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亡き人の志「失速」



 哲が作り出した「追い風」の効果は抜群で、旅程はすいすいと進んだ。眼下の風景からラートンがおおよその現在地を把握して、夏季に進行方向を指示した。

 夏季は時折意識を失いかけた。それは疲労のためというよりも、手に余る力が彼女を支配しようとしており、それと闘っているためだった。ラートンは夏季の背中に寄り添い、彼女の様子をよく読み取って、タイミングを図っては『白』い力を行使することで、夏季を救った。

 しかしそれを繰り返すにつれて『純白』をほどこす間隔は次第に短くなっていった。もうこれ以上は夏季がもたないと判断したラートンは、眼下に緑地が広がったことを確認すると、夏季の意識が薄れていくのをわざと何もせずに地上へと向かうように仕向けた。


 朦朧とした意識の中で夏季はなんとか踏みとどまるようにして飛び続けようとした。自分の体力が尽きようとすることも構わずに、出来る限り遠くへと進むことだけを考えて、羽根を動かし続けた。そのおかげで二人は真っ逆さまに落ちることなく、転がるようにして地面に滑りこんだ。

 草の匂いが鼻をついた。

 ラートンは顔を上げた。頬には草が何枚もへばりついている。少し向こう側に夏季がうつ伏せで寝ていた。自分の身体に大きな怪我がないことを確認してから、夏季の方に静かに這っていった。彼女の肩を揺さぶるが、目は閉じたままだ。口元に手をやると、寝息のように穏やかな息を感じ取れた。それでラートンのこわばった肩から少し力が抜けた。

「純白」

 ラートンは静かに唱えた。相手の肩を掴む彼の手から暖かさが伝わっていき、夏季は白い光に包まれた。背中から生えて、地面にはたりと降ろされている巨大な黒い翼が、端の方からチリチリと、空気の中に消えていった。身体中の黒い痣も次第に薄くなっていった。翼を失い、目を閉じた夏季はラートンの腕の中にあった。背中には生々しい大きな二つの裂傷があり、サラシが血に染まっている。その痛々しい身体には不釣り合いなほど、顔は穏やかだった。

「生きている」

 ラートンは深く息を吐き出した。

「あとは任せろ」

 夏季の身体をそっと地面に横たえた。


 近場に小さな沢があった。二日も経てば夏季は起き上がることができたが、足元はまだ覚束ず、ラートンが水を汲みに行った。

「ごめんなさい」

 夏季は謝り続けていた。不甲斐なかった。決意のもとに飛翔したものの、目的地にたどり着くことはなく、むしろ自分のせいで足止めを食らっている。

 夏季の謝罪に対してラートンは、肯定も否定もせず、なぐさめの言葉をかけることもしなかった。ただ無表情で「うん」とか「ああ」とだけ適当な相槌を打ち、あとは日々を生きるのに必要なことを夏季の分まで一人で淡々とこなしていた。

 わたしのことなど放り出してセボに向かいたいだろうに。

 しかし当のラートンに焦る様子は微塵もなかった。もちろん、怒っている様子もなかった。


「こうなることはわかっていた」ある日、ラートンがぽつりと言った。

「なんですって?」夏季が聞き返した。

「君のそのおかしな力はおそらく父親から遺伝したものだろう」

 夏季はラートンの横顔をぽかんと見つめ、自分の両手を見下ろしてから、やがて顔を上げて口を開いた。

「わたしの父親は『闇使い』のクロ・アルドよ。あなたと同じ『黒』に対抗できる力を持っていたはず。むしろああいった『黒』い力を持っていたと考えられるのは、リカ・ルカの息子であるジョン・ルカでしょ?」

「魔女や六季の話や、先日目撃したゾンビ版クロ・アルドの様子など、様々な事柄について考えると、クロ・アルドはもはやジョン・ルカと一心同体だという結論になる。クロ・アルドが君の父親となった瞬間、既に彼はリカ・ルカの手に掛かっていて、一部の人格は彼女の力を受け継いでいたのでは……? そうとしか考えられない」

「なに、つまり、わたしはリカ・ルカの血を引いているって言いたいの?」

「そうとも言える」

「意味がわからない。お母さんが愛したのはクロ・アルドなのよ。それがいつの間にかジョン・ルカにすり替わっていたっていうこと?」

「母親の知らないところで、な」

「バカみたい。なによそれ。ありえないでしょ」

 夏季は怒っていた。ラートンは悪くない。しかしどこに怒りをぶつけていいのかがわからない。怒り顔はやがてくしゃくしゃに崩れ、膝を抱えて泣いた。

「泣いてばかりだな。無理もないが」ラートンは少し投げやりな様子だった。

 夏季は一層大きな声で泣いた。顔は上げない。

「不幸だな」ラートンがぶっきらぼうに言った。

「本当にそう思う」夏季は奥歯を噛み締めた。それからきりっと顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。しばらくしゃくり上げた後で、再び口を開いた。

