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亡き人の志「レナとセナ」




「静まれい!」

 壁を踏み倒し進行したならず者たちに向かって、魔女が怒鳴りつけた。手には拡声器のような形をした木片が握られている。

「静まれ、お前たち!」

 魔女がもう一度群衆に語りかけると、手元の道具はシュルシュルと元の杖の形に戻った。

「わしは下品なふるまいが嫌いなんだ。行儀よく、待っていろ。わしが力を手に入れたあかつきには褒美をたっぷりくれてやる」

 突然の魔女の提案に不満そうな表情を浮かべる者もいれば、うやうやしく跪く者もいた。

「ここは通さないぞ!」

 魔女リカ・ルカの前には兵士たちが再び立ちはだかった。イルタ、アレモ、ウォロー、そしてハリル副隊長だった。

 周囲には敵も味方もわからない身体が複数横たわっている。助けを乞うように震える手を宙に掲げる者がいれば、大量の血を流し、ピクリとも動かない者もいる。

「たった今わしが用があるのは貴様だけじゃ」

 そう言ってリカ・ルカは杖を勢いよく突きつけた。

「ああ?」杖の先を向けられたハリルが、自分を指差した。

「渡せ」リカ・ルカが蔑むような目つきでハリルを見た。

「何をだ」ハリルが槍の柄を握りしめた。

「しらばっくれるな」リカ・ルカの目つきが鋭くなった。

「なに言ってんだよばあさん」ハリルが苛立ちもあらわに槍を向けた。

 リカ・ルカが杖をぶんと横に振りぬくと、ハリルの胸が裂けて血が吹き出した。

 隣に立っていたウォローが血を浴びた。イルタとアレモは動けなかった。

 すたすたと近づいてくるリカ・ルカの身体が、ぐんぐんと大きくなっていくようだった。錯覚か、現実か、区別がつかない。恐怖によるものだというのは確かだった。それが目の前まで迫ってきたとき、自分たちの身体の二倍はあろうかというくらいまで大きくなり、もはや彼らは黒い影に包まれていた。巨大な紫色の瞳に見下ろされ、ただただ目を見開いて見上げていることしかでかなかった。

 そして突然、リカ・ルカが彼らを素通りしてハリルの傍に移動した瞬間に、幻覚がぱたりと終わった。リカ・ルカの身体の大きさは元にもどり、倒れたハリルが首から下げている鍵のついた紐をつかみ、断ち切った。

「それ……のことか……」ハリルはそう言って、血を吐き出した。「俺が……持っているの……忘れてたぜ……」

「アホが極まると滑稽じゃのう」リカ・ルカがフフンと笑い、ゆったりと歩いていった。

「ハリルーーー!!」アレモが叫んだ。

 イルタも、アレモと同時に剣を構えたが、それ以上動くことが出来なかった。手も触れずに相手を傷つけられる相手を前に何ができるだろうか。ハリルを倒されたことは憎むべき事実だが、今ここで仇を討つには相手が強大すぎた。


 長いマントを引きずる後ろ姿は、ゆっくりと、だが着実に遠のいていった。

 杖の一振りで思いのままに人間の命運を決められる魔女を前にして、それを止めようとする者はもはや誰もいなかった。夏季を除いては。

 夏季の周囲を水の龍がとぐろを巻き、魔女の後ろ姿に向かってシューシューと口から音を鳴らしている。夏季の目元は険しく、足は自然と前に進み、いよいよ駆け出そうと大きく一歩を踏み込んだ……

「待て!!」走り出そうとする夏季を、ラートンが止めた。

「離して!!」夏季が振り向きざまに言った。

 重症のラートンは上半身を起こし、夏季の手首を掴んでいた。怪我の程度は決して軽くないはずだが、驚くほど力が強い。

「誰かが止めないと!」夏季が叫んだ。

「ここにいるんだ……その時がくるまで……」ラートンは歯を食いしばり、激しく息をしていた。

「隊長……」

 夏季はラートンのこれほどまでに必死な姿は初めて見たように思った。そして悲しさと、むなしさがこみ上げてきた。それほどまでに、魔女は強大な敵なのだと思い知らされる。それはそうだろう。あのボコボコとした不気味な形の杖で何もかも思うがままだ。ましてや杖を使わずしてラートンを倒したのだ。人を操る力が何よりも恐ろしい。はじめはオスロ師士、それからカルーやキム、ならず者たち。そしてひょっとしたら、母が活躍した時代にも。父親であるクロ・アルドの正気をなくし、ジョン・ルカというまがい物に変え果ててしまった……。

 ラートン隊長は、諦めた?

