口の悪い男
エル=クレール・ノアールは、皆から「シルヴィー」と呼ばれた踊り子をその薄縁に寝かせると、すぐに彼女の側から離れた。
手桶と蒸留酒の瓶を携えた年長の女性の団員が飛ぶように駆けてきて、彼女の衣裳の襟元を開き始めたからだった。
手当の様子をのぞき込むブライトの右の耳たぶをぐいと引き、クレールは元来た通用口に戻ろうとした。
「全くウチの姫若さまと来たら、オレが元よりよその娘っ子に気を取られるような不義者じゃねぇってのを、いつまで経っても信じくれないと来てやがるから」
おどけた調子で言いながらも鼻の下を伸ばしているブライトの耳たぶを、いっそう強くつねりあげ、クレールは
「下心のあるなしではありません。エチケットの問題です」
唇を小さく尖らせる。
「ほんに可愛い焼き餅焼きだねぇ」
ブライトはフフンと、少しばかり下品に鼻で笑ったが、耳たぶをつまむ白い指を払いもせず、通用口とは逆の方向顔を向けた。
すなわち、芝居小屋のさらに奥、舞台のある方向だ。
舞台袖と楽屋をつなぐ貧相なドアが大きく開いている。扉の形に切り取られた暗い空間に、人影が一つ立っていた。
「ほうれ、姫若さま。あそこに大口たたきの戯作者様がお出ましですぜ」
ブライトの顎が指す先に、確かにマイヤー・マイヨールがいた。腕を組み、足を踏み、踊り子達が騒ぎ立てている様子を、不機嫌に睥睨している。
しばらく無言で娘達をにらんでいたが、誰一人として彼の存在に気付かないのにしびれを切らし、やがて大声で怒鳴りつけた。
「ぎゃぁぎゃあ喚いている暇があったら、少しでも稽古をしやがれ、この尻軽どもが!
この掘っ立て小屋を建ててある所場代だって只じゃねぇし、テメェらの糞を捨てるにも手数を取られるときてやがるんだ。
瞬きする間だって無駄にしてみろ、タダじゃおかねぇぞ、この阿婆擦れめらが!」
先般の飲み食い屋での人当たりのよい口ぶりとは一転して、罵りの言葉は口汚いことこの上がなかった。
娘達の嬌声が一瞬にして止んだ。
彼女たちはいそいそと自分に与えられた小さなスペースに舞い戻り、体を縮めて化粧直しをしたり、衣裳の埃を払ったりし始めた。
ブライトはくつくつと笑った。
「下種野郎め、お里が知れるってもんだ」
声を出して笑うのはどうやらこらえているが、肩は大きく揺れている。
クレールは柳眉をひそめた。
よほど、
『あなたの普段の言葉遣いと、どこが違うというのですか』
と言ってやりたかったが、止めた。
代わりに呆れと嫌みをため息で表してやろうかと思いはしたが、有閑貴族のたむろうサロンよりも数倍白粉臭いこの場の空気を、そのために余計に吸うことが躊躇われて、それも止めた。
ただ眉根を寄せて、肩を落とし、首を振る。
マイヨールの身なりも舞台衣裳らしい。
修道僧が着るフード付きのローブに似たシルエットのそれは、目が覚めるほどの鮮やかな緋色に染め上げられている。大振りなフードと広がった袖口と裳裾は、金糸で縫い取られた百合の刺繍で縁取りされていた。
ゆったりとだぶついた布地が、彼の小柄を一回り大きく見せていた。