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亡き人の志「刺客」




 哲と倫と六季の三人は寝る間を惜しんで進行し続け、荒野を馬でひた走っていた。

「ああー、もう!」

 哲が唐突に叫んだ。

「どうした? お尻が痛いの? ついに休もうか? わたしは痛いけど」倫がまくし立てた。

「そうじゃない。もう、言おうと思って」哲が意を決したように、吐き出すような口調で言った。

「なんだ、トイレか」倫がぼそっと言った。

「言わない方がいいと思っていたんだけど……」哲が倫の言葉を無視して、言った。「風を送れば夏季の翼に触れるような感覚があったのが、もう何日も前から手応えがないんだ」

 それを聞いた六季が顔を歪めて歯を食いしばった。

「そんな深刻な話をなんでもっと早く言わなかったの?」倫がじろりと横目で哲を見た。

「気落ちするだろ」明らかに項垂れている六季の方を見やる哲。

「わたしたちにも何があるかわからない。ましてやここは隠れる場所のない荒野なんだし」

 倫が気を引き締めるようにして言った。

 なにか素早く動く物体が倫の頬をかすめ、反射的に倫は馬の手綱を引っ張った。驚いた馬が横に逸れ、倫が「わっ」と驚きながらなんとか落馬せずに持ちこたえた。

 続けざまに、飛翔してくるものがあったが、それらは一行に到達する前に、突風に煽られて地面に落ちた。カラン、カランと軽い音を立てるそれは無数の矢だった。

 倫が馬を止めて後方を振り返ると、哲の周囲を突風が渦巻いている。哲が矢を止めた様子だった。

「助かったわ。ありがとう」倫がホッと息をついて言った。

「また来た!」哲がこれまで脇目も振らず進行していた方角を指差した。それは味方からの温かい出迎えではなく、あろうことか敵襲だった。

 倫が突き出した手からツタの壁が織り成した。猛スピードで美しく編み込まれた鎖帷子のようなものが瞬時に一行を囲った。何本かの矢は壁の隙間に突き刺さったが、ほとんどが再び地面に落ちた。

「追っ手なのか?」植物の壁の中で、哲が焦った様子で言った。

 今度は頭上に矢が降り注いできた。倫の植物が生い茂って屋根を作るのと、哲が小ぶりな竜巻を起こしたのはほぼ同時で、頭上ではゴウゴウという風の音と、屋根にコンカン当たる音とが混ぜこぜになった。

「いいや……方角としてはセボから来たと考えていいと思うわ」倫が言った。

「なぜわたしたちを襲う? 偶然見つけたから?」と六季がつぶやいた。

「それとも……気付かれたかしら」倫がぼそぼそと言った。

「なんだ? なんかあるのか?」哲が倫を見た。倫は柵の隙間から外の様子をじっとうかがっている。

 何頭いるのか、馬の足音がどかどかと聞こえ、地面の振動もあった。

 編まれたツタの隙間から見える様子だと、四方はすっかり囲まれているようだった。

 ブンと音がして、一瞬後に熱を感じた。柵は燃え上がった。壁の根元に火種を打ち込まれたようだった。

「くそ。防火仕様にするべきだった」倫が悔しそうに言った。

 火に囲まれた熱さに焦り、哲が手を突き出して風を起こす素振りを見せた。

「哲、何もしないで」

 倫が哲を制した。以前、俊が繰り出した炎に哲の突風がブレンドされて、城下街一帯を火の海にしそうになったことを倫はよく覚えていた。

 倫は手を振り下ろした。三人を囲んでいた植物の壁は炎と共にぐずぐずと崩れた。

「どうするんだよ、倫」哲が小声で言った。

「わたしが力を使えば……」六季が敵を睨みつけて言った。

「六季さんは攻撃しないで」倫が釘を刺すように言った。

「もうカイハの邪魔はしない」六季は腰の辺りに手を伸ばした。「『氷』がだめでも剣ならば力になれる」

 剣を抜いた六季が馬を走らせて、男たちに向かっていった。まだ炎の上がっている柵の残骸をひらりと馬で飛び越えた。

 相手が一斉に弓矢を構え、解き放った。その矢はすべて六季に向かった。

 六季は向かってくる矢をすべて剣でなぎ払い、敵陣に乗り込んで切りつけていった。

「おいおい」

 哲は驚き、おろおろと言った。

「あの危なっかしさは性分ね」倫も呆れ、顔をしかめた。

 しかし敵の数が多かった。馬の足を切りつけられた六季は、傾いた馬から落ちた。

 倫が悲鳴をあげた。哲が馬を走らせるが、すでに二、三人の男たちが六季の頭上で剣を振り上げている。

 倫と、哲の横を何本かの槍と、火のかたまりが飛んでいった。槍は六季のそばにいる人間や馬に突き刺さり、六季に向けられた剣はその者の手からするりとこぼれ落ちた。蛇のような形をした炎が、敵陣にとぐろを巻き、蹴散らした。

