コルサージュ
ピアノの久美子先生は可愛い系の美人で性格はサバサバとしている。私は私と違う女性としての魅力を先生に感じていてかなり先生の事が好きだ。私の事を『夢ちゃん』と呼ぶ。背はそこまで高くないけど手のひらはそこそこ大きくて私は先生の弾くリストやショパンに憧れている。練習すればワルツやノクターン位なら直ぐに弾けるようになるよって励ましてくれるけど道は長そうだよ。
今日は先生が予定より少し早く来たので私は自分が作ったパウンドケーキに生クリームを添えたお菓子と紅茶を出して先生に聞いてみた。
「もしも、ピアノやバイオリンのような楽器がない世界があったとしてそこに同じような楽器が生まれたとしたらどんな別の楽器になりますか?」
「夢ちゃんは不思議な事を聞くね」
唐突にかなり変な話をしたのに先生は少し考えてから答えてくれた。先生が真っすぐに私の目を見た。
「同じような楽器が出来ると思うよ」
「えっ、なんでですか?」
「楽器って例えば普通は基音がA(ラの音)だよね。この音の周波数は赤ちゃんの泣き声の音の高さって言われていて人にとって基本的な音の高さなんだよね」
「ふんふん」
へー、そうなんだ。
「で、音って空気の振動でしょ? 耳で聞こえる可聴周波数帯が同じだとすると、、、一オクターブは振動数が倍になっていて、他の音はその振動数の心地よさの和声で決まる。つまり音階は絶対に同じ。
そこから音楽は対位法で作られるけど、例えばピアノのような楽器が出来たとしたら一オクターブは手の大きさよりも少し小さくオクターブユニゾンが出来て、その分割である8音と、半音の5音はその中に作られるから私なら和声学から考えれば同じ鍵盤を作るわね。
ミとファの間とシとドの間は和声的に黒鍵にはしないからね。仮に違うものを作ったら心地良さに合わせる曲の演奏の難しさが大変な事になっちゃうよ。だから同じ鍵盤。他の楽器も同じで指の数が違えば弦の数も違うだろうけど同じ人間ならバイオリンでもハープでも同じ理屈で同じような楽器になると思うし、和声的に和音の作りやすい音で調音するだろうし、弦の調音比率も似たものになるんじゃないかな。もしかしらた金管楽器の扱いはちょっと違うかもだけど」
成程、これは面白い話が効けたよ。私が夢の中で見たビオリーニナがあそこまでバイオリンに似ていたのも当然の事でそこまで不思議な事じゃなかったんだね。なんか先生の話で納得したよ。
音って本当に不思議だよね。
「じゃあ、ピアノのレッスンと一緒に今度から和声学と対位法を勉強しよっか?」
し、しまった。私なんかハードル上げちゃったよ。
ピアノのレッスンの後、この日は時間がまだあったので美鈴先生と先生の知り合いの研究室へ向かった。某大学の研究室だった。初めて倉敷 利佳子博士に会った。
「君が化学の実技を具体的に教えて欲しいっていう小学生かい?」
「はい、そうです。九条 夢美です」
「化学って今はどんな事をやってるの?」
「今は、机上理論だけですけど、ブランデーやラベンダーの香料の単離方法として蒸留しか出来ていないので、他の物質合成や単離の方法が具体的に知りたいんです」
「えー、君本当に小学生? 私の研究室来る?」
「いえ、まだ小学生なのでそれは無理です」
「今はどんな事が具体的に知りたいの?」
「はい、次は銅線を被膜する素材を作りたいのですけど、石油がないとしてどうやって作ろうかって考えてます」
「うーん、最初は確か紙でやってたんじゃなかったっけ美鈴?」
「うんそうだね。紙を銅線に巻いてたね。でも実験とかならそれでもいけるだろうけど、経年や感電を考えたらずっとは無理だよね」
「じゃあ、ゴムを使うしかないね。ゴムの木の樹液に酸を混ぜればあーら不思議私達の知ってるゴムが出来ちゃうよ」
「ゴムの木があれば出来るんですね」
「まあ出来るけど、樹液はただのねばねばした白い液体で肌もかぶれるから気を付けないとね」
「それは注意しますね」
「って、夢美ちゃんは実際にやる訳じゃないんだよね」
「はい、別に現実ではやりませんよ」
