塔の中のお姫様
牧歌的な書き割りの背景の前で、領主の娘の婚礼を祝う村人達が踊る。どこまでも陽気に、楽しげに舞い踊っている。
規則正しく、回り、跳ねるその人の輪の中に、別の動きをする者があった。
古びたローブの人物は、歌う村人の間を、手をつないで踊る娘達の間を、囃し立てる若者達の間を、縦横に駆けめぐっている。
人々はそれに気付いていないかの如く振る舞っている。いや舞台の上の「世界の現実」においては、彼は人間の目に見えない存在なのだ。
流れてゆく時、知ることのできない真実、未来から――あるいは観客から――見た既成事実の具象。
あるいは空気。なくてはならぬが、見ることも抱くことも操ることもできぬモノ。
その者は再び言った。
「時は古。知るすべ無き昔。世界を巡るは一陣の風」
ローブの裾を翻し、彼は下手へと消えた。
「あの野郎は、どうやら『フレキ・ゲー』を演じているつもりらしいな。
つまり、話の中の時間軸を逸脱して、遠い未来にこの与太話を書いた男、それを芝居にかけちまった自分自身を、さ」
ブライトはクツクツと笑っている。
「その言い様では、まるであの人がフレキ叔父その人のように聞こえてしまいます」
クレールはどうにか声を絞り出した。ブライトは含み笑いをかみ殺し、
「安心しな、そう思うのはお前さんぐれぇだよ。普通の観客はそこまで莫迦な心配はしねぇさ。
ただし、作者として挙がっている名前と北の海っ縁の殿様とを『同名の別人』と思って観ちゃぁくれンだろう……。
流石にあの野郎を『都の玉座に座り損ねた末生り瓢箪』本人だとは思いやしないだろうが、役者がそいつを演じていると解釈する賢いのはいるだろうな」
言い終わらぬうちに、またブライトの背中は小刻みに上下し始めた。彼は顎を支えているのとは反対の手をけだるそうに持ち上げ、舞台上を指さした。
「書き割りの、領主屋敷の窓ン中」
指先を視線で追ったクレールは、描かれた高窓に掛けられたレースのカーテンの向こうに、人影が動いているのを見た。
官製の脚本であれば、その窓の奥は領主の娘クラリスが半ば幽閉される形で住まわっている部屋と言うことになる。だから書き割りの窓の奥にいるのは「麗しい姫君」の筈だ。
彼女はこの幕ではその全身を観客に見せることがない。見えるのは、カーテンの隙間から差し出し出される、細い腕のみだ。
窓の下で領民達が祝いの踊りを舞う。クラリス姫の腕は、その輪に向かって花冠を投げ落とす。
村の娘達はそれを踊りへの褒美と認識した。
そして花冠を頂くのに一番ふさわしいのは誰であるのかについて争いはじめ、奪い合いの果てに粉々に壊してしまう。
これが二幕目の筋立てだ。
目の前の舞台の上でも、筋書き通りにカーテンの隙間から腕が突き出された。
腕は青みを帯びた貝細工と言う花で編んだ冠を掴んでいる。
花冠を踊りの輪に向かって投げた腕は、すぐにカーテンの中に消えてしまった。同時に花冠の奪い合いの騒乱が起きる。
元より藁のように乾いた貝細工の花は、見る間に崩れて、散る。
そこで幕が下りる。
あっという間の出来事だ。




