プロローグ「夏季と六季」
私は独り、暗闇の中に立っていた。
辺りを見回しても誰もいない。漆黒の闇だ。
突然、目の前に少女が現れた。
私は驚かない、見知った顔だもの。
「久しぶりね」
私が言う。
相手は微笑んでいる。あどけなさの残るかわいらしい顔の少女だ。
「時が来たのよ」
「え?」
わたしは驚きのあまり、中途半端な笑みを浮かべた。
「六季、時が来た。迎えに行くわ」
目覚めると、自室の天井を見上げていた。安い賃貸アパートらしく、味気のない、白っぽい壁紙。
皺だらけになった布団とシーツ。カーテンの隙間から差し込む淡い陽光。いつもと変わらない、朝の風景だった。
目をこすりながらぼんやりと考えた。
(今の夢はいったい。どうして、今頃あの人が会いにきたのだろう)
答えは出るはずもない。しかし、それでも、どうしても考えてしまう、違和感があった。
「お母さーん、ごはんできてるよ」
別室から、娘が呼ぶ声が聞こえてきた。
「はいはい、起きてるよ。今行く」
ダイニングへ行くと既に朝食がテーブルの上に用意されていた。白いご飯、目玉焼き、そして味噌汁。ご飯のお供は沢庵、焼きたらこ、納豆などなど。
「うん、おいしそう」私はボタンを掛け違えたパジャマにボサボサの頭という実にだらしのない格好で、ニコリとさわやかに笑った。
「もう。何回呼んだと思ってるの? わたしもう行くからね。お皿適当に片付けといてよ。帰って来て洗うから」
「今日はずいぶん早いのね」私は娘が作った目玉焼きに食いつきながら言った。
「当番」娘が一言で答えると、
「そっか」私も素っ気なく返した。
「じゃね、行ってきまーす」
「あ、夏季。ちょっと」
「なに?」
玄関に向かう娘を咄嗟に呼び止めていた。起き抜けの違和感を埋めたいがために。
「……えーと、今日の夕飯、どこかに食べに行こうか」
咄嗟にそう言っていた。
「どうしたの、急に?」
「そのう、ちょっと話したいことがあるから」
私は適当なことを言った。
「ふーん。うん、わかったよ」
不可解な顔をする娘。
「だからね、早く帰ってきなさい」
「そっちこそね」
夏季はそう言って、にやりと笑った。
ドアの向こうに消えようとする娘の背中に向かって私は言った。
「行ってらっしゃい」