「美鈴、あんた面白い娘を連れて来たね」
「うん、かなり面白いんだよ」
「倉敷博士の所では何をやってるんですか?」
「最新の高分子素材の研究開発だよ。興味があるなら説明してあげるよ」
「はい、お願いします」
さすが美鈴先生のお友達の博士だ。日本の機材をとても判りやすく説明してくれたし熱意をもって研究に取り組んでいる事が良くわかった。美鈴先生のように利佳子呼びでいいと言われた。でも博士って偉いよね。ちょっと抵抗あるかな。
利佳子博士は気分転換に丁度いいよと私の持ってきたお菓子を気に入ってくれたらしくいつでも遊びにおいでと私がいつ質問してもいいと引き受けてくれた。美鈴先生のお友達すごくいい人だったよ。
家に帰り、もうすぐ修学旅行になるから学校のしおりを母に渡して準備を始める。夜は父も帰ってきて沢さんのフレンチのコースのような夕食を家族揃って食べた。久しぶりに父を見た気がするよ。
夢の中のお父さまや叔父様を見ると政治的な行政を動かすのって大変そうだからなんとなく日本の父も忙しいんだろうなと最近少し判って来た気がする。きっとパパも大変なんだよね。
食後、私は今日聞いた音楽の話やゴムの話をノートにまとめた。
今晩寝るときはアロマのお店で買って来たラベンダーのお香を使う予定だ。そして気持ちいいベッドに入ると直ぐに眠りについた。
昨夜、あれだけの事件があったけど朝はお母さまも冷静に食事をした。綺麗に片付いていて騒動の雰囲気は残っていなかった。
朝食が終わると、お母さまが小さなスカーフのようなシルバタリア産の布を見せてくれた。
これ、絹じゃんか? 薄い布って言ってたから麻の薄い布とかあまり期待しない方向で考えていたけど、絹なら話は別だよ。
絹程寝具に適した素材はない。お肌にもいいし髪も傷みづらい。枕や布団の素材としては持ってこいなんだよ。私はお母さまに沢山欲しいと言うと、
「少し高いけど向こうに着いたら沢山買えますよ」
と教えてくれた。やったー。なんかこれもう勝ったも同然だよ。
今のシルバタリアの領主様は、フリッツ・フォン・シルバタリア辺境伯で、奥様はルイーゼ様、長男がマンフレート様、長女がアリッサ様でウルリヒ兄さまの婚約者、次女がアンネマリー様、次男がルーカス様で私と同じ年、三男はオスカー様で一つ下だそうだ。ドミノスのフリッツ様はお母さまのお兄さんだ。
何人いるんだって。沢山で一気には覚えられないけどノーラに後でメモを見せて貰おう。
って事はですよ、それって私の伯父さんだね。
なんか私気が付いてなかったよ。えー、でも引退したご両親も健在で私のおじいちゃん、おばあちゃんもいるそうだ。この年まで会わないとかやっぱり遠いとこっちじゃ難しいんだね。
シルバタリア辺境伯になんかかなり親近感が湧いて来たよ。
でもそんなに近いのにお母さまの兄の娘って完全に従妹だけど、従妹は4等身だから日本でも結婚は出来るか。うん、そうだけど日本の感覚だとちょっと不思議な感じだね。
お母さまによると貴族同士は難しいから婚姻は仲のいい貴族間が多いのだそうだ。
でもなんとなくお兄さまのお相手を見るのも楽しみになって来た。将来のお義姉様だからね。
出来るだけ仲良くしたいよ。
後片付けも終わりシルバタリアへ向けて出発する。
すぐに境界門に到着してシルバタリアの兵士に正式な許可を確認してもらい通してもらう。別の領地だけどお母さまや叔父様に最敬礼していた。
シルバタリアに入るとかなり南の国という感じがした。
なんか海の匂いもするよ。海があるんだね。
人々の家はルントシュテットの白い石作りとは違って木造の家が多くてかなりエコな感じがした。小さな街を通ると人々の元気な声が飛び交っていた。なんか活気が溢れたいい雰囲気だね。
お昼前にはシルバタリアの領主、シルバタリア辺境伯のお城に着いた。
門を通るとやはりここもかなり広い敷地だったよ。お城の雰囲気がルントシュテットと違うけどちょっと南国っぽい感じになってて私は好きだ。
私も馬車を降りると、お年寄りが私に向かって走って来た。
うおっ!
