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使い「木枯し」



 ユニの酒場「ヒムラ」では予約という考え方がない。当然、入店した客はいつもの通り好きな席に座ろうとする。俊たちの予約席が奪われそうになる度に、ウェイターの青年スアンはいちいち事情を説明しなければならなかった。

「ケチんなよ、兄ちゃん。おれぁいつもここ座ってんだからさ」

 タバコを指に挟んだひげ面の中年男が、不機嫌に文句を言った。

「悪いけど、今日だけ。ね、お願いしますよ。もうお金もらっちゃったし。『チップやるから予約しとけ』と言われているんで……」

 スアンは頭をへこへこと下げながら言い訳をした。

「チップってなんだ。そんなにいいもんかよ?」

「知りませんよ。俊さんが言う事だから、“あっち”の言葉じゃないですか?」

「おや、席取りは『使い』さんの言いつけだったか。そんなら、今日はいいよ。ひさしぶりにカウンター席でも行ってみるか」

「どうもすみませんね、いつも来てくれてるのに。母の話し相手でもしてやって下さい……いや、こればっかりはほんと申し訳ないですけど」

 客は了解だよと言って、口笛を吹き吹き、カウンター席に向かった。

 スアンはホッとため息をついた。しかし、この夕食時、店内は賑わい始めたばかりである。あと何人の客の相手をしなければならないのかと思うと、無理を頼んだ俊やアレモが恨めしくなってきた。少しは働く方のことも考えてくれ、と。


 店の入り口の影で、スアンと客のやり取りを見て、そっとほくそ笑む俊が立っていた。自分が「使い」と呼ばれ、崇められていることを目の当たりにするのは最高の気分だった。今日の乾杯の音頭は「使い」にしよう、と俊は心に決めた。そうすれば女たちの羨望の眼差しを得られる、と期待してのことだった。


「それでは、始めますか」

 音頭を取るのは赤毛のアレモ。

 猫背のイルタは落ちつかない様子で周囲に目を配る。

 そして異郷の「使い」俊は、気だるそうに、真ん中の席でくつろいでいた。

 ウェイターのスアンが死守した、六人がけのテーブル席である。

「何に乾杯しようね」アレモが俊に言った。

「そうだな。俺たち『使い』にってのはどうだ?」

「俺たちって、『使い』はここに君一人しかいないだろ」イルタはそわそわして落ち着かない。

「イルタ、怪物女は風呂掃除の当番だから心配するな。念のため、タイムテーブルをチェックしておいたんだ」親友の様子を見かねたアレモが言ったが、それでもイルタは浮かない顔をしていた。

「あんた何しに来たのよ。飲む気ないならさっさと失せて、そんなのが目の前にいると気が滅入るからさ」

 イルタの目の前に座った赤毛の女は耳に障るキンキン声で言い、イルタの浮かない顔にタバコの煙を吹きつけ、けたけたと笑った。

「やめなさいよ」

 ブロンドの髪を緩くまとめ上げた女が言った。

「名高い『使い』の一人がせっかく企画してくれた飲み会なのよ。楽しくやりたいわ。ごめんなさい、この子、気に入らないことははっきり言わないと気が済まないの」

 ブロンドの女は気遣うように微笑んだ。その困ったような顔こそ最高に美しいと、俊は思った。

 兵隊たちの間で、彼女は城下街で最も人気のある女性として話題の一人だった。そんな人間を本日のコンパに取り込むことができたアレモには、周りの人間を見下げてばかりいる俊でも、敬意を払わざるを得なかった。

 アレモ、俊、イルタが並ぶ目の前には、三人の女が座っている。アレモの目の前には栗色の髪を肩まで伸ばした、肌の色が浅黒くていかにも健康そうに見える女。イルタの恋人ウォローのようながっしり体型ではなく、細身で小柄なかわいらしい雰囲気だ。俊の向かいにはブロンドの美女。そしてイルタの相手はタバコを吹かす、赤毛の女だった。

 イルタの顔に煙を吹きかけた女の体は痩せ過ぎで、目尻には笑わなくても小皺が寄っている。肌が粉をふきそうな厚化粧にもかかわらず、目の下のクマを隠しきれていない。さらに、薄い唇が貧相な印象を誘っていた。

 俊は店に入ってこの女を見るやいなや、イルタと場所を入れ替わり、向かいの席になることを免れた。イルタがしょげているのは、今日のことがバレたりしたら、ウォローに槍で串刺しにされるかもしれない恐怖のおかげというのが大きい。が、この赤毛の女の向かいに座ることになったせいでもあると俊は思った。そしてイルタの心中は、それが当たっていないわけでもない。ただの飲み会だと思えば楽しめるかもしれないと期待してきたところ、向かいの席に座る女は容姿が良くなければ性格も不細工。まだ乾杯もしないうちに、イルタはここへ来たことを後悔した。

 そんなイルタの心の内を分かっていながら、俊は何も気付かないフリをしていた。

 夜は長い。今日は俺が主役だ。

 思い切って街いちばんの女に声をかけ、あとの二人は適当に誘っておいてくれと彼女に任せきりにしたのはアレモであり、流れで決まった席順は明らかにイルタが外れのクジを引いたわけだが、せっかく自分が呼んだ美女の前の席を俊に取られてしまったのだけでも、アレモががっかりするのには十分で、親友の不幸をなぐさめる心の余裕はなかった。

