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使い「赤い輪」



 建物の外には無数の街灯がきらめいている。街の光が届かない荒野が完全な闇に包まれた頃、男女六人はそれなりに打ち解けて、杯をかわしていた。

 しかし、打ち解けるといっても、やはりそれなりである。彼女らは育ちがいいようで、常に上品を求めた。アレモやイルタの繰り出す兵士たちの日常話には、ときおり苦笑いをこぼした。二人の横でそれを感じ取っていた俊はこの鈍い男たちに苛立ちを覚えたが、セボの国に来て日が浅い彼には手持ちの話題がほとんど無い。何よりも自分が何も出来ず、ただ皆の話に愛想笑いを傾けなければならないことに、最も苛立っていた。

 女たちの甲高い笑い声が弾ける。タバコを吹かす、痩せ過ぎの女だけが、若い兵隊や「使い」とのお喋りよりも、食べ物に気を取られていた。


 ふと気付くと、白に近い金色の髪を持つ女は、笑いもせずに、俊の顔をじっと見つめていた。

 好意を持っているというよりも、ただ観察しているという風である。その冷たい目線に、俊は笑うのをやめた。話し相手の女性から、いまだかつてこんな反応が返ってきたことはない。俊は困惑していた。

「なんだよ?」

「あなた、私が何を言っても笑ってる。私の言うこと、そんなにおもしろい?」

 女はにっこりと笑った。俊は顔が赤なるのを感じた。そうならないように努めても、どうにもならなかった。

(俺は何を動揺している? なにもおかしいことはないじゃないか)

 女の目線に射抜かれて、うろたえた。それでも女が目を逸らさないので、俊はついに目線をはずして下を向いた。

「ボクはお家に帰りなさい」

 女は満足げに言って、妖艶な微笑みで顔を輝かせた。その怪しげな魅力に、肌が粟立つ。

「お客様、お連れの方が見えていますよ!」

 いかにも忙しそうに、ジョッキを両手に三つずつ持って走り回るスアンが、ごった返す客たちの向こう側から叫んだ。酒の入った男たちの喧噪の中で、なりふり構わず怒鳴らなければ声はかき消されてしまう。

「俺たちのことみたいだ」

 イルタが親指で、スアン青年の方を差した。

「どういうことだ? 今日はもうこれ以上豪華な客は呼んでないぜ」

 アレモがスアンの方を見ながら言った。

 突然、目の前にいる三人の女が、そそくさと帰り支度を始めた。

「やっとお迎えが来たみたい」ブロンドの美女がそれまでの愛想を取っ払い、無表情でつぶやいた。

「ごちそうさまぁ」色黒は忙しなく、首にストールを巻いた。

 ブロンドの美女と色黒の二人は気まぐれな猫のように颯爽と、ひしめき合うテーブルと人の合間を縫って、店の出口に向かって歩いていった。むさ苦しい男たちが騒ぐ中でも、ヒールの高い靴で歩く姿はあくまで優雅だった。

「ボロい店だけど、飯は旨かったよ」赤毛の痩せ過ぎの女はそう言って、ちょうどすぐ側にやってきたスアンのおでこを、人差し指でちょいと押した。

「ママの味。じゃあねぇ」

 それから彼女は、壊れたスピーカーのようにやかましい笑い声を上げた。

「おい、これは一体どういうことだ!?」俊は声に、焦りの色をにじませていた。

 赤毛の女の、耳に障る甲高い声が店中に響いたおかげで、大方の目線が俊たちのいるテーブルに集まっていた。

「分からない、さっぱり分からない……」アレモはおろおろとすっかり弱気になり、首を横に振った。俊は怒りもあらわに、派手な音を立てて椅子から立ち上がった。

「俊、落ち着け」というイルタの声は、耳に入っていない様子で、今にも駆け出しそうだった。


 店の入り口に、女を迎えに来たという人物が立っていた。もう何度も目にして、見間違うはずはない。カルーと、その仲間だった。

 ブロンド髪の女はしなだれるようにして、カルーのがっしりとした筋肉質の腕にすがっている。カルーは、阿呆の様に口をぽかんと開けている俊に気づくと、にやりと笑い、わざとらしくウインクして見せた。

