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亡き人の志「渾沌」





 夏季の背中は血まみれで、通りすがりの人々は時折ぎょっとした顔で振り向いた。だが、誰もが何かに忙しく駆り立てられていて、平然と淡々と歩き続ける彼女を、動けているのだから大丈夫なのだろうと解釈して、そのまま通りすがった。治りかけの傷はずくずくと疼いたが、見た目から想像されるようなひどい痛みは既になくなっていた。ラートンが行使した『白』の効果もあるだろうが、それよりも、広い範囲にわたった強い光が、自分の背中にあったものにもなんらかの良い影響を及ぼしたのは間違いなかった。その直後から、傷の痛みとは別にあったチクチクざわざわとした違和感が、すっかりなくなっていた。

 夏季は城の前に立っていた。

 なぜだか、仲間の誰かと共に歩いた記憶はなく、一人きりだった。ぼんやりと思い出すのは前線の重傷者の搬送が矢継ぎ早に行われるのと同時に、城下のそこかしこで勃発する争いの種を消しに、皆が再び動き始めたことだった。夏季はどうしてもそのような行動に足が向かわず、まっすぐ城に向かった。強く白い光はセボの城から発せられており、誘われるようにしてふらふらと歩き続けたのだった。

 城までの道のりでは皆が走り回っていた。魔女側の者たちを捕まえて痛めつけている者や、興奮のせいか味方同士で喧嘩を始める者も少なくなかったが、夏季はそれらに関わろうとすることをしなかった。出来なかった。敵が倒れてもなおわざわざ争い事を起こすのは、同じ人間の仕業には思えないと、夏季は燃え尽きた心でそれらの横を素通りした。


 魔女を崇拝していた群衆たちは白い光を前に地に伏した。一部の者はぐずぐずと塵に変わり果てて風に飛ばされた。その塵を吸い込み体調を崩した者には、倫が前もって用意していたドクラエの苗、あるいは乾燥した実が配布され、病気のような症状を回復するための対策は充分だった。しかし、武器をぶつけあって出来た傷を一瞬で治す力を持つ者はいなかった。城下街の中で拠点となる集会所など大きな建物は、次々と運び込まれるけが人で床が埋まっていった。

 魔女の討伐という任務に夢中でわかっておらず、今になって実感したのは、闘い、負傷したのは自分たち『使い』や兵士だけではなく、民も同じということだった。急ごしらえの自警団があったおかげで被害が抑えられたというのは間違いないと言えるだろうが、それでも全ての攻撃を防ぐことは出来なかったということだ。仕方がないことだとしても、痛みに苦しみ悶える姿を実際に目にしてしまうと、いたたまれない気持ちであった。哀しみとむなしさが募っていった。


 ルゴシク山で魔女リカ・ルカを倒すことができていれば、なおよかったのだ。


 自分と同じように立ち尽くす人間が、目に入った。動き回るか項垂れるかの両極端の人間が渾在する中、呆然としている人間は、異質で、光をまとうように周囲から浮き上がって見えた。

 視線を感じたのか、相手も夏季の存在に気付いた。

「夏季」

「哲」

 互いの名前を呼び合うと、ごった返す城の出入り口のホールで、合間をぬって二人は歩み寄り、静かに抱き合った。存在を確かめ合うように、背中に手を回した。

「もうだめだと思った」夏季が目を瞑ったまま、つぶやいた。

「本当だ。みんな死ぬんだと思った」哲もぼそりと言った。「なぜ助かったのかな?」

「わからない。今は何も」夏季が言った。「ラートンの『白』い力よりも、ずっと強いものだったように思う。城の中から、溢れ出るようだった」

 その言葉を最後に二人は無言で抱き合ったまま、立ち尽くした。回廊は激しく人が行き来していた。壁際には座り込み項垂れる者や、家族や友人同士だろうか、体を寄せ合ったり手をにぎり合う者もいる。誰も、回廊の真ん中で抱き合う二人を気にとめる余裕はないようだった。

 やがて二人は長い抱擁を解いた。

 夏季は無理やり笑顔を作った。

「がんばったよね、わたしたち」

「ああ」哲の声は少し震えていた。「そうだよ。精一杯やりきったんだ」

 たとえ死屍累々だとしても。

 最も胸をえぐる部分は、お互いに言葉にしなかった。そうでもしなければ、絶望に絡め取られて、魔女の配下の者たちと同じように、塵となり消えてしまいそうだった。

 二人は隣り合ってしばらく回廊を歩いた。互いの手が時折こすれ合う。

「お兄ちゃん!」雑踏の向こう側からカウジ・ユエグが全速力で駆け寄ってきた。哲はさりげなく、夏季から少し離れた。

 飛びかかる勢いのカウジを、哲が抱きとめた。

「ただいま、カウジ。パパスさんも無事だよ」

「怖かった……」カウジの言葉は嗚咽に変わった。赤子のようにわんわんと泣きわめき、哲の胸に顔をこすり付けた。

「がんばったな。カウジががんばったから、俺も帰って来られたんだ……こうしてまた会うことができた……」

 カウジの頭をくしゃくしゃに抱きしめて、いつまでも頭を撫で続けた。哲の目から涙がこぼれていた。

 夏季も目尻にはみ出した涙をぬぐい、カウジの頭をポンポンと優しく撫でると、再会をかみしめる二人を残し、歩き去った。

 哲とカウジがお互いの無事を確かめ合う姿を見ていると、生きていることさえ叶うなら、過ぎてしまった物事の結果や反省などどうでもよいようにも思えた。

 同時に、『使い』の任務が成功なのか、失敗なのか、これから民によって天秤にかけられる未来が来ることを想像した。人々はこの混乱が収まった後に、この闘いを振り返り何を思うのだろうかと。






