城「二等兵の三日目」
訓練が始まる前に、夏季たちはアレモから軍組織の仕組みについておおまかな説明を受けた。実戦のための訓練を受けているのが二等兵で、彼ら自身もこの部隊にあたる。その隊長と副隊長が一等兵。さらにオスロ師士が軍部のトップに立ち、彼は文官やその他の諸大臣と同等のポジションとされている。なんともすっきりとした構図で、夏季たちは繰り返し説明を受ける必要もなかった。
セボの国は敵国がいないおかげで平和そのもの。年々軍部の縮小が続いているのだという。
「昔は敵国がいくつもあってね。軍部主導、王権も強かった。軍部と文官の人数は半々くらいの割合だったらしい。今となっては兵隊なんか使いっ走りなんだよ。やることと言ったら国内での力仕事ばかりだ。農耕、土木工事の手伝いとか、近郊の村に物資を運んだり。敵国がないんだからさ、交易も戦争もあるわけがない」
アレモは皮肉混じりの笑みを浮かべながらそう言った。
現役サッカー部の哲は苦にならなかったが、吹奏楽部をとっくの昔に引退し、イベントサークルでビール漬けの毎日を送っていた俊にとってはつらい課題だった。
終わりの見えないマラソン。すでに周回のリードをする夏季にさらにもう一度追い抜かれたとき、俊はそんなことをしてもどうにもならないことを知りながら、夏季を睨みつけた。こんな状況でなければ苦し紛れの無駄口を叩くところだが、今は口を開いても言葉は出てこない。
夏季は哲にさえ周回の差をつけそうな勢いで走っていたが、疲れる気はしなかった。リズムよく息を短く吸い、長く吐きながら、グラウンドの彼方で剣の練習をしている部隊を眺める余裕もあった。
(走るのは好きだけど、剣を振り回す方が楽しそうだ)
「余所見をするな!」
オスロの怒号が飛び、夏季は再び前を向いた。
この様子では、訓練を受けることを拒んだりしたら、はり倒されるに違いない。夏季たちは時折オスロと軽い会話を交わすことがあり、そういうときの彼の穏やかな物腰からは異郷の者への気遣いが感じられたが、グラウンドに出ると出身の違いにかかわらず全ての人間が平等に扱われた。集中力の無い者には檄を飛ばし、途中で投げ出そうとする者には罰則を与えるのだ。
否応なくそんな場所に放り込まれ、運動不足の俊であっても、体力作りのマラソンに参加する他はなかった。
しかし、グラウンドに倫の姿はない。
食堂で度々見かけることはあったが、訓練に参加する姿は見られず、相変わらず図書館に籠りきりのようだった。驚いたことに、オスロ師士はそれを黙認している。俊は、自分が軍師による“お仕置き”を恐れて参加したにも関わらず、倫の抜け駆けが許されていることに腹を立てていた。
その気持ちは分からないこともないが、夏季自身はとにかく体を動かすことが大好きなので特に文句はなく、わざわざ倫に干渉する気は起きない。哲もおそらく同様の考えだと、夏季は感じていた。それに哲の、俊に対する反抗心は日に日に大きくなっているようだった。酒場での揉め事の後の、俊の能天気な浮かれ方が、相当気に入らなかったようだ。きっと俊が「倫がムカつく」と言えば、哲は「お前の方がムカつく」と返したことだろう。倫のことを気にする者は、いまや俊だけとなっていた。
さらに余談にはなるが、兵士たちの間で、夏季たち四人の中で一番話題に上っているのは倫である。あの食堂での登場シーンはそれほど衝撃的だったらしい。なにしろ、軍師のオスロに有無を言わせない剣幕で迫ったのだから。
この日は、訓練が始まってから三日目だった。
セボの国に来たその日から、夏季は毎晩同じ夢を見ている。 大きな水の龍が、天に昇る夢だった。
夢の中で夏季は荒地の真ん中にぽつんと立っている。
轟くような地鳴りがしたかと思うと、直径十メートルほどの水柱が地面から吹き出す。形は架空の生き物、龍、であった。
それを見上げる夏季の首が疲れるまで、龍は途切れることなく地面から溢れ出て、天に昇っていく。