「でも不運ではない。こうして少しは役に立てた」夏季は睨みつけるようにして言った。

 夏季の思いがけない言葉にラートンがうつむき加減だった顔を上げた。

「その通りだ。君のおかげだ」ラートンの口調には微かな明るさすら感じられた。

 夏季もまた、相手の言葉に驚き目を見開いた。

「言っただろう。俺たちが遅れてもそう簡単に城は陥落しないだろうと」

「……何を言っているのかわからない、ちゃんと説明してちょうだい」

 夏季は苛立ちを隠そうとしなかった。






「ドクラエをめぐる冒険から帰還したときに、倫が作り上げていた『柵』のことを覚えているか?」

 ラートンの言葉に、夏季はこくりとうなづいた。

「まだあれが機能しているとすれば。そう簡単にやぶられはしないだろう。魔女の軍勢もあの柵の手前で立ち往生するはずで、それで幾日か稼ぐことができる」

「そうか。だから倫はセボの近くに行かなくてはと言っていたのかも」

「そして今俺たちがいる場所についてなんだが、君ががんばったおかげで旅程の七割程度は終わっている。最も厄介な河や峠、それに退屈な荒野はすでに越えているから、あとはひたすら轍のある道を進むのみ。二日もあればセボに到着するだろう。あとは祈るだけだ」

 ラートンの言う七割というのがどの程度の道のりなのかが、全体の旅程を詳しく把握できていない夏季には判然としないが、少なくとも半分は超えているのだからかなりの距離を稼ぐことができたらしいということは理解できた。少しだけ希望が湧いた。

「何に祈ればいい?」夏季がラートンに尋ねた。

「仲間に、だ」ラートンは焚き火を棒で突きながら言った。

 そうだ。わたしたちにはたくさんの仲間がいる。

 夏季は膝の上で両手を組み合わせて目を閉じた。


「こんばんは」

 茂みの中から遠慮がちな声が聞こえた。夏季が驚いて振り向くと、そこには二人の男の姿があった。

「夏季。だいぶよくなったみたいだな」

「テラ。テラなのね?」

 その名を呼ぶには相手はあまりに精悍な顔つきだと感じられたが、確かにあの少年の面影があった。

 まだ『水使い』としての力が夏季になかった頃。今は亡きオスロ師士が遣わした村に、テラは住んでいた。訳も分からずに『水使い』だと村人たちに祭り上げられた挙句、今度は偽物だというレッテルを貼られてつらい想いをしていた時に、彼だけは幼いながらに夏季を信じて手を差し伸べ、やがて彼女の力の覚醒を誰よりも喜んだのだった。

 テラと一緒にいる者は彼の兄だった。なにやら申し訳なさそうな顔で、頭をへこへこと下げている。

「先日は失礼しました。あなたの言葉で目が覚めた……。いや、さすがはセボの軍師だ。わたしは自分が恥ずかしい」

「兄さんは悪くないんだ。ちょっと真面目すぎるだけで、そして村への愛が強い」テラが兄の前に割り込み、眉根を寄せて話した。

「わかるさ。少なくとも言葉が通じたのだから問題ない」ラートンがフンと鼻を鳴らした。

 なんの話をしているのだろう? 夏季は首を傾げた。

「ラートン隊長。差し入れです」テラが食料の入ったカゴをラートンの方に差し出した。

「ありがとう。馬は準備できそうか?」

「もちろんです。明日の朝にでも連れて来ますよ」テラの兄が明るく答えた。

「夏季。あと少しでセボだったんだ。君は本当にがんばったな」テラが夏季に笑顔を見せた。

「そんなことないよ。本当なら、とっくに着いているはずだったのに」夏季の顔に影が差した。

「ラートン隊長がそれでいいと言っているんだから、自信持てよ!」テラが笑い飛ばした。

 ずいぶんえらそうになったものね。こんなに生意気だったかしら?