 哲はすかさず手をかざして、竜巻を起こした。炎の竜巻は地獄の様相で刺客を散り散りにした。






「間に合ってよかった」カイハが馬の足を遅くして、近くまでやってきた。

「俊。それにバトルスさん?」哲が、俊やカイハと共にいる男たちに言った。

「また会ったな」シーマ・バトルスが、哲に向かって言った。口調は快活だが、顔つきは笑顔はひそめて引き締まっている。

「助かったなんてもんじゃないわ……」六季を介抱する倫は、ヘナヘナと地面に座り込んだ。六季は腰をさすっているが意識ははっきりしているようだった。

「すべてはシエ王子のためなり」シーマが尊いものを見るような眼差しで遠くを見つめて言った。

 哲と倫は顔を見合わせた。

 これが、噂のラートンへの片想い。

 倫の表情が途端に和らいだ。

「『使い』と会えて光栄だ」シーマが倫に目配せした。

「こちらこそ。ラートン隊長からお噂はかねがね……」倫がわざとらしく頭をへこへこと下げたので、哲は軽蔑のまなざしで倫を見ていた。

「とにかく無事みたいでよかった」俊が皆を見回して言った。

「あんたがいてよかったと思ったのは舞踏会の時以来だわ」倫が俊に向かって手を差し出した。「ありがとう」

「お前に素直にお礼を言われるまでにこんなに時間がかかるとはな」俊が呆れ顔で言った。そして倫の手を握り返した。

「おかげさまで。でも……」倫が少し目線を落として言った。「今ので柵が弱ったかもしれない」

「柵って……セボの光の壁のこと?」カイハが口を開いた。

「そうよ。保険だったのよ。わたしたちがセボを離れる代わりの盾の役割のつもりだったのだけれど」

「まだラートンがいるさ」俊が言った。

「間に合ってくれればいいんだけど」

 倫がふと、セボのある方角に顔を向けた。

 みな、同じ方向を見ていた。






 魔女リカ・ルカの眉がぴくりと動いた。

「今だ! 突撃!」

 魔女の突然の司令に一瞬静まり返ったが、次の瞬間、軍隊は雄叫びをあげながら壁に突進した。

 壁に触れるや否や消し飛ぶ者、ばかりではなかった。柵の一部は崩壊し、群衆がなだれ込んだ。

「来やがった! 前進だ!」驚く兵士たちの中で、ハリルが裏返る声で叫んだ。ハリルは騎馬隊の先頭をきって走り出した。

 武器を持った集団がぶつかり合った。雄叫びは叫び声に変わり、バタバタと人がもみ合い倒れていった。

「倫かラートンがやられたのか?」一人、二人と切り倒したアレモが言った。

「魔女がそう叫んでいたもんな。でも、ぜんぶの柵が壊れたわけじゃない」イルタも無数の敵を次々に倒し、背後を狙った相手も振り向きざまに切り伏せた。

 そして二人は言葉を切った。みんな無事でまた会いたい、心の底の想いは同じで、それは言葉にしなくとも、お互いにわかり合っていた。


 ザザザザというさざなみのような音と、透き通るような水滴の音が、その場にいる者たちを混乱させた。

 なぜ水の音が?

