閑話 夢の助太刀
私の名は山本 真理。
全日本剣道連盟主催の全日本女子選手権大会で2連覇した後、己の剣が判らなくなり一昨年東京の弓月に負け3位に落ち、強くなりたいとの思いだけで研鑽を続け挑んだ昨年も神奈川の萌子に破れ準優勝だった。
鬼の形相の萌子にも、丸太のように腕の太い弓月にも彼氏がいるが、あのような腑抜けた彼女達に私が負けるなど己が許せず耐えられない。
一体私に何が足りないというのだ。精神か? 技術か? 速さか? 正直、既に私が会うどの指導者も私より弱く、はたから見て貰っていてもこれ以上私に的確に教えてくれる指導者など見つからない。勿論、甘えず己の中で鍛え上げ進むしかないのは判っているがこのまま私は敗れ続けるそこまでの人間だったのだろうか?
連覇など只の一時の偶然がもたらせた『儚い夢』だったのかもしれない。
私はどちらに向かい何を目指せば良いのか? 剣の道が見えなくなっていた。
私の所属する実業団では西園寺財閥に莫大な後援を頂き、中でも私は西園寺財閥の総帥に気に入られ『強くなる為に何でも好きにやれ』と、やらせて頂いているがその見返りにと週に一度西園寺の私立清廉学院中等部と高等部の合同練習の指導を行っている。
まあ、他にも優秀な指導者もいる。私は監督ではなくただの臨時のコーチな訳だがここには見込みのある生徒も多く在籍し、昨年は高等部は全国準優勝、中等部も全国3位とかなり優秀な成績を収めている。
中等部主将の佐伯が話があると聞いたが、子供の全国大会で優勝した九条という生徒が入学し入部させたいのだそうだ。
九条? 聞いたことがあるな。もしかして九条道場の九条 泰久九段の関係者か?
確か九条 泰久と言えば今は老いたりと雖も剣の道で有名を馳せた人物。
なんだと! 九条 泰久の孫で九条流免許皆伝!?
「了解した」
中学に入学したばかりの子供が免許皆伝だと。何をふざけた事を。しかしこれは面白い。訪ねてみるか。
私は早速この日、そのまま九条道場へ向かった。
こんな都会に随分と大きな道場だな。
入口から覗いてみる。
『面~』 パシッ! パン!
おお、いいぞ。随分と元気な道場だな。
あ、あれは、、、。熊本の西村さん!? 男子の全日本選手権大会2連覇の方がなぜこのような道場で指導している。
西村さんがこちらへ歩いて来る。
「確か大阪の山本 真理さんですね。今日はどうされましたか?」
顔が知られていたか。
「こちらに九条師範のお孫さんがいらっしゃると伺って参りました。わたしが指導している中学に入学したものでご挨拶にと思いまして」
「そうでしたか。残念ですがお孫さんの夢美さんは本日はいらっしゃっていません。というか滅多に顔を出して貰えないのですよ」
「滅多に顔を出さない?」
「ええ、師範のお孫さんは学業も優秀で色々と忙しくお手合わせ頂く事も稀です」
「お強いのですか?」
「ええ、師範代のわたしではかないません。もうわたしは剣筋を知っていますから構えられたら近づく事すら憚られますよ。どう攻めても先に打たれます。この道場で師範以外に唯一の名を持つ免許皆伝ですから」
ほ、本当だったのか? しかし、何故練習しない。そこまで強ければ剣道が、打ち合う事が楽しくて仕方ないだろう。
私がそうだった。戦えば勝てる事が楽しくてより強い大人に挑み続けて今の私がある。
いや、待て。子供に西村さんが敵わないだと!?
それは流石に師範の孫であっても盛り過ぎだろう。
「『名を持つ免許皆伝』とは、何という名を頂いているのでしょうか」
「陰流の粋を継いだ九条流皆伝、夢の様に刀を使う『夢刀斎』様です。わたしにはまだ教えて頂けない秘伝も継承していると思います」
夢の様に、、、。
九条流の秘伝!? そんなものがあるのか。
「師範とお話出来ませんか?」
「生憎本日は会合の方に出られてまして、山本さんがいらっしゃったとお伝えしておきます」
「そうですか。練習中にお時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。ではまた」
「はい」
なんという事だ。子供にあの西村さんが手が出せないとは、、、。
身内だからそれも盛っているのか?
