神聖喜劇
「……無駄に知識を蓄えていらっしゃるあなたもご同様でしょう。人相占いなど、どこで学ばれたのですか?」
敬服と皮肉の混じったため息を聞いたブライトは、小さく舌打ちし、
「お前さんが知っているぐれぇのこった。常識の範囲ってもンだろうよ」
己の後頭部を乱暴に掻いた。
舞台の上では、二人の人物が背中を向けあった状態で、それぞれに己の悲しみを表現している。
同じ音楽に乗り、同じ振り付けで、同じタイミングで踊りながら、しかし彼らは自分以外の存在に気付いていない。己と同じく、無力への怒りと悲しみに身の裂かれる苦しみを味わっている存在が、極近くにあることを知らない。
知らぬままに、彼らは、つま先指先までぴたりと同期同調させていた。
背中合わせの二人が、同時に振り向いたとき、鐃はちシンバルが轟音をたてた。
一組の男女がカーテンを隔てて、ほとんど同じポーズを取ったまま、制止した。
音がなくなった。
静寂の中で、彼らは不自然ともいえる身振りのまま、人形のように体をこわばらせた。
やがて僅かに顔が動うごいた。
視線が重なった。
驚き、仰け反る。
この二人にとって、カーテンは鏡面と同意だった。鏡に映った虚像が実像とまるきり同じ動きをするように、対峙する二人は全く同じ動作で、顔をそれに近づけた。
白い布きれは、その向こう側にある「自分でない誰か」の姿を隠している。布のこちら側の男も、向こう側の女も、相手の姿をおぼろげに見るばかりだった。
男がカーテンの表面に手をかざした。女の指がそれと同じ場所に触れた。
爆ぜるように、彼らは手を放した。しかしすぐに二つの掌は重なった。
ほとんど同じ背格好の二人の人物が、カーテン越しに抱擁する。
雷鳴に似たシンバルの音が響く。
男が引き裂き、女が突き破った。
二人を分かっていた心もとない障壁は、悲鳴を上げて消えた。
花嫁のヴェールで顔を覆った囚われの姫の手を、服喪のヴェールを被った無頼の男が引く。
二人は歩を合わせて踊り出した。
金属が触れ合うちいさな音がする。
耳を澄ませても聞こえないその音を、クレールは確かに聞いた。ブライトの耳にもそれは届いていた。
刀帯か佩鐶の金具が鳴ったのだ。
ノアール・ハーンは丸腰だった。
剣を佩いているのは「もう一人」の側だ。
男は強引に、しかし愛おしげに姫をリードする。姫のおびえは徐々に陶酔に変わってゆく。
薄幸な姫を略奪する荒々しい男と、運命に翻弄され続ける非力な娘のパ・ド・ドゥは、ノアール・ハーンが主であり、愛姫クラリスがそれに従う……本来はそのような場面の筈だ。
マイヨールはスタンダードな振り付けを正確に再現しているにもかかわらず、舞台上の男からは支配力が感じられない。
シルヴィーのそれも、約束どおりの形に完全に沿っているというのに、姫には従順さが微塵もない。
「照明が絶妙だな。チビ助には必要以上に光を当てないようにぎりぎりまで絞っていやがる。御蔭で男の影の薄いこと……まるでそこに居ないみてぇじゃないか。
こいつは戦乙女ってぇよりゃぁ、嬶天下だぜ」
言いながら、ブライトは隣の席に視線を送った。