力推し
ブライトにはあの若者は生きた人間に見える。
普段のクレールは勘が――人間でない者を見出す勘が鋭い。
『読み違えているか?』
その疑念はあった。
だが、今朝から彼女は生ける屍を見極める感覚がひどく乱れている。
死人の魂に取り込まれた真鬼か、真鬼に使役される人鬼か、あるいは別な「生きていない物」の気配を感じ取ったのは間違いないだろう。
それは、暗闇で目隠しされているに等しい不確実な「視覚」が捕らえたものち喩えられるだろう。
『クレールが感じ取った物が近くにいるとすれば、むしろ向こうの方が、怪しい』
ブライトの目玉は舞台の方角に戻った。
ほとんど同時に、イーヴァンが吠えた。
「斬るっ! ヨハンナ様の心を動かす者は、皆斬るっ!」
長大な剣が風を切った。
クレールが身構えている場所から三歩離れた床面に、重い鋼の切っ先がめり込んだ。
貧相な床材の破片と細かな土埃が、猛烈な勢いで飛び散った。乾いた大地の微細な破片が朦気なって立ちこめる。クレールの視界はふさがれた。同時に、仕掛けたイーヴァンからも気に喰わぬ小僧の姿が見えなくなった。
決して、でたらめな攻撃ではない。
標的が飛び散った埃から逃れようとするならば、どう動くであろうか。
左右どちらかか後ろに飛び退くか、腕か何か硬いものを頭上に掲げて防ぐか、およそそのどちらかを取るだろう。
前者の策を採れば反撃のタイミングがずれる。後者の策を採れば次の攻撃を見極めることができなくなる。
イーヴァンは前者を取ると見極めた。
そうならば白髪の小僧はどちらに飛ぶだろうか。
クレールの背後には、突然の乱入者におびえるシルヴィーがいる。つまり後ろは塞がれている。飛び退くとすれば左右のどちらかの、空間がより広く空いている側だ。
イーヴァンの血走った眼球は右側に動いた。
少年顔をした細身の剣士がそちらに移動した気配はない。
反対側にもいない。
となれば、標的は逃げる策を採らなかったことになる。同じ場所に止まり、土埃の中で目を閉じ顔を覆っているに違いない。
はたして、埃の向こうにうずくまる人影がうっすらと見える。
「おおぅ!」
若い貴族は策の成功と勝利を確信し、雄叫びを上げながら勢いよく踏み込んだ。長剣は再び風を切って振り下ろされる。
剣が硬いものに当たった。
イーヴァンの目に、鞘に収まった一振りの細身の剣が見えた。そいつは蹴れの太い剣と垂直に交わった形にあてがわれている。
昼間はそれで攻撃を防がれた。だが今は違う。
そんな物は障害にはならなかった。こともなく両断してなお、剣の勢いは増した。そのまま叩き付ける。
床に二つめの穴が開いた。
再び湧き上がった砂埃の中から、細い物が飛び出した。
イーヴァンの目は、反射的にその物体を追っていた。
細身の刀の鞘だ。
半分に両断された石突の側だけが、軽い音を立てて床に落ちた。
鞘の断片は床の上を回りながら滑り、やがて「中身」を吐き出した。
剣の切っ先の形をした、茶褐色の木ぎれ――。
イーヴァンは驚愕をそのまま声にした。
「木刀だと!?」
昼間、|白髪のチビ助《エル=クレール・ノアール》はあの剣で己の攻撃を受け止めた。あの剣で己の剣を押し戻した。
「木刀で、だと!?」
もう一度叫んだ。
目玉を土埃に戻した。小柄な影がうずくまり、震えている。
土煙が徐々に収まったその場所にあったのは、細く、華奢な踊り子の蒼白な顔だった。
「なッ……おおぅっ!」
イーヴァンの喉から苦痛の声が絞り出された。上腿に激痛を感じる。