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無視することにしている疑問

 ブライト・ソードマンには自分自身についてかねて大いなる疑問を抱えていた。


 それは彼に「四年より以前の彼自身にまつわる記憶」がないことではない。

 当たり前の感覚を持っている人間であればこれ以上の悩み事はないであろう。ところが、彼はそのことを深く思い悩んでいない。

 たしかに頭痛の種ではではある。これは()()であると同時に事実でもあった。昔の己を思い起こそうとすれば文字通りに頭痛に苛まれるのだ。


 痛む部位は、四年前の彼が滅びたミッド公国の焼け跡で正気を取り戻した時に大きな傷を負っていた後頭部のあたりではある。


 しかし彼は頭痛の原因はその古傷に由来するものではないと考えていた。

 おそらく心の奥底、自我の深層で、


『元の自分は自分自身を嫌っているのだろう』


 なぜ嫌っているのか。


『むかつくことだが、以前の俺はおそらくギュネイ帝国の人間だったに違いない。何らかの理由で帝国を嫌いながら帝国の禄を食んでいる自分を心底嫌っている、情けない男。今の俺が一番嫌いなタイプの人間だった――』


 というのが、彼の出した結論だった。

 その上で、


『思い出すことに拒絶反応が出るほどに嫌っている「人物」のことをすっかり忘れてしまえているのなら、今の己の状況はむしろ喜ぶべきだ』


 と、そのことを悩みと認識しないことにしている。


 彼が悩んでいるのは別の事柄だ。


 ブライトはまばらな無精ひげに覆われた頬桁をなでた。鏡もない路上では確認しようもないが、少しばかり赤みを帯びて腫れているだろう。

 怪我などというご大層なものではないし、痛いとも思わない。

 彼は頬桁に「美しい右ストレート」を見舞った張本人の顔をちらりと伺った。

 エル・クレール・ノアールは右手の甲をさすりながら、怒り、拗ね、呆れて、なにやら口の中で文句を言っている。


『これに限って、何で避けられンかね?』


 確かに彼女は並の男どもから比べれば相当に強い剣術家だった。人間相手はもちろんだが、たとえ「人間でないモノ」であっても、後れをとることがない。

 彼女の親がどのような心境でそうしたのかは解らないが、この姫君は男児さながらの厳しさで武術と学問が教え込まれていた。並の「王子様」などよりもよほどに強く、よほどに賢い。

 だから剣術の腕前の半分、すなわち基本の部分は、(てん)()の才と幼い頃からのたしなみによる。

 そして残りの半分は、国を出てからこちらの旅の空で、ブライトが実戦を交えながら教え込んだ成果だった。


 剣術という一点において、エル・クレールは彼のことを師も思い、尊敬している。


 筋も憶え良いこの「弟子」は、しかしどれほど鍛えても「師匠」には敵わない。

 そもそも鍛えても鍛えても超えられない体格差がある。

 クレール自身、永遠に彼にだけは勝てないだろうと悟っているようではある。それでも近づけるところまでは追いかけてやろうと励んでいる。

 その一途さ熱心さが、ブライトをも修練に駆り立てていることを、彼女は気づいていなかった。


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