平手打ち
ブライトが笑んだ。
「これでお相子、ってことにしてくれねぇかね?」
彼の言わんとしていることをクレールは理解できなかった。
「え?」
彼の傷口を強く押さえたまま、不安げに首をかしげた。
「こんな程度の傷じゃあ、お前さんの右腕の怪我には到底及ばなねぇが……。
これ以上ヤっちまったら、さすがの俺サマも、怪我人のお前さんを抱えて立ち回りってのができなくなっちまう。
共倒れしない程度にってぇことで、まあ、勘弁してくれ」
彼の言いたいことは、解った。
あの【月】との戦闘で、クレールは右腕を砕かれた。
骨は複雑に粉砕されていたものの、肉を突き破って外にでるようなことはなかった。運がよかった、と表現するのが正しいとは思われないが、この怪我の仕方は有る意味幸いだった。
皮膚の内側への出血はあったが、外に溢れ出はしなかった。
血を大量に失えば、体力が落ち、回復が遅くなる。あるいはそのまま命を失うこともあり得るが、それがなかった。
また、骨が皮膚を突き破るような怪我の場合、傷口から瘴気が入って重症化する可能性が高くなる。傷が化膿し、肉が腐るようであれば、場合によっては腕を切り落とすような危険な「手当」をせねばならなくなる。
外科的な「手当」は諸刃の刃でもある。体力が落ちるし、酷く熱を発することもある。
危険な「手当」をするにせよ、しないにせよ、処置が間に合わなければ、死は免れない。
そうならなかっただけでも運が良かった、というのがクレールの本心ではあった。ブライトも口に出しかねているが、そう感じている。
今、クレールの右腕は肩から手首まで宛て木に縛り付けられている。
鍛えられた肉体は並の人間よりも快復力が強い。
それでも、真っ当に動かせるようになるまでは、一月はゆうにかかるだろう。その後に、元通りに剣を振うための恢復訓練の期間が必要となる。
その間、彼女の自由は制限される。
ブライトの自傷は、彼女が負った不自由さへの、彼なりの謝罪であり慰藉であった。
クレールは、頭の中では彼のこういった独特な……独善的な……やり方を理解できた。だが、納得することは到底できなない。
クレールの左手が、ブライトの腕から離れた。
瞬転、血の滴る掌が、乾いた音を立てた。
ブライトの右頬に、ひりひりと熱く、チクチクと痛い、小さな疼きが生じた。
「あなたの勝手な正義を、私に押しつけないでください」
翡翠色の双眸から涙が溢れ出た。
「私は……誰かが痛い思いをするのも、辛い思いをするのも、悲しい思いをするのも、厭です。見たくありません」
血濡れた手で顔を覆った。血と混じり合った涙が、血を洗いながら、指の隙から流れ出る。
「酷い人。
当て擦りにわざとがましく怪我をしてみせるなんて……そんなことで自分を傷つけるなんて……自分で自分を……私の大切な人に怪我負わせて……私の目の前で……酷い……本当に非道い人」
嗚咽する彼女を前に、ブライトは沈黙するより他手立てを思いつかなかった。
ある種の呵責を感じている。申し訳なく、切なく、辛く、そして面はゆい。