今夕の予定
「それではマイヨール、あなた達のお芝居を一幕から終幕まで観ることにしましょう。……もちろん、客は入れない状態で、よ」
マイヨールの白い顔に、さっと赤みが差した。
「それはもう、最初から特別席で見て頂こうと思っていた訳ですから」
「アタシは忙しいのよ、マイヨール。今すぐ幕を開けろと言いはしないけれど……できるだけ早く結論を出したいの。お解り?」
「それはもう! すぐに一座の者に言いつけて、舞台をしっかりくみ上げさせます。そうすれば明日の朝一番には……」
腰を浮かせたマイヨールに、グラーヴ卿は、
「遅い」
と一言投げつけた。
「忙しいと言っているのが聞こえなかったかしら? お前の言う明日の朝一番には出立しないといけないの……帝都に向けてね」
「では……」
マイヨールは一瞬うつむいたが、しかしすぐさま飛び上がって、グラーヴ卿の足下にちょんと跪いた。
「今夕。夕餉の終わるころにお迎えに上がります」
それだけ言うと彼は立ち上がりざまに駆け出した。鞠が弾むように彼は出て行った。
マイヨールの姿が見えなくなると、グラーヴ卿は改めて目の前の若い貴族とその従者を注視した。
「エル=クレール、と言ったわね。随分お若いこと……まあ、若くても有能な者はいるし、年経ても使えない者もいるけれどもねぇ」
グラーヴ卿の言葉は、感心しているようにも侮蔑しているようにも取れた。エル・クレールはどう返答すれば良いものか判らず、言葉に窮した。
それを気まずい沈黙と感じたのは、彼女だけだった。グラーヴ卿が言い終わるとすぐにブライトが、
「先年、大殿様が亡くなられまして、名跡をお継ぎになられたばかりで」
大袈裟な身振りを交えて言ったからだ。
「ではその『特別な銀のお守り』は、親の代からのものかしらん? それは個人の能力に対して貸与させられるもので、世襲させて良いというハナシを、アタシは聞いていないのだけれども」
グラーヴ卿の細長い指が、ブライトの手の中の大ぶりなメダルをさしている。
この質問にもクレールは答えられなかった。彼女が言葉を選んでいる間にブライトが勝手にしゃべり出すからだ。
「いえいえ、旦那。これは姫若様が頂いたものですよ。ゲニックとかいう、軍隊のエライ方が……」
「その准将閣下は、もうご勇退なされたはずでしょう?」
グラーヴ卿の言葉には、明らかな疑念があった。しかしブライトの口調には変化が見られない。
「三年、いやもう四年くらい経ちますかね。末の息子さんの婚礼の席で、中風だか何だかはっきりしないンですが、とにかく身動きが取れなくなるような病気で、お倒れになられたんですよ。ええ、それはもう、大変な騒ぎになりました」
「その場に居たの?」
「はい、居りやした。ウチの姫若様と、そのお偉いさんの末の息子……えっと、姫若、あの方はなんて言いましたかね?」
ブライトは悪戯心に満ちた顔でニタリと笑いかける。
『調子を合わせろ』
と言うことなのだろうと理解したクレールは、必要最低限の言葉のみを返した。
「……カリスト殿」
官位とプライドばかり高い閑職の父親の四角く脂ぎった顔に似ず、温厚そうでふくよかな若い貴族のはにかんだ笑顔が脳裏に浮かんだ。
「そう、確かそんなお名前でした。そのカリスト坊ちゃんと、ウチの姫若様はご縁がありまして」