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断罪の時「岐路」




 扉の鍵が開く音を聞いた。それから、重い扉がきいきい鳴る音も。衣ずれの音、静かな足音。簡易的なベッドの、薄いマットに横たわり目を瞑るシエ・ラートンは、その気配を推し量っていた。

 ふわりと香るのは、王女が好んで使っているお香だった。

 ベラ王女はベッドに腰掛けて、ラートンの頭を優しく撫でた。

 ラートンは身動きしなかった。

 王女に応えてはならない、予感がした。

 ずいぶん長い時間が過ぎたように感じられてから、王女が立ち上がった。

「また来るわ」

 小声で言った王女は、部屋を出ると、鍵を閉め直した。

 ラートンは目を瞑ったままで肩の力を抜いて、息を吐き出した。







 壁に大きな穴が空いており、どこかの隙間から、月明かりが差し込んでいた。皆の顔が確認できる程度に視界が良くなったことを確認して、俊は手のひらに灯していた小さな火を消した。

 カイハは地下の自室の壁を掘って脱出したとのことだった。

「掘った? いったいどうやって?」俊が首を傾げた。

「凍らせたのよ。凍ってしまえば、割ろうが崩そうがカイハの思いのままでしょう」カイハの代わりに、倫が答えた。

 それからカイハが静かに話した。

「水路にぶちあたったのはよかったのだけれど、水かさを前に困り果てていたの。凍らせるにしても流れが速すぎて……。ところが突然水位が下がったでしょう。歩くのにまさにちょうどいい浅さに。凍らせてその上を歩いたわ」

「せっかく城から脱出してきたところとても言いにくいんだけど……わたしたちこれから城に潜入するつもりなんだ……」

 夏季は、理由をカイハに説明した。

「城に着いたとしてどうする?」カイハが静かに言った。視線は鋭く夏季を見据えていた。

「ピルツの書斎の場所はわたしが把握している」ネレーが言った。

「カイハも見たでしょう?」夏季は言った。夢のことを指していた。

「ええ見たわ」カイハはそれを察したようだった。

「あれはきっと六人が力を合わせてなにかを封印しなければならないという意味だと思うの。一緒に来てくれるよね?」

 夏季はカイハの灰色の瞳をじっと覗き込んだ。

「申し訳ないのだけれど……わたしはもう城に戻るつもりはないわ」

 カイハは目をそらさなかった。

「どうして?」夏季は驚いて、聞いた。隣では倫が息を飲む音が聞こえる。

「務めは果たした。見返りは求めていない。せめて静かに暮らしたい。でも、城にいてはそれは叶わないと知ってしまった。それが理由よ」

 カイハの言うことはもっともで、それは数日前に倫が漏らした本音とも似ていた。

 皆が沈黙した。しばらくして、夏季がようやく一言、言った。

「わかった」

 カイハを引き止めるにはあまりにも、説得の材料がなかった。今、この時までに『壷伝』の初版本の内容を把握していて、六人が本当に必要だと言える根拠があればよかったのだが、それはかなわない。

 夏季の絞り出すような一言に未練を感じ取ったのか、カイハが再び口を開いた。

「自分勝手な理由で申し訳ない。なにかしらの、ひょっとしたら倒すべき『相手』がいる可能性があることは、わたしも承知している。でも今回はわたしがそれをする根拠が見当たらない」

 おそらく、カイハがみずからの生い立ちについて考えており、貴重な種族としての存続の瀬戸際にあることを、天秤にかけていることが、夏季には察しがついた。そしてそれは隣にいる倫が口を挟まないことから、彼女もまた理解している様子だった。口を開きかけたネレーを軽く制して、倫が言った。

「わたしも、夏季と同じ。カイハの考えを尊重する」

 倫は、口をパクパクとさせているネレーに顔を向けた。

「この人は、様々なものを天秤にかけたうえで、結論を出しているわ。わたしたちがガヤガヤと言い立てても無意味なのよ」

「そうなのか? しかし、それで本当に君たちは大丈夫なのか?」ネレーが心配そうに言った。

「わからないわよ、そんなこと」倫が苛立った様子で言った。

「は?」ネレーが口をあんぐりと開けた。

「慎重だな」俊がネレーに言った。

「論理的なのだよ。こちらの勝ち目を考えたときにより可能性のある選択をするべきというだけの話だ。時には説得も必要だ」ネレーが皆の顔を見回して言った。

「気持ちの問題だって大事なんだよ」哲が、顔を上げずに言った。「その戦いに意味を見つけられるかは、守りたいものが、そこにあるかないかに掛かっていると、思わないか?」