「あ、あ、あの野郎が」

 俊は興奮のあまり、どもった。俊が店の入り口に走っていこうとするのを見て、イルタが腕を掴んで止めた。

「やめろ」と言いかけたイルタは、電流が走ったかのように、掴んだ俊の腕をすぐに放した。

「どうした?」イルタの行動に異変を感じたアレモが、小声で言った。

「なんでもない」イルタも小声で答えた。

 アレモはなにかあることを確信したが、その場ではそれ以上掘り下げようとしなかった。なにより、もう誰かが俊の腕を掴む必要はない。俊の爆発寸前の怒りは一瞬にして静まり、涙が出そうなむなしさに取って代わられた。三人は周囲の喧噪に混じる、遠慮がちなひそひそ声に居たたまれなくなり、言葉なくして勘定を済ませることを決意した。


「まさか、やつらの女だったとは。おかしいと思ったんだ。ダメもとで声かけたら、すんなり誘いに乗ってくるんだから。カルーが手を回したのは明らかだな」

 アレモは長いため息をついて、幅の広い肩を揺らした。

「なら、君はもっと疑ってかかるべきだった」

 俊が低い声で言った。上機嫌を誘うほろ酔いは、すっかり覚めてしまっていた。

「お前、誰のためにやったと思ってるんだ。君がいい女呼べってうるさいから、無謀な賭けに出たんだぞ」

「俊、アレモ。やめろよ」イルタが言った。

 アレモはイルタに諌められて、一度大きく息を吸い、長々と吐き出した。

「大体俺たち下っ端が高望みするのが間違ってる。俺らを相手にするのはせいぜい下働きの娘とか、ウォローみたいな同業者だ。彼女たちのような金持ちの娘が付き合うのは、それなりの地位にいる人間か、カルーのような、悪だくみがうまいやつに騙されるか、だろう」イルタが言った。

「だからって、まさかカルーの女だとは思いもよらない」アレモが言った。

「でも最近、あいつが街で影響力を持とうとしているのが目につくよ。何がしたいんだか分からないけど、見ていていい気はしない」イルタが暗い表情で言った。

「うまい話には裏があるに決まってるよな」

 アレモは満点の星空を仰いで、言った。


 三人は六人分の勘定を払って『ヒムラ』を後にし、微かに残る昼の熱気と、夜のささやかな冷気が混じり合う街の通りを歩いていた。どの店からも、明るい笑い声が、漏れてくる。三人にはそれがとても無遠慮であるように感じられたが、声の主たちにしてみればそれは、まことに勝手な八つ当たりである。

 俊の怒りは一度は治まったものの、傷口が開いてにじみ出る血液のように溢れ出し始めた。くすぶる熱にじっと耐え、ほとんど口を開かずに歩いていた。

 セボに来てから思い通りにいかないことが多く、癪に触った。

 倫だ。あの女が始まりだった。あの引きこもり女に出会ってから、物事はおかしな方向に転がり始めたのだ。今度顔を見るようなことがあったら、思いきり傷つけてやりたい。この間、図書館で俺にそうしたように。


 街灯に沿って細々した道を進んでいくと、パブと、宿と、いかがわしい店が混在する通りに出た。道の両端には、客引きがぽつぽつと立っている。執拗に声を掛けてくる黒づくめの男と、露出の多い決して若くはないだろう化粧の濃い女たちをかわしながら、三人は歩き続けた。

