自覚なし
彼女にとって今の状況は、単に「若者が気を失った娘を運んでいるだけのこと」だった。
男さながらに育てられたクレールが年相応の若い娘の感覚を持ち合わせていないのか、そうでなければ、
『こいつは自分のことを「女好きのする美形だ」と自覚していない』
ブライトは苦笑いした。
二人の即席小道具係は、二人抱き合ったまま、そっと立ち上がり、目を細めてじっと来訪者の影をにらみつけた。
彼女たちはある種の安堵を得ていた。
小屋の中の仲間達は、争ってその影の顔を見ようとしている。それはつまり、目の前の影が……少なくとも顔立ちに関して言えば……恐ろしい者ではなさそうだいうことを意味している。
「シルヴィは、どうしたのですか?」
最初の一喝に比べればずいぶんとしおらしい物言いで、一人が訊ねる。
「気を失っているだけです。気付けの薬か、蒸留酒をのませてやれば良いでしょう」
クレールは声音を落とし気味にし、答えた。
大声を張り上げては、腕の中の娘に良くないと考えてのことだ。
その気配りが、小屋の中の娘たちには違って聞こえたらしい。
先の言葉に続けて、
「息がしやすいように、コルセットを緩めて……」
と付け足した途端、悲鳴に似た嬌声が、小屋の中からわっとあがった。
「コルセットを緩めてですって!」
誰ぞの叫びと同時に、衣擦れの音がした。
「莫迦ね、王子様はシルヴィの手当のためにっておっしゃっているんじゃないの。あんたが脱いだって、誰も喜びゃしないわよ」
ケラケラと笑う声がいくつも湧いた。
笑い声に混じって、複数の娘達が騒ぎ立てているのも聞こえてくる。
「あの方、なんてすてきなお声なのかしら」
「でもあんなに可愛らしい童顔よ」
「体もあんなに細くて」
「それなのにシルヴィーを苦もなく抱いて」
「ずいぶんお強い」
「ああ、きっと人の姿をした刀剣の妖精よ」
「だとしたら御髪はきっと本物の白金に違いないわ」
等と言うことを口々にまくし立てている。
現実的でない意見までもが漏れてくることに、クレールは驚きもしたし、呆れもした。
息を吐いて、改めて目の前の娘たちを見、訊ねる。
「どこかこの人を横にさせてあげる場所は?」
娘らはそろって小屋の通用口を指し示した。
同時に、見計らったかのごときタイミングの良さで、布を垂らしただけの出入り口が大きく開いた。
件の「のぞき穴」から様子をうかがっていた娘達が開けたものだ。当然、彼女たちはその入り口に集合している。
その様は、群雀が羽ばたきながら騒いでいるのに似ていた。声も仕草もせわしなく、騒がしく、しかし可愛らしい。
ブライトが大きく腕を振り、
「ウチの姫若さまが病人抱えて通るンだ。あんたら、ちっとは静かにして、そこを空けねぇか」
少々乱暴に娘達をかき分けて進む。すぐ後ろを、クレールがついて行く。
たどり着いた先は大部屋の楽屋らしき空間だった。明かりのない、ほの暗い空間には、白粉と樟脳と埃と汗の混じったむせかえる匂いが充満している。
空間の端の小さな鏡台の前に、薄縁が一枚引かれていた。