が大きいのが当然ではないか。しかしテラはその出来事に反応を示したのであって、夏季自身を恐れることはない様子、夏季はそのことにほっと胸を撫で下ろした。正直なところ、この少年に慕われるのとそうでないのとでは、大きな違いがあることに、気付かないわけにはいかなかった。

 とは言え、今や起きることが起きてしまった。一度起きてしまった以上、次に再び何かが起きることは間違いないと言っていいだろう。ただ、そのことを、夏季もテラも口に出しては言わない。二人のどちらも、それぞれで不安を抱えているのだ。


 木の椀に手を差し入れたとき、夏季は二つのことを感じ取った。一つ目は、水に触れた瞬間の、心地よい一体感。水面に触れているのは指先だけなのに、全身に水をまとっているような、もったりとした感触が体の隅々に広まったのだった。ひんやりと爽やかで、肩にかかる微かな重みが心地よかった。

 二つ目は、水自体と関係がない。ただ、誰かに見られていると思ったのだ。背中に目線を感じるのとは似ているが違う。こう言うのも奇妙だが、頭の片隅に誰かがいるような感触である。何者かの目に心の中を探られているような気がして、不快だった。

「はい、ジュース」

 テラの声で、夏季は我に返った。テラの手にはコップが握られている。

「ありがとう」

 焚き火の光だけではその液体の色の判別は不可能だが、夏季はそのまま口に運んだ。予想どおり、その飲み物からは微かに土の味がした。村の食べ物にはすべて根菜が欠かせないらしい。夏季は大らかさを感じさせるその味が、気に入っていた。


 テラの兄は、テラの行き先を知っているはずだが、夜間の外出を許したようだ。二人のささやかな友情を気遣ってのことだろうか? しかし、帰宅があまり遅くなることも、当然望ましくないだろう。夏季はテラがいなくなった後の寂しさを覚悟してから、言った。

「そろそろ家に帰らないと、じゃない?」

「そうだね」

 テラは夏季が言うのを待っていたように立ち上がり、空になった鍋を手に持った。

「明日も何か持って来てあげるよ」

「お願いしようかな」

 正直なところ、乾燥された非常食ばかりでは、食事に満足できないのだ。テラは小さな笑顔を見せると、足早に帰って行った。家族の元へと。

 帰る家があっていいなあと、夏季は思った。

 セボに家はない。ちょっとした仲間はいるけれど、家族はいないのだから。

 その日の夢の中でもやはり、水の龍が元気よく噴出していた。しかし、昨夜見たはずの洞窟は、消えていた。


 翌朝も、テラは夏季のために鍋の残り物を運んで来た。

「ねえ、この辺りに洞窟はある?」

 強烈な日光で空気が暖まる頃、夏季は出し抜けに聞いた。

「洞窟……。うーん。森の向こう側に、暗ーい穴があるけどね」

 夏季は「そう」と、力無く相づちを打った。

「そこには、何があるの?」

「よく分からない。昔、近所の子がそこでいなくなって、それからは近づかないように言われているから」

「へえ……」不安と期待がないまぜになる。

「大人は絶対に近づかないけど」

 テラはここで、にやりと笑った。

「僕らはたまーに、穴の近くまで行くんだ」

「肝試しね」

 夏季も笑顔を見せた。テラがこくりとうなづく。

「中に入ったことはある?」

「ないよ」テラは首を横に振った。

「入ろうとすると、嫌なことが起きるから」

「嫌なこと?」

 夏季は子どもの話に惹きつけられた。

「必ず誰かがケガをしたり、病気になったりする。雨が降らなくなったのも、村に立ち寄った浮浪者が、一晩穴の中を宿にしてからだ」

「村長さんは、そのことについて何も言ってなかったよ。水不足の原因について」

「口に出すのが怖いんだよ、大人たちは。誰も洞窟の中にいるモノの正体を知らないからさ」

 テラは黙った。しばらくしてから、夏季は重い口を開いた。

「洞窟まで、案内してくれない?」

「いいけど、あまり近づけないよ。これ以上村に何か悪いことが起きたら、大変だもの」

「わかった。ちょっと見るだけでいいから」





 森の緑はほとんどがしおれていた。

 中心部に、木々の水源である泉が一つ、あった。村人たちは井戸を持っているが、この干ばつにより井戸は干上がり、わずかな水源をかき集めてなんとか生活していた。森の近くの住人はその泉を水源の一つにしているようだが、そこは元々貯水量が多くないために、枯れはじめているのだとか。木々にしてみればいい迷惑だと、テラは少し怒りながら言った。

