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ルゴシク山「溶解」



 焼け焦げた植物の破片が地面に散らばり、チリチリとくすぶっている。燃えかすや煤が宙を漂い視界はおぼろげだった。

「よってたかって総攻撃とは。品がない連中だこと」

 リカ・ルカの身体がしゅるると縮み、腰が曲がって顔がシワシワになった。ぼろぼろでほこりまみれのマントに顔をすっぽりと覆われて、中から、むせび泣いているような、奇妙なうめき声が聞こえてくる。やがてその声は笑い声に変わり、しわがれ声がどんどん大きくなり、豪快な高笑いとなった。縮んだはずの身体はふたたびぐんぐん大きくなり、顔からシワが消え、美しい濃紺のマントをまとった背の高い初老の女性へと変身した。

「老人相手にそのざまだ。恥を知ったほうがよい」


 倒れ込んだ地面の砂利に擦れる脚や握りしめる土の感触が妙にはっきりと感じられるのが不愉快だった。

 土煙の向こう側に、自分と同じように何人かが倒れているのがわかる。

 かすかに動いている者もあればぴくりとも動かない人間もいるようだった。

 爆風で地面に叩きつけられた鋭い痛みとは別に、チクチクと針を刺すような背中の痛みはずっと続いていた。

 まずい。よくない。

 爆発の瞬間、防御のつもりで水の龍を出現させてから、背中の痛みがひどくなっている。

 なぜだろう。水の龍はわたしの相棒であり、生命力のかたまりでもある。もしかしたら、守ってくれていたのだろうか? わたしが気付かないうちに、目には映らない何かから。たとえば今背中で疼いている得体の知れない黒い力から……。

「夏季」

 カイハは脚を負傷したようで、ほふく前進をするようにして夏季の方に這ってきていた。

「あなたの龍のおかげで少しだけ」怪我が痛むのか、カイハは顔をしかめた。「マシになったはずよ。皆、一応生きてはいるみたい」  夏季は口を開く気にならなかったが、その場で仰向けになり、咳き込みながら頷いた。

「顔色がよくないわ……それはなに?」カイハが夏季の額に目を留めた。「何か痣のようなものが……」

 いよいよよくない。おそらく『黒』の印が現れはじめている。以前の呪いと違うのは、身体に力がみなぎっていること。むしばむのではなく、力を与えようとしている……。

「ねえ、夏季。ちょっと聞いて。あなたがとっさに水の龍で皆を庇ったのと同じように、わたしも多少は防御のつもりで力を使ったんだけど……タガが外れたのを感じたわ」

 カイハのいう「タガ」というのは、前任の『氷使い』と続けてきた、力の綱引きがなくなった、ということを意味していた。

「お母さんはどこ?」夏季の口からは掠れた声が出てきた。

「わたしはここよ」

 六季はしっかりとした足取りで歩いてきた。彼女の背後には、もう一人、いるようだった。一緒に歩いてくる。ひたひた、べちゃべちゃと、まったく軽やかではない、雨の日にぬかるみを歩くような足音だ。そして、ぽたり、ぽたりと、大粒の水滴が地面に落ちる音もずっと続いている。

 六季の顔は清々しい。これほど明るい顔つきの母親をかつて見たことがあっただろうか。しかもこの、味方が全員地に付している、絶体絶命の局面で。何か明るくなる要素がひとつでもあっただろうか? 夏季の背筋には寒気が走り、肌は粟立っていた。

 六季はスタスタと歩いてくると、地面に寝転んでいる夏季の方をまっすぐ見て、仰々しく両手をゆっくりと広げて、言った。

「夏季。紹介するわ。あなたのお父さんよ」







 倫は目は覚ましているようだが、まだ地面に横たわっており、俊がよろよろとそばに寄って様子を見ていた。

 ラートンは膝に手を置いて、ようやく立ち上がったようだった。額に傷を負ったようで、袖で血を拭っている。

「夏季。お父さんに会えるわよ!」

 六季が満面の笑みで洞窟の中から現れた。

 この戦況で何を言い出すのだろうかと、夏季は恐怖を感じて、後ずさった。

「お母さん……今まで何してたの……」そしてようやく声を絞り出した。唇が震えた。

「お父さんを連れてきたわ。凍らせておいたのよ。いつか迎えに来ようと思って。ねえ、信じられる? 凍らせたときはね、死んでいたの。でもね、今氷を溶かしたら、生きているのよ! わたし、感激しちゃった!」

 六季の背後に人影があった。水分でべったりとしているが、少しくせの強い黒い髪の毛は毛先がピンピンとはねている。頬は真っ白だった。カイハの肌だって透き通るように白いが、それとはまったく違う。灰色がかかっていて、まるで死人のようだった。そして、肌の色を除けば、ずいぶん若いように感じられた。自分と同じくらいの歳のように、夏季は思った。父と呼ぶにはあまりにも幼い。


