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城「本の虫」


 夏季は知った。そこは巨大な城だった。

 廊下に出て窓の外を見た途端に頭の中の霧が晴れた。窓の木枠に手を掛け身を乗り出すと、肩まで伸びた髪が強い風になびいた。夏季は見えるものを全て吸収しようとするかのように、目を大きく見開いた。

 見渡す限りの青空と白い壁。城壁には無数の青い旗がはためいていた。遠くの方に、小さな建物が並ぶのが見える。しかしそれらは夏季が十五年間暮らしてきた街の風景ではない。海が見えないことからそのことが分かる。見えるのは水平線ではなく、地平線だった。

 まっすぐに続く木の床は、長く先まで伸びていた。好奇心を掻き立てられ、このまま自分に与えられた、これからしばらく過ごさなければならないらしい部屋を見に行くのもいいが、城の中を歩いてみることにした。道が分からなくなったら誰かに訊けばいいのだから。




 夏季が歩いた多くの棟は木造で、病棟と同じように壁はむきだしの木だった。廊下は細長い木の板を敷き詰めてある。床は踏むたびに小さくきしきしと悲鳴を上げた。

 大広間、厨房、バルコニー、中庭、夏季が見たものはとても古く、どっしりと腰を据えていた。建物も、人も、置物に至るまで、その全てに風格が備わり、隣りあうものは同じ時を過ごしてきたことを主張するかのように調和している。

 夏季は思った。ここに馴染んでいないのは、別の世界から連れて来られたわたしたちだけだ。言葉の通り、住む世界が違うのだ。例えるならば、赤や黄色の暖色で統一された風景に突如水色の異物が入り込んだような。わたしは遠いところに来てしまった。今目に映るもの全て、そう悟るのに充分な光景であった。

 夏季が通り過ぎると、人々は物珍しそうに振り返った。高校の制服を着ているので、嫌でも目立った。城の住人たちは薄手の布でできた衣服を身につけている。布地の目が粗いことから、夏季はそれが機械で均一に作られた布地ではなく、手製の織物なのだろうと思った。色はたいてい生成りのような薄い色で、濃い色は茶色や黒っぽい色まで、濃淡のバリエーションが豊富だった。

 夏季の真っ白なシャツは、少々わざとらしく感じられるくらいまぶしくて、目立ってしまう。しっかりアイロンをかけられたパキッとした形も、ここでは不自然である。そして、短めのブーツを履く者を大勢見かけたが、夏季のようにソックスを履いている者は一人としていなかった。皆、足首や、人によっては脚全体に、細い布を包帯のように巻きつけている。




 城の探索を始めてから一時間ほどが経過した。とても一日で城のすべてを歩き回れそうになく、諦めて与えられた自室に向かうことに決めた。しかし、ずいぶん歩き回ったおかげで道順を覚えていない。そして、変わったものであるかのように夏季を見る城の住人に、道を尋ねる気は失せていた。

 そこへ、良いタイミングで俊が歩いてきた。夏季は、「仲間」にすがるようにして近づいていった。

「あんたも探検?」

俊が話しかけた。夏季は「うん」と頷いた。

「なんだよ、元気ないな。部屋にはもう行った?」

「まだ。どうだった?」

 俊のあっけらかんとした話し方から、彼は城の人たちの好奇の目線にさらされても平気なのだろうか、と夏季は思った。今の状況で元気のあるあなたの気が知れない、と言ってやりたかった。

「まあまあかな。ただし、キッチンは無し。トイレも風呂も共同みたいだ」

俊は下見をした物件の感想を語るような口調で言った。

「そうなの?」

 夏季もつられてそんな気分になり、キッチンがないと聞いて、今日は大好きな料理ができそうもないと思った。これはそれなりにショックだった。

「そろそろ腹減ってきたけど、飯はどこで食べりゃいいんだ?」

 そう言われて初めて、夏季自身もお腹が空いていることに気付いた。人間も所詮は動物、呑気なものだ。どこかも分からない場所でもしっかりお腹は空いている。

「さあ……。ところで、倫さん知らない?」

「さっき会ったよ、図書館で。あいつになんか用?」

「部屋の場所を訊きたいんだけど」

夏季は、「倫」という名を言ったときに、俊の眉がわずかに上がったような気がした。

「ああ、なるほどね。……でも、今のあいつに話しかけない方がいいと思う。なんだったら俺が案内してやろうか」

「倫さんがどうかしたの?」

「まあ、図書館に行ってやつに会ってみろよ。すごいから。場所は分かる?」

俊は、今度こそあからさまに嫌な顔をした。夏季と図書館へ行く気はさらさらないようだ。

「大丈夫。ついさっき、図書館の入り口の前を通ったから」


 俊の申し出を受けてもよかったが、倫との交流も図りたかったので、図書館に向かうことにして、俊とはそこで別れた。

 建物に入るなり、夏季は「うっ」と声をあげた。鼻の穴がいやな匂いに満たされた。こんなにカビ臭い図書館に入ったのは初めてだった。倫はすぐに見つかった。吹き抜けの空間で螺旋状に続く書棚の一角で、倫は頭上高く伸びるはしごに上り、なにやら探している様子だった。

「倫さん」

 少し大きな声で、呼んでみる。

 倫がキッと振り向く。

「なにか?」

怒っているようなのは気のせいだろうか。

「あのう、部屋の場所が分からなくて……」

 夏季がそう言うと、倫は一回大きく鼻を鳴らし、足を踏み鳴らしながら梯子を下りて来た。ギシギシと、危なっかしく木製の梯子が揺れる。足が床に着くと、そのまま図書館の出口に向かって歩き出した。わけがわからないまま、夏季は慌てて倫の後を追った。

倫は後から必死でついてくる夏季にはおかまいなしに、城の廊下をずんずん歩いて行く。倫はネズミ色のTシャツにベージュのストレートパンツ。奇妙な格好をした2人が通ると、城の住人が振り返った。

「本がお好きなんですか?」と夏季が話しかけた。

「そうよ」倫は間髪入れずに答えた。

 倫との会話はそれっきり。あとは有無を言わせず、とても話しかけてよい空気ではなかった。

 ものすごい大股の早歩きで進む倫。夏季は置いて行かれないために、ほとんど走っていた。やがて、見覚えのある廊下に出た。さきほど軍人オスロと面接した部屋のある廊下。倫はまっすぐ左の階段を駆け上がった。

「ここ」

一つの扉の前で、倫が言った。

「あ、ありがとうございました」

夏季が息をついていると、倫が背中を向けてさっさと行こうとした。

「あの!」

「まだなにか?」

倫の声が大きくなった。夏季は息を呑み、小さな声で申し訳なさそうに言った。

「倫さんの部屋はどこでしょう……」

「あんたの隣りだけど文句ある!?」

 文句など、あるわけないのだが。

 夏季が何か言う前に、倫は走り出しており、一人残されて呆然と立ち尽くした。



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