「でも、無理ないんだよね。井戸が全然ダメなんだから」

「あれがその泉?」

「うん。ひどいでしょ」

 夏季が指差す先には、大きな広場の真ん中にぽつりと、小さな水たまりがあった。

「これが、泉?」夏季は悲しくなった。

「こんなになってもそう呼ばれてる」テラがフンと鼻を鳴らす。

「雨は、どれくらい降ってないんだっけ」

「十六周期と二日」

「日にちで言うと?」

「うーんと。六日が十六回と二日だから……」

 テラはしゃがみ込み、何やらミミズのような文字で地面に計算式を書いた。

「……九十八日!」しばらくして、テラが大きな声で答えを読み上げた。

「三ヶ月、か」夏季がぽつりとつぶやく。

「なに?」テラが怪訝な顔をする。

「なんでもない」夏季はゆっくりと首を横に振った。

 夏季は水たまりを囲む、直径三十メートルほどの大きくゆるやかな窪みに足を踏み入れた。

「地面が乾いてる。出るもの全部吸い取られたって感じじゃない?」

「そのとおり、ぜーんぶホースで吸い取ってるんだよ。ホースを使って、大きな革袋に水を詰め込むんだ」

「ホースねえ……」

 ふだん水道を使っている夏季は、水が汲み取られる仕組みについてほとんど知らない。ただ、どんな生活でも、ホースではなく、配水管のようなもので水はいろいろな所に運ばれていると思っていた。

 だから、真っ先に目がいったのは、水たまりの底に空いている、小さな穴だった。

「君たちがホースと革袋を使うなら、これはなんだろう?」

 夏季は水面を指差しながら、テラに聞いた。

「知らなーい。水が湧いてくるんじゃないの?」

「ここが湧き水だって、誰か言ってた?」

 夏季はそう言いながら、水たまりの中に手を入れた。

 生い茂った木々の影に包まれた水面は、予想以上にひんやりと、肌を刺した。以前と変わらない、冬の朝に氷のような冷たさの水を触る時の感覚である。そういうとき、夏季は水が憎かった。なのに、しばらくすると、昨日体験した不思議な心地が再び戻って来た。触れているのは指先だけなのに、体中が水をまとっている。刺すような冷たさが、嫌ではない。

 小さな水たまりの中に、水流があることが分かった。それも微かだったから、もっと集中して感じ取ろうとして、目をつむった。すると、水の流れは映像となって夏季の頭に流れ込んでくる。


 小さな穴を通った泉の水は、小さな気泡といっしょに細い管を流れて行く。まるでその管の先から吸い寄せられているかのように勢い良く。そして、その先にあるのは……


「テラ、あっちの方向に何がある?」

 夏季が急に目を開けて立ち上がり、森の奥を指差した。

「そっちには、あの洞窟が……」

 テラはハッとしたように、夏季の顔を見た。夏季は洞窟のある方向をじっと睨んでいる。

「なんか、ただの穴じゃない線が濃厚になってきたよね、テラくん」

「……まさか、夏季。洞窟の中に入るの?」

 夏季は明るい笑い声を上げた。

「それはやだよ。一人じゃ怖くて入れないもん」

「じゃあ、僕も行こうか?」

 テラは年齢にそぐわない真顔でさらりと言った。夏季は優しい目で、テラを見下ろした。

「君は、今すぐ家に帰って」

「急に邪魔もの扱い?」

 テラは恨めしそうに夏季を睨みつけた。本人にそうする気はないだろうが、上目遣いが女の子みたいだと、夏季は思った。

「さっき思ったけど、一人のほうが水使いっぽくなれるみたいだから」

 テラは一転して笑顔になり、けらけらと声をたてた。

「夏季。雨降る?」

「分からないな。先のことは分からない。でも、そのためにできそうなことはやってみる。……私にできれば、だけどね」

「やれるよ。だって今日の夏季、『水使い』だもん」

「『今日の夏季』て、なにそれ」

 二人は顔を見合わせて、くすくすと笑い合った。

「案内ありがとう。それだけじゃない、おいしいご飯もね」

「どういたしまして。残り物なら、うちにくればいくらでもあげるよ」

「人を、貧乏人みたいに」

 既に歩きだしていたテラは、一度振り返って不安そうな目つきで夏季を一瞥すると、前に向き直って茂みの奥に姿を消した。





<今はまだ。でも、近いうちに>

 耳に残るのは、聞き覚えはあっても誰のものか思い出せない女の声である。

 そう、今ではない、洞窟へ入るのは。今しなければならないのは、私がちゃんとした「水使い」になること。だからオスロはここへ私を派遣したんだ。城に帰りたければ頼まれたお遣いを果たさないと。

