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大芝居

 (いん)(ぎん)()(れい)とはこのことだろう。

 周囲がざわめいた。

 人々は若い貴族の言葉の何処に揚げ足を取られる隙があったのか判らない。

 教育機関らしいものは寺院ぐらいしかない田舎町で、マイヨールが言うことを理解できるほど学のある者はほとんどいない。

 いや、それ以前に、他愛のない田舎芝居に貴族達が文句を付けに来たわけそのものすらも、彼らは理解できていないのかもしれない。

 マイヨールは人垣をぐるりと見回すと、腹の底まで息を吸い込んだ。

 狭い「舞台」の真ん中で、マイヤー・マイヨールは「ここが一番肝心」とばかりに大声で「台詞」を吐き出した。


「皆の衆、皆の衆。閣下は手前共の舞台がお上のお定めから外れているのではないかと案じておいでになったのですぞ。

 天上の方のお許しを得ていない芝居なのではないかと、人の心を惑わす間違った芝居なのではないかと、心を痛めておいでになったのですぞ。

 何と有難いことであろう。閣下は民草が悪いものを見聞きしないように心を配っておられるのだ」


 息継ぎをした。ざわめきは一層大きくなったが、彼は気にも止めずにしゃべり続ける。


「確かに手前も悪かった。

 左様、手前の書いたこの芝居、都の天子様からの許可証は出ていない。そのことで閣下にいらぬ心配をかけさせたのだ。我ながら申し訳ないことをしたものだ。

 だが皆の衆、聞いておくれ。心配はいらない。閣下のご心配は()(ゆう)なのです。

 天子様から直接のご許可を得ることはできなかったこの芝居、しかし有難いことにお許しを下さった方がいらっしゃるのですから」


 マイヨールが言い切ると、聴衆は水を打ったように静まりかえった。彼は確かな手応えを得た。

 ……人々の心は己の弁に引き寄せられている。そして彼らは最後の台詞を待っている……。

 彼の頬が弛む。しかし身体はこわばった。瞳は昂揚し、輝く。


『とどめの一押し』


 クライマックスを迎えた「役者」は、喉に軽い引きつりを感じ、唾を飲み込んだ。

 彼の口元に集中した人々の視線が熱を帯びる。

 マイヨールはその唇を小さく振るわせた。


「皇弟殿下です」


 凪の海に突如として大波が立った。

 歓声、感嘆、驚愕、疑問、疑惑。

 聴衆の吐き出す叫びとつぶやきが、マイヨールの周囲で渦を巻く。


「馬鹿な話だ!」


 一際大きな波を生み出したのは、やはりイーヴァンだった。


「ふざけたことを抜かしおって!!」


 若者はついに剣を抜いた。

 幅広の、いかにも重たそうな濶剣(ブロードソード)を、相変わらず解除されない腕一本の規制線の外側で、身を乗り出しつつ振りかざす。

 鋼の鈍い光を見ても、マイヨールは顔色を変えない。


「ふざけも間抜けもありません。確かに手前の台本(ホン)はヨルムンガンド・フレキ殿下のお墨付きにございますれば」


「皇弟殿下が、お前に直に許可を出したというのかえ?」


 グラーヴ卿はいかにも合点がいかぬといった声音で、しかし表情は一切変えることなく、問うた。


()(よう)で」


 マイヨールは胸を張って答える。

 グラーヴ卿は大きく息を吐き出した。


「殿下が兄君のご意向に反して、そのようなことをなさるものかしらん?

 アタシには、皇帝陛下のお許しの出そうにないものを、あの方が自分勝手に許すとは思えない」


 落ちくぼんだ眼窩の奥で、灰色の瞳がぎらりと光った。


「よくお聞き、マイヨール。お前が嘘を吐いているのなら、お前はあの方の徳を汚しているということになる。

 そしてお前の言うことが本当であるのなら、それは前例のないこと……これから先もあってはならぬこと。

 すなわち、あの方の忠孝は不義で穢れているということになりかねない。良くないわね」


 頸を左右に振り、肩を落とす。

 若い貴族を引き留めていた右腕が、ゆっくりと下がった。


「この無礼者!」


 イーヴァンは嬉々として雄叫びを上げながら踏み出した。


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