ミスリアとヘルムートが私の前に立ちはだかり剣に手を掛ける。
お母さまが慌てて声を上げた。
「ミスリア、ヘルムート、その方々は私の両親です」
「はっ、大変失礼いたしました」
いや、ミスリアとヘルムートのせいじゃないよ。昨晩の事もあって二人共かなり緊張して任務についてるからね。逆に知らないならどんなに偉い人でも私に近づくのを止めてくれたのだから正しいと思うよ。
私もミスリアとヘルムートに「ありがとう」と声を掛ける。
「おお、ソフィアだな。なんと可愛い孫なのだ」
「本当に女神様のようですね」
「お父さま、お母さま、兄上への挨拶がまだです」
「そうじゃったな。しかしウルリヒも来ているのじゃろ」
「はい、おじい様、おばあ様、ご無沙汰しております」
「うむ、随分と立派になったのう」
「アリッサも回復して楽しみにしてましたよ」
「ありがとうございます。まず伯父上にご挨拶をさせてください」
「そうじゃったな」
いや、このおじいちゃんおばあちゃん話聞かないし止まらないね。
なんか笑顔の二人を見てたらこっちまで嬉しくなってきちゃったよ。
「シルバタリア辺境伯。ご無沙汰しております。義弟と子供達を連れてまいりました」
「レオノーレ。堅苦しい事は抜きだ。兄上と呼べ。長旅ご苦労だったな。昨晩襲われたと聞いたが優秀な騎士団が一緒だったとみえるな。被害が少なかったそうで安心したぞ」
「はい、おかげさまで」
「こんな日向の暑い所で立ち話もなんだから中で皆に挨拶させよう」
「ありがとうございます。ではまいりましょう」
確かに日差しが少し眩しいね。
このお城の中は石造りでかなり涼しい。私は少しほっとした。
かなり広いホールでこの領のお茶と共に辺境伯の家族を紹介してもらった。
ウルリヒ兄さまの婚約者のアリッサ様は優しそうな美人だったよ。
話によると今夜アリッサ様の快気祝いの夜会が予定され、明日から取引などの打ち合わせが行われる。私は打ち合わせには参加しないけどその間に売ってるものや食べ物を見て考えておやつと夕食をルントシュテット側が振舞って取引を進めようという予定だ。
何が売ってるのか本当に楽しみだよ。
今日はこのお城の脇にある水車小屋の近くの迎賓館に泊まる予定なのでそこに移動して夜会の準備をするだけだ。
お母さまによると、水車小屋はそんなにうるさくなくかえって心地よい音が眠りやすい良い環境だという。それに水辺の近くだと結構厳しい暑さも少しは和らぐのだそうだ。
私達はお茶のお礼を言って迎賓館へ向かった。
みんなの部屋もあるそうで全員がこの迎賓館に泊まれるそうだ。更に手伝いにメイドさんや下働きの人達が数名貸し出された。執事さんも来て判らない事はこのビルムさんに聞くと良いそうだ。
私の部屋へ行く。窓を開けるとゆっくりと回る水車の結構近くで手を伸ばせば届きそうだ。確かにかなり静かだしこの蒸し暑さも水が近くにあると少しでも涼しいかも。
でも、それにしても暑いよ。夜寝る時には少しは涼しくなるのかな。これ、部屋にいるだけで汗をかきそうだけどお母さまなら「だらしないわね」と言って平気で涼しい顔をしそうだ。
確か色んな作った機材持ってきたんだよね。私は荷物を確認しに行って羽毛を乾燥させた手回しの扇風機とロープ、竹材とリバーサイズで貰って来た蚊帳用の網を運んでもらった。
簡単な絵を描いてマルテに下働きで作業の得意な人を二人借りて来て貰った。
ルイスとレオンは簡単な大工仕事なら出来るそうだ。ちょっと一時的に扇風機を設置しても良いかと執事のビルムさんに確認して作業をして貰った。
まず、部屋に向けて窓の外から内側へ向けて扇風機を設置する。日陰の風だけどあまり涼しくはないね。
「姫様、これもしかしてわたしが手で回すのでしょうか?」
「いえ、そんな事はさせませんよ」
「ホッ。暑いからわたしが汗だくになるかと思いました」
汗だくで扇風機を廻すマルテ、、、(妄想w)
ロープを張って水車の回転で回るように扇風機を静かに回す。軸にロープを巻き付けたら滑らなくなって軸もスムースだからこれで回ったよ。さすがクラウとフェリックス。シャフトがとても正確に作られているよ。オイルも滑らかでまだ摩耗も大丈夫そうだ。
「凄いです姫様、これ勝手に回りますね」
「これではあまり涼しくないからもう少しです」
ルイスとレオンに蚊帳の網を窓の外に設置して竹を割りフシを抜いて水車の水が蚊帳にかかるようにしてもらった。もうちょい真ん中くらいかな。
簡易冷風機の完成だよ。うん、いい感じ。