 洞窟の中へ入りたい冒険心の誘惑を振り切って、夏季は泉に顔を戻した。


 そこには相も変わらず、小さな水たまりがあるだけだった。

 完全に乾いて地面がひび割れている大きな窪みの中に降り立ち、僅かに残った水たまりに右手を差し入れた。水に手を触れると以前よりも鋭い感覚が呼び覚まされることは分かるのだが、それもまとまりのないあいまいな感触で心もと無い。触覚以外の感覚による混乱を避けるため、目をつむった。


 賢明な判断だと、夏季自身が確信した。このような小さな水たまりでは起こりえないはずの流れが、水たまりの中を渦巻いていた。手に触れる水は夏季を受け入れた。相性がよい、と言うべきだろうか。水流は彼女の手にまとわりつきながら、夏季自身はなんの抵抗も感じない。毛並みのよい動物を撫でている気分だった。

 しかし、水との心地よい交流に隠れ、別の意志が働いていることも感じられた。それすらなければいつまでも水流と対話していられる気がするのに。すっきりしなくて、気持ちが悪い。誰かが私を妨害しようとしている。私が夢に出て来た水の龍を呼び出すことを、喜ばない誰かが。

 夏季は探った。見つけなければならないものは分かっている。そしてそれが必ずこの近くにあることも。指先で感じ取ろうと、夏季は頭に力を込めて強く唱えた。


 どこにいるの?


 突然、夏季の両耳はごぼごぼという水音で満たされた。まぶたは閉じているのに見ることができる。暗いトンネルを猛スピードで進むカメラを通して見ているようだった。細かい気泡と共に夏季は暗闇を突き進む。その先にあるのは間違いなくあの、洞窟であることが夏季には分かる。水がそう言っているからだ。怖いけれど、映像を断ち切ってはいけない。それでは夢の「龍」を呼び出せないだろう。洞窟の奥にあるものを見るのは気が進まないが、水は私に見せようとしている。

 トンネルは縦横無尽に曲がりくねった。目を閉じたままの夏季は目を回してよろめいたが、土の上にしっかりと手をつき、水との対話をやめないように踏ん張った。

 大丈夫。洞窟の恐ろしい何かと鉢合わせることは避けられる。水がルートを選んでくれている。安全であることが夏季には分かった。不安に押しつぶされそうな夏季を見かねて、水がそうつぶやいたからだ。

 そして私は見つける……

 あの龍を。


 夏季の頭の中とは対照的に、森は静かだった。聞こえるのは、風による木々のざわめきと、かわいらしい小鳥の鳴き声だけである。その平和な静寂が間もなく破られようとしているが、森は知らんふりをして、平静を装っている。

 堅い大地のわずかな隙間から、水がちょろちょろと湧き、やがてそれは土を抉りながら小さな渦を巻いていった。夏季が力一杯目を閉じて頭が震えるほどに念じ続けると、渦は少しずつ、次第に大きくなった。五百円玉ほどだったのが皿の大きさになり、夏季のつま先まで巻き込みそうになる。夏季は渦に呑まれないように後ずさりながら、こめかみに手を当てて強く念じることを止めなかった。


 出ろっっっ!!!!


 渦巻く水たまりが直径十メートルほどになった。急に、水の流れが止まった。次に地響きが起きた。水面は地面の振動に揺すぶられ、いくつもの波紋を織りなした。

 大地に響く大轟音と共に、巨大な水の龍が地中から土を突き破った。周囲に水しぶきをまき散らしながら、周りの土を大きく抉り取る。龍は大きな口を開けたまま、その重量をものともせずに、猛スピードで、高く高く、天へと昇っていく。

地下から湧き出る水の、耳を破らんばかりに大きなごうごうというという音の中に、夏季は甲高い鳴き声を聴いた気がして、大きく見開いた目で空を見つめていた。

 鳥肌がおさまらず、両腕で自分の体を抱いた。

「すごい」

 一言だけ発して、肩で息をしながら、土の上にへたり込んだ。





 力を使い果たした心地で、よろめく足を引きずり、やっとのことで野営地まで戻った。すでに日が落ちる直前で、辺りは薄暗くなっていた。

 餌を求めて、クララが嘶く。

「待って。まず私が食べないと死んじゃう」

 冗談めかして、一人笑い声を上げた。

 力の入らない手でマッチをすり、やっと火のついた二本を取り落とし、三本目にしてようやく火をおこす。炎の光に照らされてやっと、何かが置いてあることに気付いた。

 シチューらしきものがいっぱいに入った鍋が一つ。

 パンの入ったカゴが一つ。

 テラのお裾分けだった。





 一粒の水滴が額に落ちた時、男は鳥の糞だと思い込んで悪態をついた。しかしあまりにもたくさんの糞が降ってくることを不思議に思い、見上げた彼の顔の、なんとおかしかったことか。ぽたぽたと落ちてくるのは鳥の糞ではなく、無色、無臭のきれいな水だった。

