森「黒い影」
洞窟の階段は予想以上に長かった。上っても上っても、地上の光は見えず、夏季は不安になっていた。
(あの洞窟、こーんなに地下深いところにあったなんて)
そんなところに崖から真っ逆さまに落ちて、よく助かったものだと思わずにはいられない。そう考えると、カイハの驚き方も理解できた。
でも、どうして助かったのだろう。
落ちている間に意識を失ったため、水面に衝突したときの記憶はない。確かめようがなく、不可思議のままだ。
大きなカーブを曲がったところで突然、前方に光が見えた。
「よかった、出口だ」
安心感から、自然と急ぎ足になる。最後の十メートルは駆け足だった。急に階段を駆け上がったため、息が上がった。落ち着いてから辺りを見回すと、茂る木々が日を遮っている。土の上で目覚めたときと変わらない、森の風景だった。
「さて、どうすればいいのかな?」
カイハによれば迎えが来るはずなのだが、人の気配はない。相変わらず森は静まり返り、風がそよとも吹かない。夏季は途方に暮れてしまった。
心もとなさにきょろきょろと辺りを見回して、それから頭上を見上げた。木々の間に透けて見える空には、厚く黒い雲が迫っていた。
五分も経った頃だろうか。時計もなく、時間を知る方法はないから、実際には二分かもしれないし、十分なのかもしれない。空模様はどんどん怪しくなり、雲が日光を遮って、辺りは薄暗くなっていた。
夏季は目の端で、近くの茂みがかすかに動くのを見た。なんだろうと、音のした方向を見る。
もう一度、背の低い木が動いた。
「誰かいるの?」
問いかける。
返事はない。
「いないの?」
無言。
しかし、気配はある。
「……オスロさん?」
覚えたばかりの名を言ってみた。
突然、夜のような闇に包まれ、気温がぐんと下がった。肌に触れる空気は、氷の洞窟にいたときのようにひやりとしている。夏季は背筋に寒気を感じ、茂みから一歩、二歩と後じさった。
茂みの奥のモノは絶えずゴソゴソとうごめいている。無言が夏季の肺を圧迫していく。呼吸が苦しくなり、無意識のうちに胸に手を当てる。自分の心臓の鼓動があまりに激しく、発作でも起きるのではないかと怖くなるくらいだった。
「夏季!」
哲の声だった。近くにいるらしく、背後から近づく足音が聞こえた。
(来ちゃだめ)
直感的にそう思ったが、声にならない。何モノかが攻撃の体勢で身構えているのを感じ取ることができた。茂みの中から哲が飛び出してきて、駆け寄った。
「夏季。やっと見つけた」
哲がぜえぜえと、肩で息をした。
周囲の木々の枝から、真っ黒な手のようなものが何本も何本もにょきにょきと生えていた。茂みの中から黒い大きなものがぬうっと姿を現した。何かのシルエットではなく、それ自体が真っ黒だった。吸い込まれそうなほどの漆黒。
突然の出来事に哲が驚き、目を見開く。二人は息を呑み、その場に固まった。
(もうだめだ)
夏季は絶望した。
視界に光が満ちた。光の白で黒い影が掻き消される。
(何も見えない。今日はいろいろなことが起こり過ぎてる。ここはいったい何なの)
夏季は目を閉じた。