 きょろきょろと見回す人々の頭上を白く輝く鱗がキラキラと宙を舞った。

 まず目に入るのは無数に生える牙だった。巨大な口を目一杯開いた白い龍は壁を破って侵入した群衆をまるごとばくりと食らった。

 その直後、白龍の身体の上を一頭の馬が水しぶきを上げながら軽やかに駆けた。すべての喧騒をひらりと飛び越え、ハリルの目の前にストンと軽やかに着地した。

 馬の背にはラートン、そしてその後ろに夏季が乗っていた。

「粋な登場しやがって、憎たらしいやつだな」ハリルがラートンを指差して笑った。

「急いで来ただけだ」ラートンが眉間にしわを寄せて言った。

「間に合わなかった?」夏季が壊れた壁を見て言った。

「いや。そうとも限らない」

 ラートンの言う通り、壁のほとんどはまだ形を保っているようだった。

 ラートンの言葉に応えるように、白い光がいっそう力強く天に昇った。

「そんなばかな。こんなに早くたどり着くはずがない」魔女リカ・ルカが後ずさった。「なぜだ? お前たちはあの山もろとも崩壊したはず」

「バカ息子に余計な力を残すからだ。夏季が貴様と同じ翼を持っていたんだよ」ラートンが声を荒げた。

 リカルカは目を見開き、口を開いたがぱくぱくと動くばかりで言葉はなかなか出てこなかった。

「ジョン?」やっとのことで、その名を口にした。

「そうよ。父の力は十分に利用させてもらったわ」

 夏季が力強く言った。

「ククク、ハハハハハ! それはとんだ誤算だ。認めようじゃないか」リカルカが豪快に笑った。

「こうなればもう我らが攻めるだけじゃないか、ええ? どこまで持ちこたえられるかな? 戦争の始まりだ!」

 魔女が杖を天に掲げると、濃い紫色の雲がもくもくと頭上に広がった。何本もの雷状の光が地上に降り注ぎ、白い光の壁を襲った。何箇所かに大きな穴が空き、周囲にいた人々が消し飛んだ。

「『純白』!」ラートンは長剣の切っ先を魔女のいる方向に突き出した。魔女は仰け反り、天井の雲は薄くなった。光の壁はすぐに、ぐずぐずぐずと、開いた穴を塞ぐように修復を始めた。

「他の『使い』は?」ラートンが肩で息をして言った。

「カイハの伝書で無事は確認できている。援軍を引き連れて戻るとのことだ」ハリルが答えた。

「魔女をセボに入れてはならない。全力でここを守る」ラートンが長剣の切っ先を魔女の軍勢に突きつけた。

 セボの兵士たちは再び沸き、修復を続ける壁の隙間からなおも漏れるように侵入してくる敵の軍勢を片っ端から倒していった。






 壁に一斉攻撃が仕掛けられた。しかし刃物も火器も、効かないようだった。その上白い光に触れると消し飛ぶか負傷するかで、その間に壁は少しずつ、少しずつ勝手に修復している。

 ラートンの攻撃を受けたためか、魔女は少し下がって控えているようだった。それでも離れた場所から見える魔女の様子は、何事かをぶつぶつつぶやき、杖から手を離さない。

 我慢比べのような状態が続いたまま夜を明かしていた。壁の内側では兵士が交代で対応した。自警団のメンバーが中心となり城下街の住人が食料や物資を運んでいた。壁の外の軍勢は休息を取っている様子はないが、時折魔女が杖を振ると、うな垂れた頭がいくつも起き上がった。

「あの植物は一体なにでできているんだ?」アレモが腰を下ろした。交代とばかりに手を合わせて叩くと、イルタとウォローが代わりに前線に向かった。夜間ずっと続く攻防とあって、他の兵士たちも入れ替わり立ち替わり順番に休息を取っている。

「倫に聞かないとわからないが、聞いたところで理解できないかもな」ハリルが言った。

「おそらくなにも効かないようにあらゆる性能を詰め込んでいる。修復に時間がかかる理由はそれだろう」とラートン。

「しかし守られているだけではいつまで経ってもこの状態が続くぞ」とハリル。

「現状この柵の中にいるのが得策なのでね」シエ・ラートンが水を飲みながら言った。「城下街の様子は?」

「自警団が残党の掃討の最中です。パソン議長が見守り役です」アレモがすぐに答えた。

「一人残らずでないと意味がない。柵の中で勢力を拡大されたら厄介だ」ラートンが言った。

「それにしても」夏季が壁の向こうを眺めながら言った。「後から、後から軍隊が湧いてくる。それほど敵は規模が大きいの?」

「魔女が操っているのか、エネルギーを注入しているのか知らないが」ラートンがつぶやいた。

「ひでーもんだな。人を人と思っちゃいない」ハリルがタバコをくわえながら言った。

「死人だ」ラートンがつぶやいた。

「なんだって?」ハリルが聞き返した。

「俺の力が効かないモノが紛れている」ラートンが言った。

「お前さん、さりげなくなんかやってるんだな。さすがだな」ハリルがひゅうっと口笛を吹いた。「座ってばかりだからなにサボってやがると思っていたんだが」

「リカ・ルカも同じだ。かなり力を抑えている。大量の群衆を操ることに集中しているのでは? こちらも牽制する程度だ」ラートンが生真面目に答えた。「副隊長こそここで何をしている?」

