城「剣と馬」
俊にいわせれば「運動バカ」の夏季にとって、これ以上うれしいことはないのだが、新兵の三人は週の最終日に剣の指導を受けることが決定した。夏季、哲、俊の三人は、訓練に使っている荒れたグラウンドの片隅で、先輩のイルタから剣の持ち方などの基礎を教わっていた。
以前ユニの酒場でアレモに因縁をつけ、夏季と哲に返り討ちにされたカルーのグループが、遠くの方でこれ見よがしに激しい打ち合いをし、こちらを見てはバカにするようにけらけらと笑っている。
「あの野郎……」俊が、かみしめた歯をむき出しにして唸った。
「まるでガキ。無視しよう」
夏季が涼しい顔で言った。彼女自身は気にならないのだが、俊が挑発に乗ると相手の思う壺で面倒なことになりかねず、声を掛けた。
錆び付いてはいるが紛れもない本物の剣に夏季は夢中で、カルーたちなど気にしている場合ではなかった。
「今に見てろ、串刺しにしてやる」俊が悔しそうに、ぶつぶつと言った。
「その意気だよ。それはともかくとして、俊。こっち向いてくれないかな。持ち方がまだちゃんとできていないみたいだから」
イルタが明るい口調で言った。
イルタやオスロから剣の扱いについて丁寧な説明があったが、理論よりも体感して覚えたい気持ちが強く、ウズウズを隠せない夏季は、イルタをはじめとした先輩兵士たちの動きを観察して、見様見真似で体を動かした。哲も途中から夏季の目線を追ってそれに倣い、それからはめきめきと動きを吸収していった。一方で俊は、細かいことにこだわってなかなか上達せず、剣を落としてばかりいる。
本当のところは、夏季と哲の上達の早さが並みではなく、新兵は俊のように戸惑うのが普通だった。俊はそうとは知らずに、剣を軽々と振り回す2人を見て焦った。それが余計に失敗につながる悪循環となった。
「調子はどう?」
イルタが夏季に話しかけた。
「楽しいです」
顎の先から汗を滴らせながら、さわやかに答える夏季だった。
「最高の返事をありがとう」 イルタは笑った。
「楽しんでいる場合かよ。人を攻撃するための訓練なんだぜ」
俊は吐き捨てるようにそう言って、拾ったばかりの剣をふたたび地面に落とした。
「安心しろよ。俺たちが相手をするのは軍隊じゃない。城下街からだいぶ離れたへんぴな辺りをうろついてる賊どもだ。切り倒す必要もない、制服に身を包んだ正規の兵隊がこうやって剣を構えるだけで、一目散に逃げて行くのさ」
イルタがそう言って、顔のそばで剣を両手で握り、構えて見せた。
「だったら、これはなんのための訓練だ?」俊が言う。
「教本には『悪に対抗する手段』って書いてあるぜ」
イルタがどうでもいいといった口調で答え、俊の肘を支えて姿勢を正した。
「警察みたいなものなのかな」
哲が剣の柄を握り直し、静かに言った。
宿舎の規模で分かるが、セボの兵士の数は多くない。せいぜい、二千人といったところか。それに、カルーなどの一部の者を除けば、温厚で気のいい人間ばかりだった。命を懸けて戦う騎士というよりは、面倒見の良いお兄さんたちという雰囲気で、「悪に対抗する手段」と聞いてピンと来るものが無いと、部外者である夏季たちは感じていた。なにしろ、ここ十年以上は大規模な戦争が起きていないという。それとも、実際の戦闘が起きればとたんにその実力が発揮されるのだろうか?