 それぞれ自分のことで頭が一杯の男たちをよそに、三人の女はときおり視線を交わして意地悪く微笑んだが、舞い上がる俊、やる気が失せたアレモ、心配事で落ち着かないイルタが、そのことに気付くはずもなかった。






 夏季が城の食堂に入ると、ラートン隊長がいつものとおり、一人で黙々と食事をしている姿が目に入った。

 本当ならば、期限付きとはいえ、倫を城から追放した張本人であるラートン隊長には強い口調で物申したいところではあったが、思い切れずに素通りした。簡単に逆らってはいけない相手だと思い知らされたばかりで、それをやらかした後に訪れる痛みや恐怖を想像してしまった。抑えつけようとする力に屈するのは不本意だが、大勢の人間を束ねる立場としてはラートン隊長は間違っていないのが、余計に悔しかった。夏季はまっすぐ、哲の待つ席に向かった。

「待っていてくれて、ありがとう」

 夏季は小さく微笑んで、哲の向かいの席に座った。

「え。別に待っていたわけじゃないよ」

 哲はそう言いながら、すっかり冷めて生温くなっているオムレツにフォークを刺した。

 哲の照れ隠しにはだいぶ慣れて来たはずだが、夏季の顔からは笑顔が消えた。

 たまには素直になればいいのに。

 あいにく、このときの夏季の機嫌はまったく良くなかった。  二人のテーブルに気まずい沈黙が流れ、金属のフォークと木製の皿がぶつかる音だけが響いた。哲は困ったようにちらちらと夏季の様子を窺っているが、夏季はその目線を意識しながら、気付かないふりをした。

「夏季はさあ、どんな生活してたの?」

 哲は沈黙に耐えきれなくなって、会話の切り口を求めた。

「“あっち”でってこと?」夏季が顔を上げずに言った。

 哲が頷く。

「言わなかったっけ」夏季はわざと、倫を真似てつっけんどんな話し方をした。

「お母さんと二人暮らしで、その割に人並みの生活を送って二人仲良くやってるから、お父さんがいないことがあんまり気にならないって」

「ああ。もう聞いたよな……」

 哲は頭を掻いて、黙り込んでしまった。

「倫さんも、『知りたい』って言ったら、いろいろと話してくれたかな?」

 哲の困り果てた顔に負けて、夏季が口を開いた。

(倫さんのようにはなりきれないな)

 そのときの哲のニヤリ顔は、夏季が観念したことに、ほっとした証拠だった。

「どうだろう。図書館に籠っている時は、それどころじゃなかったみたいだし。帰ってきたら聞いてみれば?」哲が気軽に答えたが、

「帰って、くるかなあ」

 夏季は悩ましげな顔をした。

「どうして、あまり話した事もない人のことを、そんなに心配するんだ?」

「だって……」

「俺にとって倫さんは、知り合いとも言えないし。一言も言葉を交わしてないんだぜ」

 夏季は短く笑ってから、頬が痛むように顔をしかめた。

「それはそうだけど。わたしたち、仲間でしょ。“あっち”の世界の話を分かり合える、仲間でしょ。ほんとは、寂しいんだ。別に“ここ”へ来たいわけじゃなかった。願ってなかった。馬に乗るのは楽しい、剣を振るのもけっこう気に入ってる。でも、ここはわたしの居場所じゃないよ」

 哲は夏季の言葉に頷きながら、考えていた。

 夏季の居場所はここではなく、母親の待つ元の世界かもしれない。でも、俺の居場所はどこだろう? 今、“あっち”の世界に帰ったところで、じいちゃんと住んでいた家は空っぽ。親戚の家では確実に、今までよりも不自由な生活が待っている。

 俺の居場所はどこにある?

「倫さんは仲良くしてくれなかったし、俊はほかの兵隊たちとどんどん仲良くなっていっちゃうし。話し相手がいなくて、寂しかった。やっぱり、同じ年の哲がちょうどいいや」

 夏季は哲の目の前にいながら素直にそう言って、頬が痛むのも構わず大っぴらな笑顔を見せた。

 誰かが、俺を必要としてくれるなら。

 今夏季が言った、ただの話し相手みたいな小さなことでも。それだったら、“ここ”が俺のいるべき場所だと思っても、いいのかもしれない。

 哲にそう思わせるほど、夏季の笑顔は率直だった。俊の見せるような作り物ではなく、心からの微笑みが、哲の心を暖めた。

 二人は、就寝時間が近づくまで語り合った。一つ、二つといとも簡単に空いてしまった寂しい穴を、埋め合わせるようにして。


 食堂の中で、風が吹いていた。皮膚をかすかになぶるような優しい風が。夏季は出所が気になったが、食堂の窓は閉めきられ、扉も閉じられている。真夏に吹く風としては冷たすぎるが、かといって真冬に吹きつけるような強さではない。

 まるで、衰弱した木枯しのよう。

 奇妙な気がしないでもなかったが、今に超した事ではない。何しろセボに来てからはおかしなことばかりが起きている。俊の言動と同じで、いちいち気にしていたらキリがないのだ。

 夏季は、哲の傍らの床の上で渦巻く、小さく緩やかな竜巻には、気づいていなかった。



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