秘伝か。それは何か私にとってのヒントになるかもしれんな。
なんとか見る事は出来ないものか?
私は夜、居ても立っても居られず佐伯に連絡してなんとかして武道館まで引っ張って来いと伝えた。
何度か接触したが説得出来ず剣道部に入る気はないらしいが少しは気が引けたらしい。
何度も押すように言ったおかげか中等部で個人優勝している佐伯の真っすぐな気持ちが少しは気を引いたのかもしれない。
ようやく私が指導している日に来ることになった。
私はたかが子供の大会で優勝した程度の新入生が来るだけなのに気持ちが昂り、その日からあまり眠れなくなり夜中まで木刀を振った。
汗を流し昂る気持ちを抑え朝方微睡むと見てもいない子供の『夢刀斎』と戦う夢を見た。
九条が友人と見学に来た。しかし見学して貰っても確かにあまり興味はなさそうだな。
私はコーチという立場を悟られないように学生に紛れ、少し無理はあるが先輩として九条 夢美に接した。
「九条さんが免許皆伝と言っても佐伯主将もここの剣道部の皆も頑張っているのです。一度どれだけ頑張っているのか手合わせをしてみてはいかがですか?」
「そうですね。では本山さんでしたっけ? 先輩が一番強そうですからお願いします」
「はい」
よし、やったぞ。
いや、何故私が強そうだと判ったのだ? いや、それよりも九条流を見せて貰おう。
礼をして構える。
なんだ。
・・・。
そこまで隙がないようには見えないな。いや、これは誘いなのか?
何故だ。私の勘が攻める事を拒んでいるのか。身体が動かない!
竹刀の速さなら『ずるいチート』と言われ今でも全国一の私が何を臆している真理!
行くぞ!!
私は九条 夢美の竹刀を弾くように動かし空くであろう籠手を狙う。
パン! パシッ!
スイっと逆に足を使い狙った竹刀で軽く弾かれた。
なんだと!! こんな子供がこの速さに対処出来るのか。
弾く竹刀のバランスもジャストウエイトの正確な位置だ。完璧に防がれている。
しかし体力的にこっちが圧倒的に有利なはずだ。
間髪を入れずに竹刀を弾いて力で押し込み離れながら面だ!
パシッ。ぐいっ、ダッ! パパン!
押し込みが軽くいなされ、離れて打とうとして上げようとした籠手を完全に打たれ胴まで入れられた。
あ、あり得ない。なんだこの速さは!? 私より速いだと!
「胴一本!」
「さ、佐伯。今のは籠手が先だ」
「えっ!」
佐伯にさえ籠手が見えなかったのか?
いや、この速さは予想外だった。確かに力で押そうなど私が油断していたのだろう。
「も、もう一手お願いします」
「えー。仕方ありませんね先輩」
嫌そうにしてるが、、、ま、待て! 九条は何故竹刀を置く! やって貰えないのか?
「では、これでお願いします」
な、何を言ってる。
剣道は三倍段なのだぞ。素手で相手など出来る訳がないだろう!
わたしから一本取ったからとふざけるのも大概にしろ!!
「容赦はしませんよ」
「はい。構いません」
でやっ!
私は思い切り面を入れる。例え手で防いでもかなりの怪我をするだろうが思いあがったそちらが悪いのだ!
パシッ。パン。ズデッ。
ダンッ!
ブワッ!
うわっ!!
巨大な手が顔の前に!
な、何が起きた。面が避けられただけでなく私の竹刀が手から落とされ私は足を払われ尻もちをついて巨大に見えた掌底が面のアゴの前で寸止めされている。
既に剣道ではないがこれは完敗だ。九条流の秘伝が無手なのか。私に見せてくれたのだな。
わ、私の剣は無手の相手を切れない程弱いのか!?
あ、あ、ま、まだ冷や汗が止まらない!!
「このまま打てば本山先輩は気を失って戦えません」
「ま、参りました。しかし、、、わたしも必死に練習しています。どうすればそこまで強くなれるのか教えて頂けませんでしょうか?」
「『必死』に? では、先輩は弱ければ本当に死ぬと真剣に考えて生き残る為にやっていますか?」
ゾワッ。 ぐっ!
