史家の思惑、庶民の受容
この大陸にかつて存在し、あるいは今も存在している国家は、太陰太陽暦を用いて祭祀を行ない、月日を数えてきた。
一年は立春をもって始まる。
月を呼ぶにはその季節の花の名が冠し、日はその一日を守護する天使聖人神々の名を関する。
すみれ咲く第三の月、狩りの守護者スカディの第三十の日は、春の終わりを惜しむ祝日だ。ことさら、ギュネイ帝国……というよりは二十年程前にギュネイにその帝位を禅譲した前王朝のハーン帝国……にとって重要視される祭日の一つである。
正史には、ハーンの初代皇帝ノアールが、その妻クラリスを非公式に娶ったとのが、四百年昔のこの日であったと記されている。
非公式、というのはつまり、神殿で結婚式を挙げた訳でもなく、誰かの立ち会いの下で宣誓をした訳でもない、という意味合いである。
もっとも、そのころのノアール=ハーンと言えば、大陸の片隅で数十名の徒党を組んで「義勇軍」を名乗る侠盗団の首領に過ぎなかった。そういった身分では「政治的に正式」な結婚ができるはずもないし、彼自身するつもりもなかっただろう。
彼はただ四百年昔のその日、山深い小城を襲撃した。
城内を荒らして財宝を探し回った。
たどり着いた深い奥の部屋で、数人の下女と身を寄せ合って震えていた麗しの姫君見つけた。
そして、その姫を奪って逃げた。
ハーン帝国の正史は、これを至極正直に「略奪」と表現している。
曰く、
【皇帝、夜半にガップ城を攻める。先陣を切り、敵兵伐つこと甚だし。城中より美姫を奪う。官軍死ぬるものなし】
淡々と「出来事」を記すその文章には、個人の感情を表す単語はほとんど見受けられない。一見、冷徹ですらある。
事実を記さんとする史書の記述者にとって、略奪された姫がこの時どの様な感情を抱いていたのかは、書き記しす必要などなかったのだ。
彼は正しい。
おかげで後世の者たちは、その墨跡の単語と単語、行と行の間に、各々の「事実」を見いだすことができるのだから。
史学者は持論を展開し、物書きは物語を夢想する。
数々の注釈本、検証、論文。
戯作、黄表紙、通俗本、舞踊、謡曲、詩歌、田舎芝居、おとぎ話、寝物語。
多くの玄人・素人作家が「偉大なる英雄皇帝とその皇后」の物語を創造し、発表した。
ある作品は権力者に取り入って生き延び、別の作品は炎をもってこの世から葬られ、または人の心に何も残さず消え、あるいは姿形を変えて民衆の中に広まった。
そして四百年の時が過ぎ去った後の、すみれの月スカディの日には、大陸各地で盛大な祭が開かれるのだ。