心にもない台詞
「ふぅん……」
グラーヴ卿は、下ろしていた右腕を宣誓式の儀礼作法のように持ち上げた。
それを合図に、イーヴァンはゆっくりと剣を退いた。苦々しげに舌打ちすることを忘れててはいない。
クレールも剣を退いた。ただし、すぐさま抜刀できると示すため、剣をイーヴァンの視線の中に置いている。
「お名前を伺おうかしら? アタシはアタシ達と別行動をとらされているお仲間の情勢には、疎いのよね」
『エル・クレール・ノアール』
と、クレールが名乗ろうとするのを、ブライト・ソードマンの大声が遮った。
「ガップのエル=クレールさまでさぁ」
彼はことさら『ガップの』を強調して言う。
周囲がざわめいた。
さすがにその地名を聞けば、グラーヴ卿も驚きの表情を浮かべざるを得ない。
マイヨールはぽかりと口を開けて、瞬きを繰り返しながらエル・クレールを見上げた。
しかし、一番驚愕しているのはその彼女であった。
「ブライト、そんな……」
見え透いた嘘を吐くな、と言いかけるのを、また彼は大声で遮る。
「ウチの姫若さまは、あちらでは随分と古い古い家柄の姫若さまで。どのくらい古いかってぇと、今のガップのお殿様の、そう、皇弟殿下よりも古くからで。
そんな訳ですから、ガップのお殿様にもよくして頂いておりやした。だからね、ガップのお殿様がどんなモノをお書きになったかもよく知っておりやすよ。
……大丈夫、大丈夫。あのお殿様はそれほど馬鹿者ではありませんて。グラーヴの旦那を怒らせるような書きものを外に出す訳がない」
鈍な愚者さながらの要領を得ない物言いをする彼に、クレールは呆れのため息を吐いた。
『ああ、やっぱりとんでもない悪戯をしようとしている。あんな大法螺を吹いた上に、仮にも旅芸人の前で大袈裟に演技までして……』
もっとも、回りの者にはそのため息の真意は知れないだろう。ただ「魯鈍な従者に呆れている」ぐらいに見えるはずだ。
クレールはしかし、呆れながらもある種の期待を持ってブライトの「芝居」を眺めていた。
それは、彼女の目にグラーヴ卿が、勅使を拝命するだけのことはありそうな逸材であることに間違いはないと映っているからだ。
『確かに居高で、物言いには棘はあるけれども……。言っていることは理に叶っている』
その口ぶりが妙なほど優しげな事に薄気味の悪さを感じることもまた事実であるが、それでも『ただ者でない』のは間違いなかろう。
ブライトがそれをどの様に言いくるめるつもりなのか知りたい。
『きっと、嘘でないけれども真実でもないことを並べ立てるのだろうけれども』
クレールは再度ため息を吐いた。
同時にグラーヴ卿も息を吐き出した。
「つまりあなたは何を言いたいのかしら?」
もっと要領よく説明なさい、と言い、薄い唇に薄い弧を描かせる。
「つまりですね」
ブライトは少しばかり首を傾げた。よくよく考えているという「振り」だろう。
「もしガップの殿様の書いたものなら、そんなに酷い話のハズがない。
ガップの殿様の書いたものでなくても、殿様のお墨付きが本当なら、やっぱり酷いものであるはずがない。
で、ガップの殿様が書いたものでもお墨付きを下さったものでもないってぇのなら、困ったことになるってことでやしょう?
でも今ここには何もないんですよ、旦那。ガップの殿様のお墨付きも、お墨付きでないっていう証拠も、どっちもない。
だからここで結論を出すことはできない」