な、なんだこの本当の死を見ているような恐ろしい目は!? 何人も剣で殺しているかのようだ。
ほ、本当に死ぬだと?
こんな相手、今の私ではどうやっても敵わない。今度は嫌な汗が止まらない。
「い、いえ。そこまでは考えられていません。『必死』などと言い、申し訳ありませんでした」
「先輩は競技を上手くなりたいのですか? それとも強くなりたいのですか?」
「つ、強くなりたいです」
「仕方ありませんね。では、流派は違うでしょうけど少しだけ。面の際の右ひじの力み、両手の搾り、特に左ですね。それと相手を見る際の八方眼に気をつければ隙は減りますし相手の動きがもう少し判って何をすべきかを正しく知る事が出来ると思いますよ」
な、、、。わたしに足りないもの、、、。
はっ! そうだ! それだ! いや、的確過ぎる。こんなにあった。
「あ、ありがとうございます」
「それと最後に一つだけ。刀は竹刀よりずっと重いですから本当に強くなりたければ余り竹刀の速さに頼るのはやめた方がいいと思いますよ」
「えっ、は、はい」
「山本コー! い、いえ、本山さん! 九条さんの入部はっ!?」
「恐れ多い事を言わないでくれ佐伯さん。精神も技術も速さも誰も立ち入れない領域で戦っている九条 夢美さんのような方に一体誰が何を教えるのか? 中学の剣道などやって頂いたら他の競技者に申し訳がない」
「な、何をおっしゃって、、、。今年こそ団体の優勝を」
「そ、そうだったな」
「九条さん。お時間が取れたらで構いませんが大会にだけでも出て頂く事は出来ませんか? 佐伯主将達は今年が最後の中学の大会です。佐伯主将は個人では優勝していますが、団体でなんとしても勝たせてあげたいのです。是非助太刀をお願いします」
「えー、本山先輩も結構強いですよね。でも助太刀ですか。わかりましたけど、忙しいので時間が合えば考えさせてください」
「お、お願いします」
「はい」
九条 夢美さんがお友達と一緒に笑いながら帰って行った。
うーん。(満足の笑み:笑) あのような方に前向きなお言葉。なんと貴重な事だ。
手合わせ頂けたとはなんという僥倖だったのか。
こんな思わぬ所に本物の剣豪がいた。本当に剣道大会での優勝など彼女の目には入っていないのだろう。生きている場所が違い過ぎる。この剣豪は負ければ死を覚悟して戦いに臨んでいるのだ。
こんな方が今の日本にいらっしゃるとは、、、。
私は初めて言葉などではなく身体であの世界を知る事が出来た。私の『必死』など偽物だった。本物の剣豪はあそこまでの高みだったのか!
私は全てを見透かされていたのだな。
戦いながら相手を見ての指導も的確であり彼女こそ私の心の師だ。
確かに競技を上手くなる剣道と本物の剣豪はここまで違うものだったと思い知らされた。強くなるのと剣道を上手くなるのは別物だった。
私の精神はあの域までたどり着けるだろうか? いや、師に指摘されたまず右ひじの力みと左の絞り、八方眼を直し、己を鍛えてから遥か先にいる師の所まで私は必ず行くぞ!
「山本コーチ! 入部を勧めないでどうするんですか!」
「いや、彼女に教えられる事など何もない。わたしでは手も足も出ない」
「う、うそ。気に入って貰えるように手を抜いたのでは、、、」
「いや、全力でやらせて貰ったがわたしでは何もかもが及ばなかった」
「えっ!!」
固まるな佐伯。隙が出来るぞ。
高等部の皆も監督も驚くな。事実は受け止めるべきだ。私は師よりも弱く学ぶべき事が多かっただけだ。ここから一歩ずつ歩いて先に進むしか師の高みには届かない。
「よし! ほら、高等部も中等部も続けるぞ。九条さんに助太刀して貰える夢のような事を目指して頑張って練習だ!」
「「はい!」」
・・・。
山本 真理が全日本女子選手権大会で優勝の座に返り咲くのはこの手合わせがあってからしばらく後の事である。