夏季はイルタの方に歩いて行った。
「どうかした?」手ほどきが必要ないほどに剣を扱う夏季を見て、イルタは首を傾げた。
「イルタさん。ちょっとだけ、手合わせをお願いしてもいいですか?」
「うーん、まだちょっと早い気がするなあ」
「やめとけよ、危ないぜ、夏季」哲が言った。
「手加減して下さい」
夏季はそう言って、剣を構えた。
「当たり前だ。じゃあ、こっちで受けるから適当に打って来いよ」
イルタは、やれやれといった様子で剣を構えた。
夏季は深く息を吸うと、イルタが構える剣に向かって飛び出した。
「おい、隊長。外でおもしろいことやってるぜ」
城の中のとある書斎だった。その場には不似合いな、土だらけの軍の制服を着た中年の男は、片手に帽子を持ち、もう一方の手であごの無精髭を撫でている。
「それどころじゃない。この書類を終わらせたらすぐ、出掛けなければならない」
デスクで書類に視線を落として、ペンを走らせている若い男が言った。同じ制服を身につけていたが、若い男の方がかちっと着こなして、書斎に馴染んでいた。
「それよりお前、こんなところでお喋りしている場合なのか。訓練の監督はどうした」
口を動かす間も、男の手は止まることがない。
「へえ。隊長が仕事をさぼっているのにどうして副隊長の俺が抜けちゃいけないんだ?」
「さぼっているわけではない。オスロの許可はもらっているし、現に今やっているのはこれも俺の仕事だ」
男は書類に次々とサインをしていく。ペンを持ち変える滑らかな仕草を眺めて、副隊長と名乗る男がため息をついた。
「そんな仕事ほかに回せよ。あんたがやる事じゃあないはずだ」
「人手が足りない。老が亡くなった穴が大きすぎる」
「なんにしろその仕事は単純すぎてあんたには不似合いだと思うがな。そういうのは下っ端に頼めばいい。ところで、今日の訓練だが、騒ぎのおかげで監督もなにもあったもんじゃないよ。あそこにいるヤツ全員が監督官て状態だ。あんたも見に行ったほうがいいぜ」
「無理だ」
多忙な男はそう言って、書類の最後の一枚にきれいな草書でサインをした。背もたれに掛けられたコートを取り、副隊長に向かって手を挙げると、颯爽と部屋を出て行った。
「やれやれ。隊長が見たら喜ぶと思ったのになあ」
副隊長は帽子を玩びながら、ぼそっと言った。
夏季の剣が宙を飛んだ。これで十回目だろうか。
イルタとの打ち合いを開始してから三十分が経過していた。夏季もイルタも息が上がっている。
「いいぞー、小さいの」
「おい、イルタ、情けねぇな。剣に触ってから何年目だよ」
「次は取れよ、姉ちゃん!」
「取るわけねーだろ」
「いや、わからないぞ、さっきはけっこう危なかったからな……」
二人の周りにできた人だかりから、野次や声援が乱れ飛んだ。
「もう一度!」
夏季が自分の剣を拾いながら言った。
「勘弁してくれよ……疲れた」
イルタは、夏季の執念に参っていた。はじめは一分も経たないうちに、イルタが夏季の剣を打ち取った。受けるだけのつもりだったが、夏季の攻撃的な剣に思わず体が反応してしまったのだ。それから何回も打ち合いを重ねるうちに、だんだんと対戦時間は長くなっていき、たった今終わった勝負は五分間ほど続いたのだった。
夏季はその場にへたり込んだ。剣を自由に扱った興奮はしばらく覚めそうにない。できればもう一度、もう一度だけ、イルタに手合わせ願いたかった。イルタが夏季に手を貸し、その場に立たせると、いつの間にか出来上がったギャラリーから拍手が起きた。
「今日はもうやめよう。君も手がしびれたろうに」
「でも、まだ持てるから」
イルタは呆れて、剣をにぎりしめて構えを取る夏季の背を、ぽんぽんと叩いた。
書斎からフィールドに戻った副隊長は、見物人に混じって腕を組んでいるオスロ師士を見つけ、話しかけた。
「どうです。すごいもんでしょ、彼女」
「ああ。速さもスタミナもある。課題はパワーってところかな」
「……ていうかね、こんな短時間でこれだけの技を飲み込むのには驚きましたよ。今、隊長に声かけてきたんですけど、忙しいって断られました。ライバル出現てことで隊長が喜ぶと思ったのに」
「喜ぶかどうかは分からんぞ。やつは負けず嫌いだからな」
オスロはそう言って、にやりと笑った。
「あのちっこいの。すばしっこいけど、力はあんまりねえよな」
人混みの中で、カルーがつぶやいた。
「まだ元気があるんなら、俺が相手してやってもいいぜ」
カルーが夏季の前に進み出た。