 干ばつ続きでひからびた村の畑に、雨が降った。子供がどしゃぶりの雨の中ではしゃぎ回る。大人たちは家の窓から、そんな子供たちを笑顔で見守った。


 水の龍が天に昇ってから二日経つのに、雨はまだ降り続いていた。しかし空はほのかに明るく、雨粒が藁葺き屋根を叩く柔らかい音は耳に心地よい。晴れの日にはない落ち着きが、長い間求めていたものを得た充足感が、村中を満たしていた。

 夏季は二日が過ぎる間のほとんどを、野営地の木の下で眠ったり、それ以外は頭上の葉に雨粒が落ちる音に耳を澄ませて過ごした。水の龍の出現の後は体力の消耗が激しく、とても自分の足で立ち上がって何かをする気にはなれなかったのだ。しかし、丸一日をほとんど眠って過ごしたはずなのに、ふと目を覚まして天を見上げれば、それまでなかったはずの屋根が設置されていたり、クララの餌が用意されていたりと、誰かが近づいた形跡がそこかしこに見られた。そんな変化を見つけるにつき、どうやら汚名が洗い流されたらしいことを、強烈な眠気に支配された頭でぼんやりと理解していった。疲れきった彼女自身には構わずに黙って何かを残して行くという、さりげない気遣いが、夏季はとてもうれしかった。

 幾日かぶりに立ち上がると足元が少し頼りなかった。今の村の穏やかな空気に浸っていたい想いは強かったが、夏季はそろそろ城へ戻るころであると決断し、村長にそう申し出ることにした。


 夏季は村長の邸宅に招かれていた。

「オスロの言うことはほんとうだった。君は真の『水使い』であった」

「水使い」とは、なんと美しい響きだろう。この名にこれまで感じることができなかった何かを夏季は初めて感じ取り、その言葉にじっと聞き入った。今はもう、名前が一人歩きすることはない。私が名乗るべき名なのだ。

「井戸の水を運ぶ水馬引きも仕事に復帰できて、張り切っておる。彼らによればだな、これで地下水に蓄えもできるし、少なくとも一年間は村人たちが安心して暮らせるということだ」

「本当に、よかったですね」

 夏季は喜ぶテラの顔を想像して、笑った。

「村人全員に代わってあなたに礼を言いましょう。ありがとう」

 夏季はなんと答えていいのか分からず、小さな声で「とんでもないです」とだけ言った。





「夏季」

 何人か集まった村人たちに囲まれてクララの背に乗った夏季は、背後の誰かに呼び止められた。振り返ると、緑色の雨合羽に身を包まれた、小さな影が立っていた。

「見送りに来てくれたんだ」夏季はにこりと笑いかけた。

 テラも合羽のフードの下から、ほころばせた顔を覗かせた。

「信じてくれてありがとう。私が『水使い』になれたのは君のおかげだ」

「夏季はもともと『使い』だったんじゃないか。僕はまったく関係ないよ」

 村人が見守る中、二人は馬の上と下から見つめ合って、言葉の無いあいさつを交わした。


 クララの背に乗った夏季は、三つの水の玉を玩んでいた。器用に片手でお手玉をしている。水の龍を出して以来、小さな体積の水を自由に操れるようになり、水使いの力を始めて行使できた興奮は、しばらく収まりそうになかった。

こうして夏季は帰路につく。

「さあ、帰ろう。仲間の待つ城へ」

 クララに優しく話しかける夏季だった。






 暗く静かな穴蔵で、狐の耳を持つ女は何かを感じ取り、舌を打ち鳴らした。彼女のほかには誰もいないためその小さな音がよく響く。女の目の前には暗い水面が広がっていた。

「真の『水使い』が、六季の娘。ついに現れたな」

 女は一言そう漏らしたが、聞き手がいないためにそれ以上のことは何も言わなかった。

 突然、細い穴蔵の通路から、広間に何かのシルエットが舞い込んで来た。羽ばたいていることから、大きな虫か、小さな鳥といったところか。女はそれに気付いたようで、顔は上げなかったが、右手を伸ばして手の平にとまることを許した。

 その生き物は静かに舞い降り、女の手の上で二回、「ポー」と鳴いた。しばらくの沈黙の後、女はそれに、囁くように話しかけた。

「行って、カイハに伝えな。私の考えは変わらない。私はこの力を気に入っているのだ。対決することになるならば、それに勝つまでのこと……。何度お前を寄越しても同じよ。力を奪われるくらいなら死を選ぶ。この力が消えれば、彼女に仕える理由も一緒に無くなってしまうからだ」

 女が言葉を切ると、羽を持った小さな黒いシルエットは、闇の中に飛び立ち、迷う事無く洞窟の出口に向かった。



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