この情景は、夏季の心をつなぎ止めて離さない。
訓練が始まってから、夢はより鮮明になり、夜の間、眠っているのではなく、実際に荒地に行って龍を見上げていたのではないかと、目覚める度に思うのだ。
インターバル・トレーニング式に休憩を取りながら走り続け、日程を終えた後、三人はオスロに呼ばれてグラウンドのはずれに集まった。
「今日もご苦労だった。どうだ、訓練と言っても、想像していたよりは簡単だろう。」
「まったくです」夏季は正直、物足りなかった。
「まあまあかな」と哲。
俊は何も言わなかった。訓練の間のみならず前後も含め、めっきり口数が減る。まるで、息を使うのがもったいないという様子だ。
「安心したまえ。体力的にはこれよりきつくなるということはない。あとは剣や槍、弓、乗馬など、これらは技がものをいう。走るのが苦手な者はこちらで頑張れば良い。まあ、君は少し体力不足が顕著すぎて、行く先不安だがね」
オスロは俊の心の内をお見通しのようで、座り込んでいる彼の頭の上から言った。
俊はオスロの言葉に打ちのめされたらしく、項垂れていた。この人はほんとう、ほめられるのが好き、逆にいえば、しかられるのが嫌いらしいと、夏季と哲は呆れてしまった。
「まったく子供みたいだよな」
哲が小声でつぶやいた。
「ところで、集まってもらった理由だがな。城では二周期ごとに朝礼というものがある。王女から大臣、幹部、兵士、召使い、馬丁。城の住人が全員大広間に集まる。来期の初日がその日に当たるのだが、君たちを『使い』として一度、公の場で紹介したい」
「王女? 王女がいるのか?」思いがけない話に、俊が顔を上げた。前髪やあご先からは、汗がポタポタと滴り落ちている。
「おや、言ってなかったかな。ここは王国だよ」
「一種の、形ばかりの儀式のようなもので、絶対遂行の血の誓いを交わすわけではない。ただ、王国である以上はトップとされる者、つまり王族に忠誠を誓ってもらった方が、民衆の理解を得易い。そうすることで、これからの君たちの扱いもずいぶん違ってくるだろうから」
「ちょっと待ってくれよ」哲が耐えかねたように口を挟んだ。
「俺たちが『使い』かどうかは決まったわけじゃない。だって俺たちふつーに生活してるだけじゃん。訓練だってなんだか体験実習みたいな雰囲気だし……。そんな状況なのに王女様に会って誓いを立てるなんて、やれと言われたっていやだよ」
「君たちが『使い』であることに間違いはない」
オスロは表情を変えずに言った。
「根拠は?」哲は下からオスロの顔を睨みつけた。哲の顔にもいく筋も汗が垂れていたが、その顔つきは精悍だった。
「お告げがあったからだ」オスロは落ち着いた口調でそう言った。
「バカらしい」哲が吐き出すように言った。
夏季は、投げやりな哲の言葉に、オスロが怒りはしないかとハラハラした。ところが、オスロは穏やかな口調のままで、こう言った。
「夢を見ていないか?」
「あほくさい空飛ぶ夢なら毎日見てるよ。それがどうかしたのか」
哲の荒れた言葉遣いにも、オスロは表情を変えずに一度頷いただけだった。
「夏季、君は?」
「見てます。同じ夢を毎日」
「俊は?」
「毎晩火炙りの刑に遭ってる。おかげでゆっくり眠れないよ」
「それを聞いて安心した。倫もきっとなんらかのお告げを感じているだろう。見えない力が、君たちに見つけられるのを待っている。個々が自分の能力について強化をはかることだ。残念ながら、それらを見つけるのは私ではない。私はそれを手伝うことはできるが、行うのは君たち自身なのだ。健闘を祈るよ」
「そうやってあんたたちは、不確かなものを頼りにいろいろ決めているのか?」哲が言った。
「まさか。『使い』に関してだけは特別なのだ。セボの住人が本物の魔法を見られるのは、君たち『使い』が現れるときだけだ」
オスロは困惑している三人を残し、城に戻っていった。