 夏季は足元が崩れていくように感じた。あの屈強な精神の持ち主であるシエ・ラートンが今こうして自分の前に横たわり、ここにとどまり国が滅びるに任せるべきだと乞うている。

 横たわるラートンは、虚ろな瞳で、リカルカの背中を見つめていた。

「早まるでないぞ。夏季」

 自分の名を呼ばれて夏季は振り向いた。そこでようやくラートンの手が夏季の手首を離した。

「パソン議長!」アレモが泣きそうな顔で、代理の軍師に、すがるようにして走り寄った。

「なぜです。俺たちの使命は魔女を止めることでは!?」

「違うんだ……」血まみれで横たわるハリルが青白い顔で、口を開いた。「俺たちは……オスロの手紙に従っている。そうだろう、ラートン?」

 ハリルが横たわる地面には血の海が広がっている。

 ラートンも自身の胸の傷口にぼろぼろの布切れをあてがい、苦しそうな息遣いで顔をしかめ、それでもしっかりと頷いた。

「どういうこと?」夏季は淡々と、聞き返した。たとえ目の前で大怪我をしていようとも、まさかそれを気遣う余裕などなく、ひたすら混乱していた。

「ということは、少なくとも夏季への手紙には別のことが書かれていたようだな」パソンが言った。彼もまた、非常に冷静な様子で、腰の後ろで手を組み、魔女が歩き去った方角を眺めていた。

「ただの『手紙』だからな。書くのは本人の自由だ……」ラートンは咳き込んだ。

「ラートン、休め。あとは成り行きにまかせようぞ。おぬしはここまでよくやった」

 ならず者たちとセボの兵士の雑踏でもみくちゃにされた医療担当の兵士たちが、パソンの言葉を合図にしたかのように雑踏をかきわけ、介抱に向かった。特にハリルとラートンの周囲には三人ほどが一斉に向かい、すぐに処置が始まった。

「夏季。先ほど使命が『魔女を止めること』だと誰かが言ったのう。そうじゃない。『魔女を倒す』のだ。そして今のこの状況はそれに必要不可欠なこと」

 パソンがどこか気の抜けた様子で、夏季の方を見ずに言った。

「黙って……見ていろと……?」夏季は歯を食いしばり、両手を握りしめて震わせた。

「いてもたってもいられないだろう」パソンがぼそりと言った。

「今までの、行動はなんのために……?」夏季の目からは涙が溢れた。

「よい質問だ」パソンはそう言って、夏季に微笑みかけた。幾多のしわが刻まれているが、瞳は夕日にかがやいていた。すべてが橙色に染まる頃合いだった。






 ぐうぜんそこに居合わせたというだけで杖を振られた人間は、短い悲鳴をあげて床に伏して二度と動かなくなった。魔女が歩いた後には何体ものしかばねが横たわった。

「わかるぞ。わかるぞ。オスロのおかげで道順は間違えようがない」

「ここが地下への入り口だ」鼻息荒く、ハリルから奪った鍵で扉の鍵を開けた。

 部屋の中には二人の少女が、立っているのではなく、浮かんでいた。

「あら? お客様だなんて聞いてないのに」二人は同時に同じ言葉を喋った。

「何かが変よ、ねえ、そう思わない、レナ?」

「何かが変ね、セナ」

 二人の容姿はとてもよく似ていた。おそらくは、双子か、年子の姉妹だ。見分ける方法は髪型くらいなものだろう。それから、わずかに違う目の形。セナのはわずかに垂れ気味で落ち着いた印象だ。レナの目はわずかに釣り気味で無邪気な子猫のよう。

 魔女が杖を振ると、二本の細い槍が現れて、二人の喉元に飛んでゆき壁に張り付けた。

「やばいよ、セナ」レナが元気よく言った。

「そのようね、レナ。ついに招かれざるヤツが来てしまった……」セナが残念そうに気落ちして言った。

「よくわかっておるでないか。お前たち、ついに最期だよ」魔女はヒヒッと笑った。

「別にもうたくさん生きたからいいんだけど」セナが苦しげに言った。

「そうそう。心残りなのは……」レナも苦しげだが、どこかおどけた調子だ。

「セボの人たちのこと……」セナの瞳から一粒の涙がこぼれた。

「はっ。此の期に及んで他人の心配とは。永遠の命というのは人を狂わせるのか?」魔女はペラペラと、話し続けた。

ずんずんと部屋の奥に進んでいく魔女の背中に、レナとセナは言葉を続けた。

「狂いはしない」レナが力を込めて言った。

「ただただ、想うのは父のことばかり」セナが声を震わせた。

「いいね。走馬灯だね」魔女は軽い調子で相槌を打った。

「いいえ。数百年の間いつでも頭の片隅から消えたことはない」レナが目をつむり、首を横に振った。

「ついにこの時が来たので、なおさら強く思い出されるだけ」セナの声が大きくなった。

「泣けるねえ。チリとなり消える前にちゃーんといろいろなことを思い出しておくんだね。こんな地下の小部屋でかわいそうだが、お前たちの最後はわしがしっかりと見届けてやるさ」

 魔女はニタリと笑い、ゆっくりと振り向いた。

 壁にはりつけられたレナとセナを、ギョロギョロと眺めながら、魔女の両手が二本の杖をガシッと掴んだ。その代わり、それまで掴んでいたみすぼらしい灰色の、ボコボコとした節だらけの杖は、からんからんと軽い音を立てて床に転がった。

「あの人何を言っているのかしら?」セナが小首をかしげて言った。

「さあね。まあ、世の中にはいろいろな考え方の人がいるんだから。気にしても仕方がないわよ」レナがわざとらしく、やれやれと首を横に振った。

 おや? と、一瞬魔女は首を傾げた。

 わしはたった今、新たな杖の主人として杖を掴んだはずなのに。

 ちりとなり消え失せるはずの古い主人たちはあいも変わらず呑気に言葉を続けているではないか?

