いないはずの人物
「いえ。そのことではありません。
踊り手です。あそこで国母を演じているのは、シルヴィではないのではないかと……。つ
まり、最初に初代皇帝を演じ、二幕目で花冠を投げたのとは違う人物が彼女を演じている」
「何故、そう思う?」
「背格好は確かに似通っていますが、肩幅や手足の肉付きが、シルヴィならばもっとほっそりしていると思うのです」
クレールは、自身の腕の中に抱いた踊り子の体の線を思い起こしていた。
「影だけで判るかね?」
念を押され、彼女は自信なさげに頷いてから、
「それともう一つ。踊りの雰囲気が違うような気がします。
一幕のシルヴィは『男役』であったのに、どこかに女性らしさが残っていた。
彼女が『実は女』であることを暗に表現するためにそうしていたのかも知れませんけれども」
僅かに語尾が弱まった。しかし続く言葉は、声は小さいが、何か確信じみたモノを含んでいる。
「ですがあの影は、女性にしてはすこし……そう、硬い感がするのです。
つまり、巧く説明できませんが、『女が男らしい女性を演じている』と言うよりは……『男がたおやかな女性を演じている』ような、そんな気がするのです」
途惑いながら言うクレールを見、ブライトはニタリと、少々意地悪げな笑みを浮かべた。
「全く、その観察眼をもっと別の時に発揮してほしいモンだぜ。演劇評論家なんて職じゃ、当世喰っちゃいけねぇンだからな」
小馬鹿にされた気のしたクレールだったが、抗議や反論はできなかった。彼が言葉を続けたからだ。
「カーテンの向こうに居るのは、チビ助の阿呆やろうさ。つまり『舞台の上にはいないことになっている存在』役の、な」
「え……?」
「あの場所には、誰もいない。
男権の象徴である『王』も、女らしさのステレオタイプの『王妃』も、攻撃性そのものの『武官』も、事なかれの体現の『文官』も、囚われのお姫様ってぇ『幻』を見て踊っている、てぇこった」
「ですが……、囚われの美姫ではなくとも、クラリスという名の女性は、間違いなく存在した……のでしょう?」
クレールがすがるような目をした。
「それをなんで俺に訊く?」
ブライトの微笑には、少々の意地悪さが混ぜ込まれていた。質問には答えないと、暗に言っている。
しかし、
「あなたより他に訊く相手がおりません。……あなたはどうやら叔父が書いた物の内容を詳しくご存じのようですし」