 大広間に足を踏み入れた。定例の朝礼が行われる、多くの人々を収容できる場所だ。ここも人で埋め尽くされている。床には担架や絨毯が敷き詰められ、大勢のけが人が並べられ、その合間を看護人や兵士や民が入り乱れている。

 そんな雑踏のなかでひときわ目立っていたのが、ひとりだけ淡いピンク色のドレスをまとい、ラートンが横たわる担架の前で泣き崩れているベラ王女だった。その後ろをニッキや他の従者たちがおろおろと歩き回っている。

 ラートンは目を覚ましていた。王女に静かに語りかけている様子だった。王女はその言葉ひとつひとつにうなずき、白いレースの縁取りがついたハンカチで口元を押さえている。

 夏季は軽い苛立ちを覚えた。さりげなくドレスの裾を床につかないように従者たちに上げさせていることに愕然とした。周囲の者が王女に気を遣っており、手負いのラートンさえも無理に笑顔を作っているように映った。

 わたしが王女の立場だったら彼らに無理をさせないのに。

 苛立ちは次第にふつふつと怒りへと変わっていった。

 ハッとして、夏季はぶんぶんと頭を横に振った。王女と隊長の感動の再会シーンから、無理やり視線を引き剥がした。憎しみを肥やすと、魔女に狙われると思ったからだ。

 おや?

 夏季は顔を上げた。

 魔女はもういないはずだった。真偽のほどは別にしても。そのような心配はいらない可能性に思い至る。

 夏季は口元が笑みにゆがむのを感じた。平和、とはとても言いがたい状況ではあるが、いちばんの脅威は去ったはずだと、考えても良いのだ。

 一人立ち尽くして考えにふけるその間にも、次々にけが人が運び込まれて、怒号や、泣き声が入り乱れたが、夏季は気の抜けた笑みを浮かべて噛み締めた。


 魔女が消えた。






 大広間を抜けて、しばらく歩いた。窓の外は、夕焼け空がとっぷりと沈んでしまい、濃紺の夜空に星がいくつか見える頃だった。セボの人間は少しも休まらないまま、時間だけが過ぎていく。倫の姿はそこかしこで見かけた。治療の補助となる植物を提供して回っている様子だった。俊や六季の姿も見られ、皆奔走している。

「あんたは休んでて!」

 通りすがりに倫に声を掛けられた。

 返事をする間もなく、倫は手からなにやらオレンジ色の茎を生やしたままで、走って行ってしまった。

 食堂に入ると、そこもテーブルや椅子は隅に片付けられて、大勢の重傷者が運び込まれていた。意識不明の者は食堂にまとめられているようだった。入り口のすぐそばのマットに、ハリル副隊長が寝ていた。看護人が入れ替わり立ち替わり胸のあたりに治療を施していた。そこから少し離れた場所で、もう一人、見知った顔の若者が、横たわっているのが目に入った。

「ネレー?」

 夏季は駆け寄った。ネレーのそばには文官のバーツという女性が付き添っていた。文官の中では夏季たち軍部に対して親身に接してくれる部類の人間で、幹部会議などで顔馴染みになっている老齢の女性だ。

「夏季。よく無事で」バーツが夏季の手を取った。

「バーツさんも。よかった」夏季は弱く微笑み、バーツの手を握り返した。

「わたしたち文官は大半が城の中にいたんだから大丈夫よ」

「なのに、どうして彼が? 一体なにが……」

 夏季はネレーを見下ろした。青白い顔で、昏睡している。頭には包帯が厚く巻かれていた。

「わからないのよ。発見されたときにはもうだいぶ時間が経っていたようで。誰かに故意に殴られたようだと……」

 バーツが語尾で声をひそめた。

「生きてはいる。それだけが救いよ。ただ、いつ目覚めるかはわからない」

 バーツが悔しそうに口をきゅっと結んだ。目元のシワが深くなった。

「おかしいと思わない? 敵は城の外にいたはずなのよ。なのにどうして城の中にいたネレーが襲われたのかしら?」

「わからない」夏季が眉根を寄せて首を横に振った。「地下牢の捕虜くらいしか思いつかないけど……」

 考えたくもない話だが、万が一にも他にも城内に魔女の勢力がいたとしたら?

