ローズウッドの木切れ
ブライトは広い歩幅で、部屋の窓から一番離れた角に向かった。クレールの僅かばかりの手荷物が、整然と並べ置かれている。
小さな背負い鞄、くたびれた革長靴、真っ二つに斬り折られた細身の剣。
「あの小僧、大した馬鹿力だ」
鞘ごと両断された模造刀の鋭利な断面を眺め、ブライトはわざとらしい呆れ声で言う。
その木刀は、全土が炎に包まれたクレールの故郷で、燃えることのなかった紫檀の細工物だった。
紫檀は木であるにもかかわらず水に沈むほど密度がある。
そんな物に並の剣士がなまくら刀で打ち込めば、刃こぼれだけではでは済まないほどのダメージが攻撃者に跳ね返り、文字通り「返り討ち」にされてしまう。
それをイーヴァン青年は力任せに切断した。
自分の出しうる力以上の力で攻撃したために、彼もまた伏せっている。
「『道具』に振り回されるってのは、全くおっかねぇ話だ」
ブライトは折れた模造刀の柄のある方の半身を手にして、つぶやいた。
「私も、彼と同様です」
クレールは左の手の甲を暗い目で見つめた。紅差し指の付け根が疼く。
「それなら、俺も同類さ」
ブライトが重い声で言う。クレールは頭を持ち上げた。
眼前に尖った硬い木の棒の先端があった。
鋭く折れた切っ先に血曇りが薄く広がっていた。
イーヴァンの血潮だ。
刀身は拭ってある。それでもクレールの鼻は血の臭いを嗅ぎ取った。命の臭気を感じた。
クレールは青ざめた顔をブライトへ向けた。
「お前さんの言うとおりだ。認めたかぁねぇが、俺達はそのちっこいのに翻弄されている」
ブライトが折れた模造刀を短剣を扱うように振った。
風が切れる音がする。
クレールの耳には空気の悲鳴に聞こえた。
ブライトは木刀の先をクレールの左手薬指に向けた。
「そいつは相当に強い魂の欠片らしい。どうやら【月】の婆さんもそいつに引き寄せられて来たようだ」
「そうなのですか?」
「マイヨールのところの座長とかいうのが、婆さんに言われて奈落の底にそいつを探しに行ったそうだ。
もっとも、座長自身はそいつの正体を知らないままに婆さんの前で口を滑らしたらしいんだが」
「これが何であるのかを知らずに?」
クレールは左の掌を窓辺の光にかざした。陰となった手の甲で、赤い一筋の痣が鈍く暗く輝いている。
「末生り瓢箪ヨルムンガント=フレキ・ギュネイから『貰ってきた』モノがある、程度の自慢話を、何の気ナシにぽろりとな。
もっとも、それだけのことから【月】がそいつを何だと推察したのかまでは、もう知りようもないがね」
ブライトの脳裏に、階下の机の上に放り出したままの「双龍のタリスマン」が浮かんだ。
その「裏面」には刻まれた文字とも文様とも付かぬ彫刻の中に、小さく赤い石がいくつか填められている。【月】もそこにいる。
かつて人の形をしていた存在が、無念の高まりにより自らを握り拳ほどの結晶に凝縮させた物質【アーム】。
双龍紋のタリスマンは、それをさらに小さな枠の中に押し込めるために存在する。
タリスマンに施された豪奢で細かな彫刻は、ギュネイ帝室の紋章も含めて、命の結晶を封印するための呪詛になのだ。