「あぁ……あなたなの。こんにちは」
夏季は声の主を思い出し、気軽にあいさつした。酒場での一件は忘れようがなかった。
「その兄ちゃんじゃあ、相手として不服なんだろう? 隊でいちばんの豪剣の、俺が相手になってやるよ」
「ちょっと今日は疲れたんで、また今度お願いします」
夏季はきっぱりと言った。これは本当の気持ちだった。ギャラリーからどっと笑いが起きた。
カルーは夏季の言葉を無視して、剣を振り回した。
アレモと話していたイルタが間に入ろうとするが、間に合わない。夏季は太陽に輝く銀色の刃に閃光を見て、目をつぶった。辺りに大音響が響き、それ以外の音が消える。
哲がカルーの剣を受け止めていた。
「夏季は断っただろう。聞こえなかったのか?」
交わる剣の隙間から、哲がカルーを睨みつけた。
「力持ちだな、君」
カルーがニカッと笑って、黄ばんだ歯を見せた。
「女相手にむきになって恥ずかしくないのか」哲が言った。
「このチビ生意気だな」
2人は剣の刃をキリキリと擦り合わせた。
「そこまで」
オスロの深く、落ち着いた声がした。
「お互いを高め合うのはけっこうだが、君たちがやっているのは相手を思いやらないただのケンカだ。むやみにけが人を出してはいかんから、その勝負は中止とする。さあ、皆、各自の持ち場に戻りなさい」
カルーと哲はにらみ合ったままで剣を下ろした。それを合図に、野次馬たちは三々五々引き上げていった。
残りの時間、夏季は哲と軽く打ち合いをして過ごし、イルタは俊につきっきりとなった。
「君たち」
日程を終え、城に帰ろうとしたとき、オスロが夏季たちを呼び止めた。
「厩舎の掃除を手伝いなさい」
「罰ですか?」哲が肩を落として言った。
「そういうことだ。君らもだよ、イルタ・ニトルス、カルー・ネベロ。」
「イルタはなにも悪くないですよ」哲が慌てて言った。
「連帯責任だ。仕事を教えてやれ」オスロが言った。
「了解しました」
イルタが返事をした。
カルーは何も言わなかったが、城に向かって歩きだした。
「イルタさん、ごめんね。わたしが相手を頼んだばかりに……」
「気にするなよ。ケンカ自体は君のせいじゃない」
「俺のせいでもないよな。ぜんぶあいつが悪いのに」
哲がそう言って、前方を見つめた。夏季とイルタが目線を追った。
十メートルほど先で、カルーが地面に唾を吐きながら歩いていた。
厩舎は城の裏側にあった。木造の古い建物に近づくと、馬のいななきが聞こえ、飼料の臭いが漂ってきた。
「わたし、近くで馬を見るの初めてかも!」
夏季が急に明るくなって言った。
「俺もそんな気がする」
哲もハッとした様子で言った。
「ほんとに? だったら君らの国では移動するのにどんな動物を使うんだ?」
「まあ、いろいろだよね」夏季が言った。
「四本足だったり、二本足だったり?」
夏季と哲は、あいまいに答えた。自動車や自転車のことを、どう説明したらいいのか分からなかった。
薄暗い厩舎に入ると、飼料や、馬の糞と思われる臭いがガツンと強くなった。ひとつひとつの柵の中から、たくさんの馬の頭がのぞいていた。夏季は、馬が予想以上に大きいことに驚いていた。テレビで見るのと、本物を見るのとでは、迫力が違うと思った。
「馬の顔ってでかいんだな……」
哲も同じように驚いたようだった。
「君たちも今にこいつらに乗るんだぞ」
イルタが楽しそうに言った。
「……乗るって?」
哲が言った。
「当然。この国は馬がなければ移動は不可能だ」
夏季は哲と顔を見合わせた。夏季は目を輝かせたが、哲は不安そうだった。オスロから乗馬のことは聞いていたが、いざ実物を目の前にすると、不安になるのだった。
「大丈夫だよ。ここにいるのはいい馬ばかりだから。人の言うことをちゃんと聞いてくれる。まあもちろん、そのときの機嫌によっては難しいときもあるけど」
イルタが、哲を気遣うように言った。
「触ってもいい?」
夏季が背の高いイルタの顔を見上げて言った。イルタが笑顔で頷く。夏季は目の前にいる、灰色がかった白馬の顔に手を延ばした。
「おっとー。危ないぜ、小さいの。蹴飛ばされないように気をつけなー」
カルーが離れたところから冷やかした。夏季の手は馬の鼻の上辺りにそっと触れた。馬の毛は、見た目よりもずっと硬く、しっかりとした手触りがあった。
「あ、おじさん。こんにちは」
突然、イルタが言った。
厩舎の奥から背の低いおじいさんが歩いて来た。
「お前ら、なんの用だ?」
