表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
93/160

死の臭い

 不安げなざわめきが、芝居小屋の客席の方向から楽屋の通用口を通り抜けて、漏れ聞こえてくる。

 ちらりと通用口を見たブライト・ソードマンは、その方角を空いた手で指し示して、


「ちょいとお願いだ、最高位演者(エトワール)。あっちから『お客さん』が入ってきそうなんだが、百数える間だけ引き留めてくれないか?」


 シルヴィーの返事を聞く前に、ブライトはクレールを担いだまま駆け出した。天幕の出入り口用のスリットが入っている方向ではなく、太い(ぺグ)でピンと張られた「壁」の側に、彼は向かっている。

 肩の上で足掻いていたクレールが、暴れるのを止めた。


 腐臭がする。腐った人間の放つ臭いがする。


 鼻ではなく、脳そのものがそれを嗅ぎ取っている。赤黒く、息苦しい威圧感が足下にまとわりつき、背中を這い上ってくる。

 元凶は蝸牛(かたつむり)のようにゆっくりと移動している、とクレールには感じられた。


()()の、気配……」


 ぽつっと呟く。ブライトの足が止まった。


「コイツではなく?」


 上着の中に拳を突っ込まれた指と指との僅かな隙間から、ほの赤い光がにじみ出るのを見たクレールは、首を否定の形に振った。


「このあたりに、他のが湧いて出たか?」


 古びた上着が小さくうなずいた。


「二つ……二つの気配が一つに繋がっている」


「今日は(やく)()だ」


 ブライトは担いでいた「荷物」を放り投げた。


「若様!?」


 小さく悲鳴を上げるシルヴィーの眼前に、上着を引き被ったままのクレールが蜻蛉(とんぼ)を切って着地する。

 舞台の方向を睨みながら、ブライトが問うた。


「どっちだ?」


 クレールは彼の上着を出口に向かって投げつけた。

 上着は帆布に当たると同時に、切り裂かれて落ちた。

 シルヴィーが悲鳴を上げた。転げるようにクレールの背後に隠れる。


「ヒトの(いっ)(ちょう)()を駄目にてくれるとは、ホントにこの姫若様はどうしようもないお方だよ。罰として、助けてやらねぇから気ぃ入れて片付けろ」


 言いつつ、ブライトは裂けた上着とは、まるで逆の方向を見やっていた。

 舞台の方角から、物の壊れる大きな音が聞こえる。

 怒声、悲鳴、恫喝が混じったそれは、ただならぬ事態を知らせていた。

 ちらりと「出口」の側を見た。

 銀色に光る刃物が、テントの布地を縦横にに切り裂いた。人間一人が通れるほどの穴からぬっと現れたのは、


「勅使の腰巾着か」


 ヨハネス・グラーヴがイーヴァンと呼んだ若者だ。

 充血により赤く(よど)んだ眼球が落ち尽きなく動く様子や、眉間から鼻の頭にかけて不快と興奮の縦皺(たてじわ)を刻んだ顔立ちは、常軌を逸するものだった。

 しかし――。

 若者は、肉食獣がアルコールを飲んだような口臭をまき散らしている。肩を大きく上下させている。

 つまり、()()()()()()()()()

 呼吸があると言うことは「生き物である」ということだ。


『クレールはコイツのどこに屍体の臭いを嗅ぎ取ったってンだ?』


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