暑いから水の蒸発の気化でかなり涼しい風が来るよ。取り敢えずこれで暑さはひとまずはどうにかなりそうだね。ノーラが必死にメモをしている。きっと後で叔父様に報告するつもりだろうけどまあ私が忙しくなければいいや。
アイスが食べたくなるだろうからクルトとカリーナに先にお願いして作っておいてもらう。
その後、私はノーラとマルテに髪を整えてもらいドレスに着替えさせられた。
後はお母さまのところに行って薔薇の『コルサージュ』を頂いて胸の所に着ければ完成だ。時間はもう少し余裕があるけどやる事がないから私は早めにお母さまの所へ向かった。
出来れば明日早く買い物に行きたいね。
お母さまの部屋へ行くと、お兄さまも叔父様も既に来ていたけど、お母さまの側仕えのオットーさんが慌てて部屋へ入って来た。
「レオノーレ様、大変でございます。持ってまいりました薔薇が全て枯れておりました」
「な、なんですって!」
お母さまの顔色が一気に青くなった。
えー、お母さまの好きな花なのに。食料は大丈夫だったけど襲われた時に何かやられたのかもしれないね。コルサージュを付ける役のメイドの一人ハイデマリーが青い顔をしてる。何かを見たのかもしれないけど今は対処の方が先だよね。
「ビルムさん、このお城の庭にローゼはございませんか?」
「いえ、申し訳ございませんがローゼはございません。そればかりかこの時期に咲く花は少なく、本日の夜会の予定で貴族が全て摘み取ってしまっております」
お母さまと同じ青い顔で申し訳なさそうにビルムさんが答えた。
うーん、コルサージュがないって事がそんなに不味い事なのかな。でもお母さまが悲しむなら作るしかないね。
「マルテ、先程の余った針金をこれくらいの長さにして、何本か貰って来て下さい」
「はい、姫様」
「ビルムさん、色の付いたセリークムの布を少し用意して貰えませんか? できれば赤と緑、黄色、白がいいです」
「畏まりました。直ちにご用意いたします」
「ソフィア、何をしようとしているのです?」
「はい、お花がないようなので作ろうかと思います」
「ソフィア様、植物はそんなに早く育たないぞ」
「それは当然ですよ。ノーラ、わたくしの宝箱も持って来てください」
「はい」
マルテとノーラが急いで出て行く。この二人は私がこういう時の対応に慣れてきてるから動きが早いね。
マルテとビルムさんが先に戻って来た。
私はビルムさんからもらった赤い絹の布を適当な大きさに切って長く折る。針金の先を折り曲げてもらい、布の中央からクルクルと巻き、太くなる程緩く巻いた。
くるくるっと。
ほら、薔薇に見えるよね。
「ケイト、ハイデマリーでも構いませんがこの指で押さえている処を糸で縛って止めてください」
「はい」
ケイトが用意してあった糸で直ぐに止めてくれた。
これに緑の布を葉っぱのように少し折ってつければ薔薇の完成だ。ハンカチ折り紙得意なんだよね。
私はもう一本薔薇を作ってノーラが持って来てくれた私の宝箱から小さな木の実(これサーヤの実の小さ過ぎたやつだけど)と青い鳥の羽根と白い羽をまとめて手に持ってお母さまに見せた。
「こんなのでどうですか?」
お母さまが涙ぐんでいた瞳を開いて感激している。
「まあ、なんて綺麗な薔薇なの! ソフィア、凄いわ」
「これは作った飾りのコサージュと言います。胸に付ければ枯れたりせずに心配もいりませんよ。今縛って貰いますね」
「素晴らしいわソフィア。それではウルリヒの分は薔薇を一本、マクシミリアンと貴方の分は2本で作ってください」
「この本数は何か関係があるのですか?」
「婚約者に対する一途の愛が一本なのです」
ありゃま。それはご馳走さまです。
なんかケイト達も見ていただろうけど私が手元でやってたから他の人達には作り方がわからなかったようだよ。後でハンカチ折り紙の本でも出そうかな。
私は追加で3人の分の薔薇を作って飾って貰った。お兄さまのが白い薔薇で叔父様のが黄色、私のはお母さまと同じ赤だ。木の実は足りなかったけど鳥の羽根は間に合ったよ。私の宝物意外に役に立つね。お兄さまのはおまけに貝殻も付けてあげた。確かウルリヒお兄さまに貰ったやつだけど、、、。
お母さまは『ソフィア、ありがとう』と私に感謝してくれた。私少しは役に立つね。
これ、日本の母に教わったんだよね。向こうでお礼言っておこう。
それにしても私お母さまを助けるいい仕事をしたと思うんだけど叔父様が頭を抱えているのは何故? 解せぬ。
次回:街へ買い物に出かけて様々な食材を見つけて興奮するソフィア。取り引きに重要なお茶会を成功させる事は出来るのか?
お楽しみに。




