ドレスという武器
クレールはもう一度溜息を吐いた後、
「でも私は誰かに身を委ねることができない。自分で戦わねばならないから、男の服を着る」
強い意思を思わせるはっきりとした口調で言った。
ブライトの言うとおりであるなら、国母クラリスも自分と同じ理由で男として生きることを決意したのだろう。
確かに今の世であれば女の為政者も珍しくはない。時代が下がるにつれ、「彼女」が「彼」として起こした帝国・ハーンでも女帝が君臨することは珍しくなくなっなってゆく。
従属国であるユミルに至っては、その建国から現在に至るまで王位は第一王女が継ぐものと定められている程だ。
そして漸く二代にしかならないギュネイ帝国にも、ただ継嗣である女児がいなかっただけであり、女子の即位を禁じる法はない。
それでもまだ、女が「新しく事を起こす」ことに難色を示す人々はいる。女が「何かを率いる」ことに拒絶反応を示す人々はいる。
四〇〇年の昔であればなおさらだ。
「その上、女でありながら男の服を着るような『常識外れ』ですから……。
普通の感覚の人間であれば、従おうとは思わないでしょう。だから身も心も雄々しく振る舞う必要があった。
それも後の世の歴史書に、勇敢な男と記録されるほどの完璧さで」
胸が苦しくなった。真綿で体を締め付けられているような気分だ。クレールは己の体を抱きしめていた。
「模範解答だな。まったくお前さんの頭ン中にゃ、掃除の行き届いた脳みそがきっちり詰まっていやがる」
口ぶりは、まるきり優秀な生徒を褒める柄の悪い教師の様だ。弟子達に真理を説く哲学者か僧侶のごとく、彼の黄檗色の目が笑う。
「だがな、こういう考え方もあるンだぜ。
ドレスは信頼できる誰かを見つけるための道具――。
力ある者に、それを纏う者を助けたいと思わせるための、弱者の武器」
クレールは自嘲気味に小さく笑った。
「……私には扱いかねる武器です」
彼女とて「姫」と呼ばれていた身だ。ドレスを全く着たことがないというわけではない。むしろそれ故に、自分には似合わない装束だと固く信じている。
「そりゃ確かに、どんな道具でもテメェの体にしっくり来る大きさじゃなきゃ使いこなせねぇもンだ。ありきたりの、出来合いの、吊しのヤツじゃあ駄目だろうよ。
だから、お前さんの体にぴったり合うヤツを誂あつらえれば、使いこなせる筈さ。当然、コルセットもドロワースも全部お前さん専用のヤツを、さ」
ブライトは薄衣のドレスを着た「クレール姫」の姿を想像していた。
彼女にしか似合わない、特別の意匠の、誂えの逸品で、襟ぐりが胸元側だけでなく背中側にも大きく開いている。
「少なくとも、対俺サマ用の秘密兵器には間違いなくなる」
頬を緩め、鼻の下をだらしなく伸ばした。
ただし、脳内のクレールのスカートを捲り上げ、薄暗がりの中の白い足を眺める妄想は、耳朶が引き千切られるほどの強い力で捻り上げられた御蔭で、きれいさっぱり霧散した。
「あなたに武器を向けようという気は、芥子粒ほどもございませんので」
クレールは唇を突き出して怒って見せたが、目の奥には妙に穏やかな微笑が浮かんでいた。