お約束の導入部
『時は大帝ジンの頃』
というのは、戯作者や講談師が、彼らが作った物語の頭につける常套句だ。
本来ならこの文言の後に、
『だから、これは現在実在する人物・機関とは一切関係のないお話です。あくまでも作り話、フィクションですよ』
というお断りが続く筈であるが、大概の場合はその部分は大抵『以下省略』の体裁だ。
この『お断り』は一体誰に向かって発せられているのかと言えば、読者観客にではい。作者の目は政府・国家に向いている。
大陸のほとんどの地域を支配する大帝国ギュネイは、国家に対する批判をかなり強い態度で統制している。まあ、ギュネイに限らず、大概の国は多かれ少なかれ国家批判を嫌う傾向にあるのだが。
兎にも角にも。
ギュネイ帝国では、前王朝の初代皇帝の人となりや、今上皇帝のお噂に、ちょっとでも『想定外の脚色』を加えよう物なら(たとえそれが「事実」であっても)、絶対君主に逆らう大罪に当たるとしている。そんなことをしたなら、作者も版元も座長も興行主も俳優達も、みな数珠繋ぎでご用となる。
では、なぜギュネイ以前の国体であるハーンの時代のこととしないのか。
理由は簡単だ。ギュネイの帝位というヤツが、ハーンから正式に禅譲されたものであるからだ。
国家としてのハーンは国家としてのギュネイの親であり、その先祖は帝国の先祖という扱いになる。
常々臣民に対して「親も先祖も敬わねばならぬ」と、教え諭しているギュネイ帝室である。自分の親であり先祖であるハーン帝室をないがしろにするわけには行かぬ、ということになる。
ハーン時代に実際に起こった事件を、ハーンの帝室や政府の関係者になんらしかの落ち度があったように演出すれば、問答無用で縄付きになる、というわけだ。
だから、戯作者達は物語の冒頭で断りを入れるのだ。
これは今の話でも、ハーンの頃の話でもないのだ、と。ハーンが打ち倒した憎き敵国の、横暴な王が支配する哀れな土地の物語だ、と。
「ああ、成程」
エル・クレール・ノアールは、翡翠色の瞳を大きく見開き、文字通り膝を打って感嘆を漏らした。
大げさに見えるが、それだけ彼女にとっては意外なことであったのだろう。
しかしそれを語ったブライト・ソードマンにとっては、ただの一般常識だった。
『まったくこのお姫様ときたら、妙なとことで常識がない』
ブライトは心中で微笑した。
『そういうところがかわいい』
のである。
立夏前の例祭が近づき、片田舎の寒村では人々が皆浮き足立っている。
どうやらこのあたりではこの村が一番豪勢に祭を執り行うらしい。準備もままならない内から近隣から見物客が集まり始めている。
おかげで村に一軒しかない食い物屋は大賑わいだ。
ブライトは辺りを見回した。相棒の世間知らずぶりが周囲の酔客に嘲笑されてはいないかを確認すると、ため息混じりに言う。
「成程も何もあったモンじゃなかろうに」