「守りたいもの?」ネレーが言った。

「俺にはある」哲が続けた。そして今度はネレーの顔を見た。「君にはあるのか?」

「守りたいもの?」ネレーが繰り返した。「それは……セボの平和だ」

 俊がげらげらと笑った。

「なにか可笑しいか?」ネレーは笑わなかった。

「冗談を言わない人間なのはわかっているさ。こんな俺でもな。盛大な答えにびっくりしているだけだ。まるで国王だ」俊が目尻をぬぐった。

 夏季もクスクスと笑っていた。ネレーの視線に気づいて、夏季が言った。

「笑ってごめんなさい。でもね、ネレーの思想って、実はラートン隊長と同じなのかなって思って」

「なるほど? ライバル関係の二人が実は盟友だってこと?」倫もニヤリと笑った。

「う、うるさいな!」顔を真っ赤にするネレー。

 カイハは皆のやりとりを見て、微笑んでいた。愛おしそうに。

「それで。倫は? 本当に一緒に来る?」夏季が、倫に言った。

 倫は驚いた様子で、それから、視線を逸らした。

「あのね。それはもう、なんというか、あんたがやると言ったことを放っておけないだけよ……もはや……」倫が口ごもった。「だからここまで協力してきたつもりよ。それに今からだって力を貸すわ。わたしの気持ち、わかるでしょう?」

「ありがとう、倫。あなたがいてくれて心強い」夏季は目に涙を浮かべた。

「俺は」俊が口を開いた。

「あんた聞かれてないから」倫は俊の頭をはたいた。

「俺も、夏季がほっとけないから」哲が爽やかに、明るく言った。「半分冗談だよ。前にも言ったとおり、今の家族を守りたい。それが一番だ」

「思うのだけれど」カイハが口を開いた。「誰かに決められたストーリーをなぞるばかりでは、きっと運命は変えられない。わたしたちは既にレールを外れているはずよ。あなたとわたしが森で出会ったあの時から」

 通例どおり召喚されるはずだった『はじまりの部屋』ではなく、カイハが暮らしていた森に不時着したわたしたち。夏季、哲、倫と俊は、カイハの顔をまっすぐに見た。

「だから、必ずしもわたしが必要な場面はもう過ぎ去ったはず。志しのある者だけで進むべきだと思うわ。あくまでわたしの勝手な解釈で、申し訳ないけれど」

「わたしがカイハ殿の代理を務めよう」ネレーが言った。「恐れ多いが、あえて進言する」

「マジで心強いよな。この大胆さは」俊がネレーの顔をまじまじと見つめた。

「みんな、わたしを勇気づけてくれてありがとう」ネレーが言った。

 他の者は皆、首を傾げた。それから、ネレーが感慨深そうに頷いているのを見届けてから、気にするのをやめた。

「世情をゆがめている者の正体を突き止められますように」カイハが穏やかに言った。

「あと、ラートンも助けないとね」倫が夏季の肩を叩いた。

「あいつに助けなんか要るかな」俊が天井を見上げて言った。

「『助けなんかいらない』って言いそうだな」哲がぽつりと言った。

「心の中で、喜んでくれるんじゃないかな」夏季が言った。








 扉の鍵が開く音を聞いた。それから、重い扉がきいきい鳴る音も。衣ずれの音、静かな足音。簡易的なベッドの、薄いマットに横たわり目を瞑るシエ・ラートンは、またかと思った。

 ふわりと香るのは、王女が好んで使っているお香だった。

 ベラ王女はベッドに腰掛けて、ラートンの頭を優しく撫でた。

 ラートンは身動きしなかった。

 王女に応えてはならない、それは確信に変わっていた。

 ずいぶん長い時間が過ぎたように感じられてから、王女がベッドに横たわった。

「わたしに応えて」

 小声で言った王女は、ラートンの寝顔を見つめた。

 見つめ続けた。まばたきもしない。

 そしてラートンの身体に手を回し、彼の顔を胸元にうずめた。

 ふふふと微かに声を漏らして、身体を離した。そして毎夜と同じく静かに部屋を出て行き、部屋の鍵を閉めた。


 王女の気配が消えると、ラートンは身体を起こした。

 毎晩だ。

 毎晩少しずつ……

 行動が変わっていく。

 その夜は、あまりよく眠れなかった。









 扉の鍵が開く音を聞いた。それから、重い扉がきいきい鳴る音も。衣ずれの音、静かな足音。簡易的なベッドの、薄いマットに横たわり目を瞑るシエ・ラートンは、身じろぎした。

 ふわりと香るのは、王女が好んで使っているお香だった。

 それから、するする、ぱさりと、布地が地面に落ちる物音を聞いた。

 衣服を脱いでいる。

 王女に応えてはならない。

 王女に気付いている素ぶりを見せてはいけない。

 決して。

 ずいぶん長い時間が過ぎたように感じられてから、王女がベッドに横たわった。

「わたしに応えて」

 小声で言った王女は、ラートンの寝顔を見つめた。

 見つめ続けた。まばたきもしない。

 そしてラートンの身体に手を回し、彼の顔を胸元にうずめた。

 それからラートンの手を取り、自身の身体に触れさせた。

 ふふふと微かに声を漏らして、身体を離した。そして衣服を身につけている、物音がした。毎夜と同じく静かに部屋を出て行き、部屋の鍵を閉めた。


 王女の気配が消えると、ラートンはがばっと起き上がった。

「あああ」

 ラートンは苦悶の声を上げて、両手で頭をくしゃくしゃに掻きむしった。

 望んでいない相手からじわじわと迫られるのは恐怖だった。

 おぞましく、地獄のようだった。

 彼の目元にはうっすらと隈が差していた。






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