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見込み違い

 見るからに重い長剣が、()()()けに振り下ろされる。

 マイヤー・マイヨールの足は、その場から一歩も動かなかった。

 ただ上半身だけが後ろにそらされる。

 イーヴァンの腕と剣の長さからして、そうすればどうにか避けられると判じたからだ。(いっ)(ちょう)()のシャツか、あるいは胸の薄皮が一枚切り裂かれるかもしれないが、それは仕方のないことだと、彼はその瞬間まで高をくくっていた。

 が。

 イーヴァンの技量は、マイヨールの考えていたよりも少しばかり高かったのだ。

 彼のつま先はマイヨールが思っていたよりも半歩先の床板を踏み抜かんばかりに捕らえていた。

 当然その剣の切っ先も半歩手前を通過するだろう。

 その単純な計算を瞬時にはじき出したマイヨールの脳味噌は、それによって採るべき動作の修正を五体に命ずる所までは考えついたが、同時にそれが不可能であることも悟っていた。

 後ろに飛び退くことも、左右に身をかわすことも、上半身を後ろにそらした今の不安定な体勢からは難しい。


『逃げられない』


 と悟った瞬間、マイヨールは妙に冷静になった。

 胸板を斜に斬られるのは間違いない。

 肋骨が砕けて、肺が裂かれて、心の臓が破られるだろう。

 もしかしたら胴を輪切りにされるかも知れない。そうなれば、


『下半身と今生の別れか』


 迫ってくる長剣の鈍い輝きも、他人事に見えた。


『だから、止まって見える』


 マイヨールは自嘲気味に笑った。

 避けられることを前提とした体勢である。剣が通り過ぎた後、役者らしく蜻蛉でも切って「華麗に」立ち上がろうと考えていた。

 予定の「次の動作」が急に取り消しになり、しかも逃げることをすっかり諦めきってしまった今となっては、バランスを取ることも、立て直すこともできない。

 マイヨールはしりもちをつく格好で、力無く倒れ込んだ。


 尾骨から脳天にかけてしびれるような痛みが走る。ところが、それ以外に痛みを感じる場所はない。

 上半身と下半身は繋がっている。

 肋骨が砕けた様子もない。

 筋肉も皮膚も、服すらも裂け目一つなく彼の体を覆っている。

 マイヨールは顔を上げた。

 空中に長剣の切っ先があった。

 それは小刻みに(けい)(れん)してはいたが、その場所から小指の先ほども移動できずにいる。


 刃に沿って視線を移すと、鞘に収まった一振りの細身の宮廷剣(エピ・ドゥ・クール)が見えた。イーヴァンの太い剣と垂直に交わった形にあてがわれている。

 その、本来なら儀礼用の飾り(アクセサリ)に過ぎない華奢な剣を細い腕が支えているのも見えた。それも、左腕一つで。

 細い腕は小さな肩に繋がってい、肩からは細い首が伸び、その上に小さな頭が乗っている。

 ほっそりとしたそのシルエットの向こう側に、イーヴァンの姿があった。

 渾身の一撃を邪魔されたことへの怒りと、渾身の一撃を止められたことへの驚愕とが入り交じった表情をした顔は、赤く染まっている。頭から湯気と脂汗が噴き出していた。



「小僧、退け!」


 渇いた喉の奥から絞り出したイーヴァンの言葉に、「小僧」と呼ばれた細身の人物……エル・クレール・ノアールは従わなかった。


「そちらが退きなさい。さもなければ私も抜かざるを得ない」


 小さく、鋭くい言葉だった。右手を己が華奢ですらある宮廷剣(エピ・ドゥ・クール)の柄に添えて彼をにらみ返す。


 イーヴァンは確かに短気な男だったが、紛れもなく(いっ)(ぱし)の剣士であった。(たい)()する者を観る眼力は十分に持っている。


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