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ステッキの女「六季の娘」


 話ってなんだろう、と思うふりをしながらも、夏季には思い当たることがあった。

 今さら打ち明けられることなどと言ったら、一つしかなかった。

 父親のことだ。

 今まで、母・六季は、夏季がまだ小さいから、まだ早いからなどと何かと理由をつけて、頑なに夫のことを話そうとしなかった。名前、年齢、どこにいるのか、どんな人なのか、一言も話してくれないのだ。

 夏季がそのようなことを質問すると、六季は決まってとても悲しそうな顔になった。時には何かに怯えているかのような素振りさえ、見せることがあった。感情を抑えられずに激昂する姿だって記憶の奥底に残っている。思い出したくはないが、忘れることも出来ない。

 母がそんなだから、夏季は成長するにつれて父親について尋ねることは、なくなってしまった。ここ5年くらいは一度も父親についての質問を、していない。

 そんな折に今朝の会話だ。一体どうしてしまったのかと、思わずにはいられない。すでに夏季自身は、知ろうとすることをとっくに諦めていたというのに。

 やっぱり知りたい、という想いが湧き上がる。なにせ、自分の父親のことだ。それに、異常なまでにその話題を避けたがる母親の態度の裏に、いったいどんな事情があるのかに興味があった。


 夏の日差しは分刻みで強くなっているようだ。その年の夏は暑く、今日はまだましなんじゃないかと夏季は思っていたが、この調子では、学校に着く頃には体中汗まみれになっていることだろう。

 夏季はまっすぐ前を向き、住宅街を歩いている。小柄だが姿勢がいいおかげで実際より大きく見られがちだ。六季は勉強をすることよりも、姿勢を正しくしていることに、うるさかった。夏季にはなぜ母がそこにこだわるのか理解に苦しんだが、もしかしたらこれが理由なのでは、と感じられる場面はあった。

 六季の実家が由緒ある料亭で、女将である母親、つまりは夏季の祖母にあたる人物が、所作に相当うるさい人間であったことを、とある晩にアルコールに酔いながらぐちぐちと話していたことがあった。その真偽は確かめたことはないのだが、おかげさまで、高校生になった今でも見た目で損することが無い。少なくとも学業に限って言えば、実際は優等生どころではないのだ。

 勉強ができなくても悲観的になる必要はなかった。夏季には得意なことが二つある。一つは運動全般だ。中学生のときは陸上部、県下ではぶっちぎりの速さでハードルを跳び超えていたが、強力な勧誘に遭い、高校ではバスケットボール部に入った。初心者にもかかわらずドリブルの上達は目覚ましく、1年生でありながらレギュラー加入を噂されるほどになっている。

 もう一つは、料理だった。毎日練習の後に家に帰り、遅くまでスーパーのレジでパートをしている母のために夕食の準備をする。この習慣は小学校に入学するときに始まったため、腕前には自信があった。将来は自分のレストランを持ちたいと考えている。


 茶色の真っ直ぐな髪は、肩に当たるところで毛先が内側に巻いている。頭の形に沿った自然なカーブから、それが作り物のストレートヘアではないことが分かる。みんなにうらやましがられるその髪は、夏季にとってもお気に入りだった。涼しげな目元は母親譲りだが、瞳が母より若干大きいのは父親に似たためだろうか。父を知らない夏季には、判断できない。

 夏季を背後から観察している人物がいる。帽子を目深にかぶり、気配を悟られないように、そして目立たないように、塀の影に佇んでいる。一見すると周りの風景に溶け込んでいるようだが、明らかにおかしいのは手に古ぼけたステッキを持っていることだ。見たところ老体ではないし、足が悪い様子もない。

「あの子で間違いないよね」

 女は自分に言い聞かせた。

「あれが、六季の娘!」

 そして、ステッキを振る。何も無い宙に、文字を書くかのように。

 夏季は消えた。


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