 夏季は苦笑いを返した。そして気になったことを口にした。

「村は大丈夫なの? おばあさんや、村長さんはお元気?」

「こんな辺境には魔女なんか目もくれないさ」テラがからりと答えた。

「そうだな。『水の洞窟』の狐が消えてからは特に平和だ。あんたのおかげだよ」テラの兄が頭を掻いている。

「なら、よかった」ずいぶん持ち上げてくるテラの兄を怪訝な顔で見てしまう。

「とはいえ、もしも魔女が村に興味を持ったらひとたまりもない。気を引かないうちに、我々は明朝、出発しよう」

 ラートンがぽつりと言った。

「そうね。そのとおりだわ」夏季も頷いた。

「世話になったな」ラートンがテラに言った。

「夏季のためさ」テラが拳で胸と叩いて見せた。







 まだもやが残る夜明けの頃に、テラが二頭の馬を連れてやってきた。

「また助けてもらっちゃったね」夏季が舌を出した。

「いいんだよ。何回でも助けてやる」テラが頭を掻いた。

「頼りになるなあ」夏季がぼそっと言った。

「どうか無事で」テラが悲しげな微笑みを浮かべた。

「また遊びに来るから」夏季も切ない表情を返した。

「きっとだよ」

 テラが差し出した手を夏季が握り返した。

 テラの住む村の者たちの多くが水の運搬を生業にしている。テラの生家も例にもれず、水を運ぶ牛の手綱を引く生活をしている。握り返した若い彼の手はすでに豆だらけだ。

 本当によかった。

 彼らの生活を奪った偽物の「水使い」を退治したことをわたしは誇りに思う。

 その事実が彼女を奮い立たせる。


 馬の背に揺られて低い木々の間を抜けると、どことなく見覚えのある風景だと気付いた。

「ここは……テラの村のすぐ近くだったのね」

「わかっただろう。つまりセボはすでに目と鼻の先ということだ。君はここまで飛んできた」

「知らなかった。まさかそんなそばまで来ていただなんて。テラがいるのも偶然なのかと思っていたから」

「気づかなかったのか? 以前ここに来たのだろう?」

 ラートンが眉を上げた。

「来たことあるって言ったって……。ただの茂みの中でわかるわけない。ラートン隊長じゃないんだから……」

 夏季が憮然として言った。同時に、一瞬見せた兵士長らしい顔に、少しだけホッとした。

 責められて喜ぶとは、わたしはだいぶ疲労しているらしい。夏季は自分の身を案じた。

「テラ。わたしのことを怖がらなかった」

 テラの口ぶりからすると、ラートンが事情を話した様子だった。おそらく飛んでいるところを村人に目撃されたのだろう。悪魔の羽を持った夏季を見て、一体どう思ったのだろうと、気になった。

「信じてると言っていた」

 ラートンはただ、ひとこと、そう言った。

 きっとまた以前のように、テラが兄や村人を説得したのだろうか。きっとそうだ。だから彼の兄が少し情けない顔を見せたのだろう。夏季ははじめてテラと交流したときのことを忘れられない。必死で夏季のことを「本物の『水使い』だ」と言い張る健気な少年の姿が目に浮かぶ。あの大きくなった身体でまた同じように言ったとしたら、微笑ましくも少々滑稽ではないだろうか?

 それから夏季は、テラの兄の言葉を思い出していた。ラートンは、テラの兄に何か説教でもしたのかもしれないな……。

「ラートン隊長。わたしが寝ている間に何があったんですか?」

「大したことではないさ。君もうすうす気づいているだろうが、村人が我々を見つけた。その後は想像がつくだろう」

「わたしをかばってくださったんですね」

「君の行動を知って責める者などいるはずがない。そう思ったから俺はありのままを語っただけだ」ラートンがそっぽを向いて言った。なぜか少し素っ気ない。

「そう……ですか」夏季は耳が熱くなるのを感じた。

「なぜ君はそこまでセボのために行動できる?」

 ラートンが前方を向いたまま、言った。

「それは……」

 あなたが大事にしたいものだからわたしもがんばらなきゃと思った

 夏季は喉元からせり出しそうになった言葉を、ぐっとこらえて飲み込んだ。

「負けず嫌いだからです」

「なるほど」

 ラートンは馬の手綱を握り、馬の足を早めた。その横顔は、一瞬だが、頬骨が上がったようにも見えた。

 夏季は胸が締め付けられ、疼いた。

 彼と二人でいつまでもこうして歩み続けたい。

 他愛なく必要なだけの会話をとつとつと。

 それだけでわたしは幸せだ。

 夏季は強く首を横に振り、それからラートンの背中を見据えて、甘い考えを捨て去った。





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