「ピルツも行方がわからないそうよ。なんでも書斎はめちゃくちゃに荒らされているとかで」バーツが続けた。

「なんですって?」夏季が聞き返した。

 上司と部下の関係である二人が同じ頃に襲われたのだとしたら、ますます気になる話だった。同じ人物による犯行のように感じられる。

 一体なぜ?

「おーい」

 ひときわ大きな掛け声に、食堂にいる者が一斉に振り返った。背の高い男がぶんぶんと、手を振っている。明らかに、夏季とバーツの方を見ていた。

「イルタ!」夏季も手を振り返した。

「パソンが君を探していたぞ」イルタがそばまでやってきた。泥まみれの制服のところどころについた血の跡のような赤黒い点々が生々しい。彼自身は少し足を引きずっているものの、顔色は良く見えた。

「パソンが? なんで?」夏季が首を傾げた。

「知るわけない。レナとセナと一緒に階段を登っていったぞ」イルタが素っ気なく答えた。

「まさかネレーがこんなことになるとはな」

 疲労の色がにじむイルタは、夏季を気遣ってか、要件以外のことに触れた。

「残念だわ、とても。よくなってほしい」夏季も、叶うのかはわからないが、願いを述べた。

「みんな元どおりになってくれればいいんだけどな。ハリルも、ラートンも……」イルタは悲しげな表情のまま、口角を少しだけ上げた。

 イルタは夏季の肩に手を置いた。夏季はこくりと、一度頷いた。


 魔女が消えたというレナとセナの宣言はまたたくまに広まった。その真偽を確かめる方法など誰も思いつかず、混乱の方が大きい。城下の民を鎮めるために、まだ余力のある幹部たちや班長クラスの上級職にある兵士たちが奔走している。第一にけが人の搬送や治療で、それから混乱に乗じた小競り合いが各所で勃発して、兵士や自警団たちが対応に追われていた。

 国民が奔走している中でベラ王女は役立とうとするわけでもなく、彼女の頭の中にはラートンのことしかないようだったが、誰もそれを咎める者はいなかった。それは周囲の優しさなのか、あるいは冷たさの表れなのか、判然としない。

 今、このすべての感情がもみくちゃになった渾沌に包まれていると、とてもイルタのささやかな「元どおりになってくれれば」という願いが実現するようには思えなかった。


「どけ! そこをどけ!」

 威勢のいい声と共に、巨大なトレーを両手に乗せた男が厨房のドアを蹴破った。

「おう、夏季じゃねえか」

 コックのクコがぶっきらぼうに言った。

「クコさん!」

「炊き出しだ。お前に一番にくれてやる」

 クコは怒ったような顔で乱暴にそう言って、夏季の方にトレーをぐいっと差し出した。

 おにぎりのような形にまるめられた料理が、手づかみで食べられるように、大ぶりな葉で挟んである。

 あっけにとられた夏季は、数秒の間を置いてから、お礼を言ってひとつを手に取った。夏季が受け取ったことを確認すると、そばにいたバーツ、そしてイルタにもトレーを突き出して、手に取るように促した。

「ようし、お前ら、みんなに配るぞ!」

「はい!」

「ボスに続きます!」

 クコの部下たちは、足をふみ鳴らすボスに続いて回廊を闊歩していった。食堂にいる看護人たちにも次から次へとおにぎりもどきが配られた。皆、お礼を言って受け取り、顔をほころばせた。

 夏季は手元のほんのりと黄みがかった食べ物を少し眺めてから、ぱくりとかぶりついた。一度食べたら止まらず、あっという間に飲み込んでしまった。

「わたし、お腹がすいていたみたい」夏季が驚いて言った。

「ほんとだ。空腹を忘れるくらいには、気が張り詰めているんだろうな」イルタももぐもぐと口を動かしながら、可笑しそうに笑った。

「幸せだわ」バーツは涙をこぼしていた。「ここに寝ている人たちも、きっと回復して、このおいしい食事を楽しめるといいわね」

 クコが『炊き出し』と称して配ったささやかな食事は、人々を笑顔にした。皆同じように、食べ物を口にして初めて自身の空腹にハッとする。それから、もう一口、もう一口と、おいしい、うまいと言葉にしながら食べ尽くすのだった。

 彼なりに今できることを考えて行動し配った『炊き出し』は、希望がもみ消されそうな渾沌の中で、人々に小さな喜びを与えただけではなく、生きるために必要な食事すら忘れさせた緊迫の時は終わったのだと、皆に教えてくれた。


 夏季は、気力も体力もとうに使い果たしたと思い込んでいた。先ほどのクコのまかないで、そうではないと自覚した。

 皆がまだ動き回っているのに何もしないなどなんて愚かなのだろう。わたしに出来ることは何かないだろうか。

 夏季は自身に怒り、猛省した。

 わたしはなんだ?

『水使い』。

 形ばかりではあるけれど、まがりなりにも『使い』のリーダーだ。

 だからパソンがわたしを呼んでいる。

 レナとセナだ。イルタによれば、パソンと一緒に待っているはずだ。

 まずは事実の確認をしなければと考えた夏季の足は自然と、ひとつの部屋に向かった。




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