「あー。ちょっとムズムズしてきた」レナが口をひん曲げて言った。

「わたしも。もしかしてこれって……」セナが口元に手を当てた。

「やっぱりそう思う?」レナが返事をした。





 彼女らは何を言っているんだ?

 わしは世界最強の力をついに手に入れたのだぞ。





 すべてが同時に発光した。

 リカ・ルカは白い光で消し飛んだ。

 レナとセナは光に包まれ、身体が少し大きくなったよう。喉元の槍はリカ・ルカと共に消え去り、すとんと、木の床に降り立った。

「足がある」

「ほんとだ!」

 レナとセナは抱き合った。

「オスロ・ムスタ。あなたの思惑どおりにすべて事が運びましたよ」

「ありがとう。オスロ・ムスタ」

 レナとセナは手をつなぎ、それぞれが杖を持ち、城の外へ歩み出た。







 白い光は小部屋から、廊下へと溢れ出した。地下からの階段を駆け上がり、窓から差す夕日を白く消し飛ばした。城全体が発光して、城下を包んだ。街でうようよと徘徊する黒ずくめの者が地に伏せた。住人たちは頭を上げた。光は門まで届き、兵士たちを鼓舞した。ならず者たちは地に伏した。光は遠くの地の果てまで広がっていった。

 光が止むと、兵士たちはキョロキョロと辺りを見回して、仲間たちの無事を確認しあった。ならず者たちは地に伏したきり、がたがたと震えている。

 絨毯のように敷き詰められたならず者たちの上を、馬で進んでくる者たちがいた。

「何が起きたんだ?」俊が言った。

「今の光は? ラートン隊長がブチ切れたとか?」倫が目の下のクマには不似合いな、うれしそうな口調で言った。

「いや、違うな。隊長はあそこだ。血まみれだぞ」

 俊が遠慮など微塵もなく、地面に転がるラートン隊長を指差した。

「ハリルも倒れてる」倫もまた、野外で治療を受ける、気を失いかけたハリルを指差して言った。






 白い光からずいぶん遅れて、二人の少女がそれぞれ一本ずつの杖を手に魔女が辿ってきた道を歩いた。多数の死者が道しるべとなり二人を導いた。

「ひどい」

「ひどいよ」

「何度見てもひどい」

 二人は両目から涙を流していた。

「ほんとうに」

「悲しい」

「いつかこういう光景を見ない日が来るかしら?」

 道端に二度と動かない人間と、それを抱きかかえて泣き叫ぶ者がいた。

「あなたと一緒ならなんとかがんばれそうな気がする」

「そうよね。今までもそうして乗り越えてきた」

「大丈夫」

「わたしたちは大丈夫」

 戦闘が始まったタイミングで行き別れたのだろうか、お互いの無事を確認して抱き合う者たちもいた。

「今度も大丈夫だった」

「これからもうまくいく」

 レナとセナ、二人の両足は、小さな傷に覆われて血が滲んでいた。

「夏季と六季」

「変化点」

「きっとそう」

「何かが変わる気がする」

 二人は足を踏み出すたびに顔をしかめるようになった。

 ちょうど、人を乗せて運んでいる荷台がすれ違った。ハリルが青白い顔で目をつむっていた。その隣ではラートンがやはり横たわり、しかし目は開いて空を眺めていた。周囲の人間が慌ただしく処置を続けている。

「実現するといいなあ」

「でもね、セナ。わたし思うの」

「なあに、レナ?」

「同じくらいの回数、幸せも目にしてきた」

「うん、わかる」

 ときおり、二人を指差して驚いている人間もいた。二人はそんな人々に微笑み返し、手を振った。

「だからこそ何度でも乗り越えていけるのよ」

 やがて、ずいぶん時間が経ったころ、前線の地にたどり着いた。そこには何人もの、見知った顔があった。

 夏季と六季が抱き合っていた。倫と俊、カイハと哲は、他の兵士たちとともに敵兵に縄をかけていた。パパスが兵士たちに大きな声で指示を飛ばしている。そのすぐ横で哲や、アレモも兵士たちを励ましている様子だ。イルタは地べたに座り込んだウォローに優しく語りかけている。

「魔女リカ・ルカは滅びました」二人のどちらかが言った。

「わたしたちの勝利です」もう一人が言った。

 不思議なことに、二人の声など皆に届くはずもなかったのだが、一瞬で国中が静まり返った。そして皆がその言葉を聞き取った。

 二人の容姿はほとんど同じ。どちらがどの言葉を発したかなど、誰も何も気にしなかった。

 歓声が国中で鳴り響いた。





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