「俊、もう一軒寄っていこうか? そこの角を曲がってすぐの店に、かわいいウェイトレスがいるんだ。仲良くなってもいいかもしれない」

 黙り込む俊を気遣うように、イルタが言ったが、そこへ客引きの男が割り込んだ

「お兄さん、お兄さん。いい子が揃ってるよ。寄っていかない?」

 取ってつけたような笑顔が、しつこさを倍増させていた。

「黙れよ」

 客引きに向かって、俊が凄んだ。機嫌が悪いときに、ハエのようにまとわりつかれるのは、気分のいいものではない。俊の態度に、黒づくめの客引きが眉を上げた。

「なんだこの、ガキが」

「てめえこそ、客引きだろうが。客に対してそんな態度でいいのか?」

 俊が男の胸ぐらを掴んだ。

 顔を引き寄せられた客引きの男が、ハッとしたように息を呑み、相手を威嚇するようなしかめ面が、恐怖に歪んだ顔へとみるみる変わっていった。

「おい、俊」男の異変に気付いたイルタは手を出したが、俊の腕を掴もうとした途端、その肌に手が触れる前に飛び退いていた。

 先ほど『ヒムラ』で見せた反応と同じだった。俊の腕に異常な熱を感じ取ったのだ。

 出した手をなぜ再び引っ込めてしまうのかと、イルタの反応には構わず、今度はアレモが俊の肩をつかみ、顔を振り向かせた。彼は俊の肩に感じる熱を意に介さなかった。いや、そう努めたといった方がいいかもしれない。一度繰り出した拳は引っ込められないタチで、肩を掴んだ手を離すことができなかった。

 無理矢理振り向かせた俊の瞳を、アレモは見た。真っ黒な瞳の奥にあるのは、極細の赤い輪である。俊の目は、赤い光を宿して燃えていた。


 アレモはその場を動けなくなった。俊の瞳にそのような力があるのかは定かではないが、不思議な力がなかったとしても、身動きは取れなかっただろう。なぜなら彼は、そのような奇怪な赤い輪を人の目の中に見たことが無い。幼い頃から魔法に関する伝承や噂話はいろいろと聞かされてきたが、目の当たりにしたのは生まれてこの方、初めてのことだった。

 異様な光景である。一人は胸ぐらを掴み、一人は胸ぐらを掴まれている。止めようとした男は肩に手を掛けたまま、中途半端な格好で静止している。さらに一人は、飛び退いたままの格好でフリーズしていた。通り過ぎる男や女は、いったい何事だというように、固まった四人をチラと見ては、通り過ぎていった。

「なんだよ。おい、アレモ」

 俊が鼻息荒く、不機嫌に言った。

「な、なんだよって、お前……」

「は、は、放してくれ!」

 急に、黒づくめの客引きは震える手で俊の手を払いのけ、俊たちがひるむ間に、細い夜道を走り去った。

「分かればいいんだよ。二度と近づいて来るな」

 俊は何食わぬ顔で、客引きの背中に声を掛けた。

「俊、こっちを向け」

 イルタが静かに言った。俊は怪訝な顔をしたが素直に従い、イルタとアレモ、二人が彼の顔をまじまじと見つめることを許した。

「どうしたんだよ、二人とも」

 アレモたちがなかなか観察をやめないので、俊は今度こそ眉をひそめて言った。しかし、二人は何も言わずに顔を見合わせるしかなかった。

 俊の瞳の赤い輪は、すっかり消えてなくなっていた。


「『どうしたんだ』はこっちのセリフだ。そうだろ、あぁ?」

 アレモがイルタに怒鳴りつけた。

「うるさいな……。いい加減にしておけよ、明日は訓練なんだから」イルタはビールを咽に流し込むアレモに、眉を上げた。 二軒目の飲み屋に入って三時間が経過していた。

「ついにキレたんじゃないのか。みんなの予想通りにさ」

 アレモ目は焦点が合っていないが、口はしっかりと動かしていた。

「それに、あの熱はなんだ。まるで火にかけた鍋に触るみたいだった……。いくらキレたといっても、ふつうの人間があそこまで熱くなることはないだろう」

 そんな話をする二人の横で、俊は酔いつぶれて眠っていた。






「なつき。なつきー、な、つ、き」

 こんな静まり返った城の中で、自分の名前を連呼するのはいったい誰だろう。食堂で哲と別れ、宿舎に向かって歩いていた夏季は振り返った。レナが満面の笑みで顔を輝かせながら、浮遊してきた。