「俺はな! これが初めての休憩なの!」ハリルが唾を飛ばして言った。

「見ていなかった。それはご苦労」ラートンがにこりともせずに言った。

「日頃の行いだよな」アレモがぼそりとつぶやくと、ハリルがアレモの頭をはたいた。

「この変な匂い……気にはなっていたけど……」

 夏季はそう言って口元を抑えた。ルゴシク山で対面した父親の灰色がかった肌の色を思い出していた。

「死人、ね」ハリルがしかめ面をした。

「操られた死人には、直接攻撃をしなければ効かない?」夏季が言った。

「そう。壁を出て戦うか、魔女を倒すしかない」ラートンが言った。

「あれを見ろ」ハリルが、ハッとしたように、ツタの壁の破られた辺りを指差した。

 ツタが新芽を吹くスピードが明らかに上がっていた。ざわざわざわと、新緑が伸び、からまり合い、壁を成していく。

「倫が近づいているんじゃないか?」ハリルが笑顔になった。

 さらに柵の修復スピードが上がった。

「倫が来たぞ!」ハリルの一声で、壁中の仲間たちが雄叫びを上げた。

 朝日を背景に、土煙を伴い馬で駆けてきたトラル人の軍勢が、死人の群れをなぎ倒していった。魔女の軍勢はざわめいた。

「いいぞ! 敵は壁で行き止まりだ!」ハリルが歓声を上げた。

「トラル軍が追い詰めたら壁内から敵を突き刺せ!」ラートンが兵士たちに向かって叫んだ。


 自警団の女性たちは、食料をかかえて兵士団への差し入れを運んでいる最中だった。どこからなにが降ってくるかわからない状況ではフードをかぶることで少しでも我が身を守りたい思いだった。黒いフードは魔女の手先を思わせるため、色とりどりの布地で頭を覆っていた。その中の一人はなぜだか周囲から浮いて見えた。少しばかりフードが大きいのと、背が高いからだ。

 アレモも、ハリルも、少しだけ違和感を感じてその人を見たものの、何がおかしいのかがわからなかった。ちょうど水がめを台に置いたところで、その人は懐に手を突っ込み、何かを両手に握りしめて取り出した。

 すると突然猛スピードで走り出した。倒れこむのではないかと思うほどに前かがみで走っていくマントの下からは囚人服のズボンが見え隠れしており、向かう先は……

「シエ! 危ない!」ハリルが叫んだ。

 ラートンが振り向いたと同時に刃が突き立てられた。

 ラートンの胸のあたりから血が滴る。

「俺はキムだ。覚えているか?」

「貴様」声を絞り出すラートンの口の端から血が垂れていた。

 腰にある自分の剣を抜こうとしたラートンを、背後から女が羽交い締めにした。

「ダメでしょ。おとなしく倒れるのよ」淡い金髪はボサボサだが、それでも朝日にキラキラと輝いていた。「いいお顔してるのに、ごめんね!」

 ラートンの身体から力が抜けて、ズルズルと、地面に横たわった。

 ラートンが睨みつけると、ベルナが高笑いして仰け反り、後方に倒れた。ベルナは頭を地面に打ち付けてそのまま動かなくなった。

「貴様の力は『黒』に対しては有効だが。俺のように普通の人間としてひたすら恨みを抱く人間には何の役にも立たないようだな」

 キムは言い捨てた。

 そして周囲のセボの兵士たちの剣や槍でメッタ刺しにされ、こと切れた。


 壁内から突然、悲鳴や怒号が聞かれた頃、魔女リカ・ルカが、うずくまり、身体を震わせていた。従者たちは心配した様子で魔女の顔を覗き込もうとしている。魔女の口からはうめき声のようなものが漏れ聞こえていた。

「リカ・ルカ様」

「大丈夫ですか?」

 ギャハハハハハッと笑い出した魔女はバサッと起き上がって天を仰いだ。その勢いに従者たちは驚いて尻餅をついた。

「よくやったぞ、キム」魔女は感嘆している様子だ。「手間が省けた」

 白い壁が消失して、軍勢が一気になだれ込んだ。白い光を失ったツタの壁は踏み倒された。





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