虹色の鏡
『第3回「下野紘・巽悠衣子の小説家になろうラジオ」大賞』応募作品です。
『鏡は魂を吸い取る』
ミロワール国の古い言い伝えだ。
それに縋った母親の名はマモン。父親のペーは娘が産まれる前に馬車に轢かれて死んだ。痛哭したマモンは『鏡を見せなければ娘は不老不死になれる』と思い至りようやくの安眠の末、陣痛で目を覚ました。
マモンは娘のシエルに毎日キスをし、手を繋いで季節を歩き、子守唄を歌った。シエルは鏡を知らずに育った。
クラスメイトのセオリーはシエルを不幸だと決めつけ手鏡を贈った。使い方を聞かれたマモンは悲鳴を上げ手鏡を割り、シエルの頭に包帯を巻いて両眼を塞いだ。
「鏡よ、シエルの魂と引き換えに私の魂を持っておいき」
それ以来、シエルはマモンの形見である包帯をなによりも大事にした。
成長せぬ外見を不審がられる毎日から抜け出し、天に向かって海を歩くシエルを、泣き声のような波の音が濡らした。シエルにはマモンが大事にしたものを奪うことはできなかった。
村人が海岸の洞穴でシエルを見つけ靴を盗んだ。その靴が百年前の貴重なものだと知れると、人々はシエルの服を我先にと奪った。包帯が乱れシエルの片眼が覗くと皆逃げていった。シエルは何も見なかった。
ある雨の日、眼に包帯を巻いた少女が二百年前から住み着いているという噂を聞いた少年イリゼがシエルを訪ねた。イリゼは裸のシエルを見て急いで自分の服を渡した。
イリゼはよくパンを持ってきてシエルと分けた。シエルはイリゼの話をよく聴いた。
イリゼはシエルの外見が変わらぬことに気づいたが彼にとっては些細なことだった。5年経ちイリゼは青年になった。
イリゼはシエルに愛を伝えた。胸のあたたかさの理由に名前がついた気がしたシエルが頷くと、イリゼはシエルに穏やかな波のように優しいキスをした。シエルの目は深く閉じ、まるで眠りから覚めたように自然と開いた。
余韻を残しイリゼの瞼が開くと、虹色の瞳が現れた。縁は青、瞳孔の周りは黄、赤、橙、緑が混ざっていた。イリゼはシエルの目が開いたことに心底驚き顔ごと逸らした。
「綺麗だろ。売りたくなった?」
震えるイリゼをシエルは抱きしめた。
冷たい雨がやんだ瞳にシエルが映る。
シエルは初めて生きたいと望んだ。
彼女の包帯が外れ、イリゼが拾った。
おばあちゃんになったシエルはおじいちゃんになったイリゼに見守られ最期を迎えた。
イリゼの瞳にはシエルの笑顔が映っていた。
シエルはマモンとの約束を守り、生涯鏡を見ることはなかった。愛する虹色の鏡以外は。
貴重なお時間を割いてお読みいただきありがとうございました。
あなた様と作品の素敵な出会いを願っています。