「一回呼んでくれれば分かるよ」

 夏季は半分あきれながら、笑顔を返した。

「久しぶり」これ以上笑うことはないと思われたのに、レナはさらに笑顔を上乗せした。

「久しぶりだね、なんだかうれしそうだけど、どうしたの?」

「ちょっと用事があって……あ! なにその傷! 何かやらかしたんでしょ。誰にやられたの?」

「ラートン隊長」

 いい訳もし辛いので、夏季は数日前の出来事を正直に話した。話している最中は、無意識のうちに陰険な顔になってしまった。

「そんな顔しないでよ、悪い人じゃないんだから。たまたま機嫌が悪かったんだって」

「だからって、部下に八つ当たりするなんてどうかと思うけどな」

 悪い人間ではないかもしれないが、夏季の中で隊長の株はとっくに下がり、上昇することはないように思われた。

「ところで、用事って、なんのこと?」

「そうそう、夏季、仕事だよ。オスロ師士がお遣いを頼みたいんだって」

「お遣い?」

 夏季は買い物袋を連想した。

「なんでもラートン隊長が書類の山に埋もれさせたまま遠征に行っちゃったとかで、大至急近郊の村に届けて欲しいんだって」

「どうしてわたしに?」夏季は、素朴な疑問を口にした。

「馬に乗りたくて仕方ないんでしょ。簡単なお遣いだし、丁度いいんじゃないかって。特別給も出すって言ってたよ」

 レナは大きな瞳で、ウインクした。

「いつ行くの?」

 夏季が言った。

「今夜中に準備して、明日の朝早くに出発してほしいって」

「そんな急に?」

「ほんっっっっとに、急用で、夏季じゃないとだめなんだって!」

 レナはにこにこしている。

「そんなに信頼されてるのかな、わたし」

「夏季は素直だし、言う事聞いてくれるだろう、ってオスロ師士が言ってたよ」

「哲の方が素直で、大人しくて、従順だと思うけどな」

「でも、行ってくれるよね?」

「断るわけにもいかないんでしょ」

 今さら軍隊を抜けられないのと同じように、この仕事も断ることはできないことを、夏季は感じ取っていた。

「よく分かってるじゃない。軍師直々の命令だし、当たり前ね。はい、これが村長に渡して欲しい物。あと、村までの地図ね。行動は迅速に!」

 レナは筒状にくるまれ、細いヒモで縛ってある書類を、小さな紙切れといっしょに差し出した。

「準備はどうすればいいの?」

「私は馬に乗ったことがないから、手伝えないよね。見ればわかるでしょ」

 レナは、透き通っている腰から下を指差した。彼女はどこへ行くにも馬に乗る必要がないばかりか、どんな乗り物にも乗る必要がないだろう。

「そんなあ……。じゃあ、どうすればいいの?」

 夏季は馬に乗った倫の重装備を思い出して、途方に暮れた。

「厩番を叩き起こして、手伝ってもらいなさいよ」

 レナが、底抜けの明るさではきはきとアドバイスしたので、夏季もそれが一番よい方法に思えた。


 軍師の命令で、しかも急用とあってはぐずぐずしていられない。夏季はレナにおやすみを言って、とりあえず、自分の部屋に走って戻った。オスロ師士もふだんは好々爺と見せかけて、ラートン隊長のように鞭を振るいかねない。そんな思いに背中を後押しされた。

 おかしなことだが、倫の心配をしていたにも拘らず、自分も城の外に出ることになったと気付くのは、厩のじいさんにぶつぶつ文句を言われながらクララの背に荷物を結わえ付け、馬の背に跨がったときである。夜中に叩き起こされ夜明けまで準備に付き合わされた厩番は、当たり前だが、不機嫌だった。夏季が待ってと言う前に、男の手でクララの尻を引っぱたき、送り出した。

 馬は猛烈な土ぼこりを上げて、後ろ足のロケットダッシュで駆け出した。夏季は彼女の首にしがみつき、夜も明けそうな薄闇に突進する他なかった。

「誰のいたずらだか知らないが、年寄りで遊んでそんなに楽しいか! その暴れ馬に乗って、ちっとは反省しやがれ」

 厩のじいさんは思いの丈を叫んで夏季を見送った。



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