「感動の再会を、存分に楽しむんだな」

 しわがれ声に、皆が振り返った。崖から、リカ・ルカが飛び降りるところだった。

 一瞬、皆が驚愕の表情になったが、すぐにリカ・ルカは、黒い翼をはばたかせて、ひいひい笑いながら、空を飛んで行ってしまった。  巨大な蝶々を模したような形の大きな翼だった。

 夏季は血の気が引くのを感じた。

 リカ・ルカの背中にあった立派な黒い翼を見て、背中が疼くのだった。

 わたしの背中にも、同じものがある。

 夏季は確信した。


「これが、俺たちの娘?」

 六季が夏季の父親だと主張しているその細身の男が、薄ら笑いを浮かべて、ふやけた手を夏季の方に差し伸べた。  よろよろと、ラートンが夏季の前に歩み出て、男に向かって長剣を構えた。

「なんだお前は。俺の娘の何だ」顔色の悪い濡れそぼった男の目つきが鋭くなり、凄んだ。

「こいつはクロ・アルドではない」

 ラートンは男の言葉を無視して言った。その背後で、夏季が顔を横に振りながらじりじりと後ずさる。

「クロもシエくんも、なに言ってるの。初対面で喧嘩とかやめてよ」六季がご機嫌で喋っている。

「お母さん……。その人、お父さんじゃないよ……」夏季が少しずつ後退しながら、震える声で言った。

「夏季、どうしたの。会いたかったでしょう、お父さんに。感動の対面なんだから、もっと笑いなさいよ」

 六季はすこし苛立っている様子だ。

「夏季のお母さん、ちょっとイっちゃってるわね」倫が地面から土まみれの顔を上げて言った。

「いい目覚ましになるだろ」俊が倫の手を取った。俊も全身が汚れて、あちこち傷だらけだった。

「予想以上だわ」倫は身体を起こし、腰のあたりをさすった。

「まさか、そのためにセボにやってきたの?」夏季は後退するのをやめて、母親に語りかけた。

「そうよ。ずっと機会をうかがっていた。じっと待っていればその時がくると信じて……」六季は祈るように目を閉じて、安らかな笑みを浮かべて言った。

 夏季は目を見開いた。

「まさか……」夏季は額に手を当てた。そして首を横に振った。「リカ・ルカの息の根を止めなかったのは、そのためだったの? ここに来られる口実を、つくるために」

「意図したわけじゃない。無意識だったのよ。それにまさかあなたが『呼び寄せ』されるとは思っていなかった。信じていたわ。ただそれだけ。いつかきっと、クロに再会できることを。たとえそれが亡骸であっても。でもね。生きていたわ。生きて、わたしを待っていてくれた! こんなに幸せなことってあるかしら」

 六季は両手を広げて笑った。天を仰ぎ、ぐるぐると回りながら。踊り狂っているように、見えた。

「どうかしてるよ……」夏季は崩れ落ちるようにして膝をついた。

「でもそのおかげで会えたでしょう? お父さんに」

「だから、あれはお父さんじゃないってば」夏季は顔を上げて叫んだ。涙を流していた。

「あれがお父さんなの!!!」

「そうだよ!! 俺がお父さんだよ!! 泣かないで!!」

 びしょ濡れの男が前のめり気味に走り出した。一直線に夏季に向かっていった。夏季は短い悲鳴をあげて、身をすくめた。

 男とのすれ違いざまにラートンが剣を振った。一歩も動かずに剣を持つ腕だけを素早く動かした。男はすんでのところで夏季に手が届くところだったが、動きが止まり、そのまま夏季の手前の地面にどうと倒れた。

「何しやがるこのくそがき!!」六季が鬼のような顔でラートンに飛びかかった。夏季が間に入り、六季を止めた。

「殺したな! わたしのクロを! ぶっ殺してやる!」

「……お母さん。やめて。やめてよ。殺してないから。だって……」

「ふざけたこと言ってるんじゃないわよ。夏季! パパの仇を討つのよ! ラートンをヤるのよ!」

「もう死んでたのよ……見て……」

 進もうとする六季と、止めようとする夏季、もがく二人のすぐ横に、男の死体があるはずだったが、すでにそれは灰色の塵に変わり果てていた。

「そんな……ばかなこと……わたしは」六季は暴れるのを止めた。「なんのために……ここまで来たのよ……」

「わかっていたんでしょ、本当は」夏季両手で六季の手首を掴み上げ、声を絞り出すようにして、つぶやいた。「お父さん、死んだんでしょ。昔この山で。この場所で」


 六季は大声を上げて泣いた。

 夏季は耳を塞ぎたい衝動にかられた。狂ってしまった母親と、すべての力を意のままに操る魔女と、死んだはずなのに動いた父親のしかばね。どれがもっとも恐ろしいだろう? 夏季にはわからなかった。




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