表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
138/160

足掻き

(ザ・ムーン)】の上半身が弾かれたように飛び上がった。

 人の背丈ほども跳ね飛んだあと、真っ逆さまに墜落した。

 上半身の表面には大きな(ひび)が走る。

 それは破断しながら、音に表せず、文字にできない、不気味で恐ろしく、哀しい悲鳴を挙げて、のたうった。

 同時に下半身の方は、金属の(きしみ)みに似た音を立てて暴れ回った。


(ザ・ムーン)】が二つに分けていた体は、それぞれが別々に、不自然に振動する。

 下半身は両足をてんでに動かした。壊れて倒れた撥条(ゼンマイ)仕掛けの玩具(おもちゃ)の様相だ。

 上半身の方も、肩と言わず首と言わず、関節らしき部分をすべてバラバラの方向に曲げて、激しく振り回している。


 でたらめに動きながら、やがて下半身は収縮を始めた。暴れ跳ね回りながら縮み、縮みながら人の脚の形を失ってゆく。

 上半身も同様に縮む。

 縮んでゆく体から、他人から奪った腕が落ちた。目玉が落ちた。頭蓋の上半分が落ちた。

 だが、肥体に浮かんでいた赤い半球は落ちずに残った。

 鼻の上に残った半球は、赤々と(まが)(まが)しい光を発している。

 その下の、口らしき機関が動く。


「ああ、誰も彼も、皆、アタシの邪魔をするのね。

 何故なの? アタシが、醜いから?

 そうだわ。(みんな)醜いアタシが嫌いだから、アタシの邪魔をするのだわ。

 アタシのやりたいことをさせず、欲しいものを与えず、大切なモノを奪う……。

 そうなのでしょう?

 ああ、もしアタシが美しかったなら、皆、アタシを愛してくれるのに……」


 自由の利かない体を揺すり、彼女は未だ倒れたままのクレールに襲いかかった。


「お前のその顔を、お寄越し!」


 クレールは何も言わず、左手を前に差し出した。

 握っていた【正義(ラ・ジュスティス)】の武器(アーム)が見る間に光を失い、消えた。

 今度の消失は【正義(ラ・ジュスティス)】の意志によるものではない。もちろん【(ザ・ムーン)】による妨害に影響を受けたものでもない。

正義(ラ・ジュスティス)】の使い手であるクレール自身が、その意思で「矛を収めた」のだ。


「あなたは……あなたの心は、あなたが愛した人を討ったとき、もう死んでいた。

 それは多分、あなたが【(ザ・ムーン)】の死せる魂に魅入られるずっと以前に。

 あなたは『(オグル)』に堕ちるより以前に、もうこの世の人ではなくなっていた」


「小娘が、利いた風な口を!」


 子供の拳ほどの大きさの赤い半球の中で、【(ザ・ムーン)】は叫んだ。

 しかし、ヨハンナ・グラーヴの体はぴたりと動くことを止めていた。

 磨かれていない鏡のような彼女の顔に、ボンヤリとした人影が映り込んでいた。

 目の前にいるのはクレールだ。

 彼女以外の誰の姿も映るはずがない。他の誰の姿も見えるはずがない。それなのに、ヨハンナ・グラーヴには違う人物に思えた。

 全く別の誰かが、自分を見つめている気がした。


「お前の顔を寄越せ。お前の……顔を、アタシの顔を……アタシの顔……」


 ヨハンナ・グラーヴの魂の断片に思い浮かぶのは、昔の自分、古い知己、忘れたい者、思い出せぬ顔、知らぬ他人。


「アタシの……私の……ああ、大切な……私の……愛しい人……」


(ザ・ムーン)】の叫びは、小さく弱くなり、そして消えた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