老人は不機嫌にそう言った。老齢にしてはふさふさの髪の毛には、藁や飼料のくずがたくさん張り付いている。
「オスロ師士の言いつけで、掃除のお手伝いに来たんです」
「そっちの野郎。どうせまたなにかやらかしたんだろう」老人はカルーの方を顎でしゃくった。「イルタ、お前が来るのはめずらしいな。アレモが来るなら分かるが。で、そのガキ2人はなんだ。見ない顔だな」
「セボに来たばかりの、『使い』の2人です」
「ふん。『使い』ってやつは、馬を知らんのばかりでどうも……」
老人がぶつぶつとひとりごちた。
「おや、君」
老人が夏季に近づいた。
「どこかで見た顔だな」
夏季は困ってしまった。老人を知っているはずがない。ここに来たのはつい最近なのだから……。
「気のせいじゃないですか? 彼女は『呼び寄せ』でここに来たばかりなんですから」 イルタが笑いながら言った。
「ジジイもついにキてるんじゃないの」
カルーが馬の鼻をつつきながら言った。つつかれた馬がブヒョヒョヒョと嘶いた。
「お前、馬をいじめるんじゃない! そんなことしていると、今に蹴られるぞ」
老人が怒鳴り、カルーは手を引っ込めた。
馬の主から一通り掃除の手順を教わり、夏季たちはそれぞれ馬の個室に入り、掃除を始めた。夏季は先ほど鼻の上を撫でた馬を選んだ。その馬はクララという名前だった。オスの三歳馬で、人間の男に厳しく、女に優しい性格というクセ持ちだった。夏季が大きなフォークで藁をかき集めている間、クララは終始大人しくしていた。一方で、哲は四歳馬に糞をひっかけられていた。
「なんだよ、俺、何か悪い事したかー?」
哲が悲しそうに言った。
「さっき、隊長さんが愛馬に乗って出掛けてったよ。ずいぶん急いでいる様子だったな」
老人が帳面をめくりながら言った。
「あの人また出張ですか? 今月に入ってから何度目だろう」
イルタが馬の個室に飼料を足す作業をしながら言った。
「仕事を任せられるってことはそれだけ有能なんだ。彼は腕っぷしだけの男ではないからな」
「それにしても、師士と副隊長だけじゃあ、俺らの訓練もなんだかなあ。特に剣の手ほどきはなかなか順番が回ってこないし」
「君はもう大丈夫だろう。けっこうな腕前だと評判だぞ。そろそろ隊長に近づいているんじゃないかね?」
「まさか。隊長にはとても敵いませんよ。あの人は別格だ……」
「隊長ってなんだ?」
糞を処理している哲が言った。
「二等兵の隊長のことだよ。オスロ師士直々の部下ってところかな。最近は忙しくて、顔が見られたらラッキーってくらいだ。君らはまだ見てないか?」
「ぜんぜん。副隊長はあの帽子かぶったおっさんだよな」
「そうそう」
「あの人、調子のいいおっちゃんて感じで、全然エラい人って感じしないんだよな。今日も野次馬の中で馴染んでたし」
「それでも槍を持たせたら顔つきが変わるんだぜ。実戦にならないとなかなか見られないけどな。……としたら、隊長は副隊長とは正反対だよ、実力を別にすれば。真面目で、無口で。あんなに静かなのに、剣を持たせたら右に出る者はいない」
隊長について語るその口調は、憧れに満ち溢れていた。
「イルタさんでも勝てない?」
夏季はクララの柵の中から、なんとなく会話を聞いていた。
「はは。俺なんて足元にも及ばないよ」
夏季はイルタの剣技を心からすごいと思っていたので、隊長という人はいったいどれだけの達人なのだろう、と思った。
「へっ。そんな風に言うからやつはつけ上がるんだ」
これでしまいとばかりに、カルーが嘲笑混じりに言った。
厩舎を後にするとき、夏季はクララがすっかり気に入って、乗馬の訓練のときは乗る馬を選べるのかという質問をしていた。
「早いもん勝ちだから、選べないことはないだろう。安心しろ。クララを選ぶ男なんていないから」老人が言った。
「あ、ウォローさんとか、女の人もいるんじゃないですか?」
「ああ、あの大女。大丈夫、クララはやつを女として見ていないから」
夏季はそれを聞いて素直に喜んだが、イルタが壁の向こうで大きな咳払いをした。老人の無愛想なお礼の言葉を受けながら、一行は厩舎を後にして城に向かった。
老人は四人を見送った後、考えていた。
(わしは絶対にあの少女の顔を見たことがある。さて、いつだったか、どこでだったか)
残念ながら、遠い記憶は霞んでいて、はっきりとしたことは思い出せなかった。
(ああ悔しい。すっきりしない)
老人は無意識のうちに、夏季がやったように、クララの鼻の上を撫でた。
クララは男の手の感触に一声嘶き、拒絶の意を示した。