アドリブが許されない演目
この日、ギュネイ帝国の都・ヨルムンブルグでは、専用劇場で無言舞踏劇が演じられるのが習わしとなっている。
物語の筋はこうだ。
邪悪な侵略王が小国の美しい姫に己の後宮に入るよう迫る。従わねば、姫の故国は王の軍によって蹂躙されるだろう。
民を思う姫は自ら犠牲となることを決める。
決意を固めたその日から、姫は城の高い塔の上の個室に閉じこもった。我が身の不幸を嘆き悲しむその姿を、誰にも見せぬ為に。
そのころ侵略王が課す過酷な税と兵役に苦しめられていた民衆の中から、一人の男が立ち上がった。
彼はただ独り侵略王と闘うことを決心する。
その決心は、やがて多くの人々に知れることとなり、彼の元には多くの若者達が集まった。
彼らは、侵略王に与する者たちの官兵私兵と戦い、家屋敷を打ち壊し、宝物庫を開放していく。
やがて男とその一軍は、小さな国の小さな城の門前にたどり着いた。
固く閉ざされた門、高くそびえ立つ塔。
民衆が門を打ち破り、男は塔を登る。
小さく暗い部屋の中には、美しい姫がいる。
男は姫の身体を抱き上げると、小さな城の兵達は男に刃を突きつける。
男は彼らをことごとく倒し、姫を抱いたまま逃走する……。
この舞踊の筋立てこそが、すなわちハーンとそれを継いだギュネイの「公式見解」ということだ。
初代皇帝はたしかに略奪者であった。しかし、その略奪によって姫は巨悪から救われたのだ。その行為はむしろ讃えられるべきものである。
為政者たちは民衆に対して無言のメッセージを送り、それを広めようとしている。
その証拠に、この演目は誰もが上演することが許されている。それも時を問わず、場所を問わず、である。
めでたい婚礼の席でも、真夜中の神殿の拝殿でも、葬儀の最中でも、皇帝の演説中であっても、唐突に突拍子もなく舞うことが許可されている。
見事に演じきれば、演技者は喝采を受け、皇帝直々に褒美を与えられる。
しかし。
この演目は公文書管理庁が発行する楽譜と台本が唯一無二の演出法とされており、筋立てを改変することは許されない。
いや筋立てどころの話ではない。
伴奏がほんの少し音程を外しただけでも、舞い手がほんのわずかステップを踏み間違えただけでも、演技者の総てとその三族が捕縛され、投獄される。
運が悪ければそのまま一生日の光を浴びられぬまま、死を迎えることになりかねない。
誰しも死にたくはない。
故に、このリスクの高い演目を非公式に演じようという者はまれだった。
結果としてこの舞踊は、国立の舞踏団がすみれの月スカディの日に帝都専用劇場でのみ演じる特別なものとなっている。